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音声メディアVoicyでの発信に挑戦
こんにちは。
株式会社Armoryの福永です。
最近は大阪と北海道の2拠点生活も慣れてきて、北海道は3週連続で来ています。
挑戦の幅が広がっている中で、なかなか発信が追いついていないがSNSが苦手です。
ある方と会食をしていた際に、論理的で話聞きやすいし、音声メディアやったらとご提案をいただきVoicyに応募した結果、審査が通りました!
Voicyで発信する目的
・自社のサービスをもっと
4年後のビジョンを明確するために書いた売るつもりのないnote
2022年、個人的には波が下がっていた。大きな意思決定もして前に進んだ。
その結果、「0が1」になり始めたというのが今の状態だろう。
これからの4年でどんな絵を描いて挑戦していこうか。文章を書きながら頭の中を整理していきたい。
2023年の現状
人はなぜ挑戦をするのか?
今回は僕の主観で挑戦することの
重要性を書いていきたい。
そもそも、辞書を引くと
「困難なことに挑むこと」そう書いている。
では、なぜ自分の人生の中で困難なことに
挑まなければならないのか?
これは個人の見解であるが、
「生きている理由や価値を証明するため」
ではないかと考えている。
近年、機械化が進んできたり
社会で求められることが変化してきて
よく「自分とは何か」を問われる。
ただ、
1歩ずつ積み重ねること
こんにちは。
株式会社Armoryの福永祐作です。
弊社は若年層(主に学生向け)にアントレプレナーシップ教育を展開しています。
今週、嬉しいニュースがありました。
大阪市住之江区で開催されている「すみのえ未来塾事業」のプロポーザルで採択していただきました。
実は、この事業以前にも応募したことがあったんです。
確か2021年だったと思います。当時からアントレプレナーシップ教育をしていたもの
自分を見失った人が立ち帰る場所
「小さな一歩が大きな世界を変えていくことを証明する。」これが一番のテーマであり、自分が立ち帰る場所。
サッカー編これまで生きていく中で、多くの経験をした。
サッカーでは最終的に海外のチームのセレクションへの参加を促されたこともあったが、僕はエリートでもなんでもない。15年やっていたサッカーではうまくいかないことだらけだった。
幼稚園からサッカーを始めたものの、上には上がいる。全然試合に関われ
人を巻き込むということ
noteを書くのは久々な感じがします。
2022年になり、自分の中でいろんな心境の変化もあったりしたので、まとめたいと思います。
自分の存在意義あるあるだとは思いますが、コロナウイルスが普及し色々自分を見つめる時間が増えました。
・本当に今のアクションにビジョンは達成できるのか?
・何を重要視していく必要があるのか?
・自分が掲げているビジョンには価値があるんだろうか?
など、この数年間で
若者が挑戦する文化を創る
記事を書くのは久しぶり。
数年前は毎日記事を書いて、ログを残し
挑戦する過程を共有していた。
今日は、福永祐作としての挑戦の
指標を示すために書いていきたい。
今、やっていることが一生かけて
やりたいことかと言われるとNoである。
あくまでも手段であって
もっと先にあるものを目指している。
その幹にあるのが「若者が挑戦する文化を創る」
なぜ、挑戦にこだわるのかを改めて
書きながら整理してい
ある高校生からの1通のメールが僕を動かした
From:福永祐作
こんばんは。僕は株式会社Armoryの代表と
起業家育成高等学院の学院長を務めています。
「挑戦できない環境をできる環境へ」という
経営理念を掲げ、若者が挑戦できる文化を
作るために僕自信も日々挑戦しています。
ある高校生からの1通のメール彼は東京都内の高校の3年生。
中学卒業まではアメリカで過ごしていて
高校進学で日本へ。
生まれも育ちもシリコンバレーで
様々な経験を
個の限界を感じたあの日
こんにちは。福永祐作と申します。
現在は株式会社Armory代表取締役と
起業家育成高等学院の学院長を務めています。
ざっくり経歴を話すと、15年くらいサッカーを
やっていて怪我で挫折。その後ビジネスに
興味を持って大学3年生の終わりに学生起業しました。
株式会社Armoryの前身となる事業を
東京でやっていました。
株式会社Armoryは武器を与えるというテーマで
若者が社会で挑戦するため
輝いているところだけ切り取られるリーダーでした
こんにちは。
株式会社Armory代表兼
起業家育成高等学院学院長の福永祐作です。
最近は、オンラインでたくさんの
若者の相談に乗っています。
今26歳で会社経営をしていて、通信制高校と提携した
起業家育成高等学院の学院長も努めているので
なぜそうなったのかに不思議がって話を聞きに来る。
他にも東大、京大での講演、立命館大学の外部講師など様々。
実績を並べるとそれっぽいんだけど、ぶっちゃけ
挑戦できない環境をできる環境へ
過去の話。
僕はサッカー少年だった。
物心のついたときからサッカーを始めた。
大学サッカーの途中で引退したサッカーという
スポーツに惚れ込み15年間という
長い時間を投資した。ただ、15年で辞めた。
辞めた理由は明確である。プロにはれなかったから。
一応海外のチームから話は来たけど、ダメだった。
未知との戦い正直、悔しかった。それ以上に怖かった。
戦争に丸裸で挑みに行くような感覚だった。