マガジンのカバー画像

あん子の短編小説

13
今までに投稿した短編小説をまとめています。
運営しているクリエイター

記事一覧

【掌編小説】ショート・フォール・フィルムscene#1[ひとつぶ]

【掌編小説】ショート・フォール・フィルムscene#1[ひとつぶ]



すりガラスの窓ににじむ、オレンジの灯り。その向こうには、少し色褪せたカフェカーテンがさがっている。換気扇がぶんぶんとまわり、お米の炊けるにおいが微かにそこからもれている。

窓の内側で、お母さんは台所に立っている。洗いざらしのエプロンのひもをキュッと締めなおしながら、今日のお月さま大きかったねえ、と言った。

そうだねえ、と葉月ちゃんは答えた。ダイニングテーブルにひろげた宿題プリントの上に頬

もっとみる
【短編小説】キンモクセイだったころ

【短編小説】キンモクセイだったころ

 空が青いなあ、と思ってぼんやり上を向いていたら、ふわっと鼻先を風が通り抜けた。

 あっ、キンモクセイ。

「ねえねえ大樹、においかいでみ!キンモクセイ!午前中はしなかったのにね、今季節が変わったね」
大樹は腰掛けたコンクリの土管に目を落としたまま、「ふーん」とつぶやく。右手に、短くちびた白いチョークを持っていた。
「反応うすーい。って言うかそれチョークでしょ、学校の持ってきちゃ駄目だよ」
「ゴ

もっとみる
【短編小説】君には見えない(後編)

【短編小説】君には見えない(後編)

 ※前編はこちらから。

✳︎

 これから出発でーす、と、駅で撮った写真付きで送られてきたメッセージにちらりと目を落とす。結局絢香たちの旅行は大阪行きに決まったらしく、お土産何がいい?とか、何着てこうかな?とか、ナンパされたらどうしよう?とか、私にとってはだいぶどうでもいい内容のLINEが二日おきくらいに送られてきていた。でも別に嫌ではなかった。膨大なエネルギーを思い切り爆発させているようで、見

もっとみる
【短編小説】君には見えない(前編)

【短編小説】君には見えない(前編)

 教室から一歩外に出ると、そこは既に夏休みだった。何となく、だらりとして、ゆるりとして、ひろびろとしている。とてもとてもあたたかい廊下の空気にとぷんと浸かると、体の中心がふにゃふにゃと緩んでいくような気がした。
「ああああっづうー」
 少し遅れて教室から出てきた絢香が、げんなりした声を出す。ちょっとだけ隙間の開いた教室のドアから、冷凍庫みたいなひんやりが廊下に細く漏れてくる。肌の表面で、あついとさ

もっとみる
【掌編小説】すいかがはぜる

【掌編小説】すいかがはぜる

 学校の近くにあるパスタ屋でバイトをしてから帰宅すると、玄関の前に大玉すいかが落ちていた。
 アパートのちいさなドアの足元に、ごろりと転がる大玉すいかを見つけたとき、私はそのことを何とも思わなかった。寝ぼけた子供みたいに、ああ、玄関に、大玉すいかが、落ちている。そう思っただけだった。大学の講義で頭はパンパン、バイトでは生っちょろい腕に二個も三個も皿を載せ、おまけにガールズトークというやつに神経をす

もっとみる
【掌編小説】げんえい

【掌編小説】げんえい

 ベニがどこかへ行っちゃったんだ。

 目が覚めたら12時だった。つけっぱなしのテレビから、梅雨前線がどうのこうのと喋るアナウンサーの声が聞こえてくる。二度寝している間に、どうやら梅雨が来たらしい。
 のそのそとベッドを這い出して、窓のカーテンを開けた。白い光ーーほんとに雨が降っている。梅雨だからってかしこまっちゃって、“しとしと“なんて音まで行儀の良い雨だ。
 申し訳程度についている流しで水をく

もっとみる
【連作短編】とおくでほえる/#6 呪いのおわりと春の外側

【連作短編】とおくでほえる/#6 呪いのおわりと春の外側

それは一瞬のこと。繋げようとした線をさえぎったのは、自分だった。未熟な自分を空中に放り投げて生きてきた十年が、俺の足を引っ張ったんだ。

 とっくに忘れたと思っていた。あの時の歪んだ感情も、その後の後悔も。 全て乗り越えて次のステージへ、そして新たな出会いを重ねているつもりになっていたのに。一瞬で、たった一瞬の眼差しで、あんなにも鮮明に引き戻されるなんて思わなかった。だってあまりにも眩しかったか

もっとみる
【連作短編】とおくでほえる/#5 映らない

【連作短編】とおくでほえる/#5 映らない

わかって欲しいのにわかったフリはして欲しくない。見つけて欲しいのに見抜かれたくない。そんなわがままな自分が惨めで仕方ないんだ。

 家の玄関を出た私は、気づいたら走っていた。息が詰まってしょうがなかった。とにかく早く家から遠ざかりたくて、私は厚底のローファーをバタバタいわせながら走る。最初の角を曲がってからようやく足を止め、ゆっくりと息を吸って、吐いた。吐いて、吐いて、吐き出した。胸の奥に沈んだか

もっとみる
【連作短編】とおくでほえる/#4 知らないフリ

【連作短編】とおくでほえる/#4 知らないフリ

わたしの手はいつまでも、お兄ちゃんにとどかない。だからやくそくしてほしかった、忘れられちゃうのがこわくて、あんしんしたくて。

「サクラはたぶん、べつのせかいに行っちゃったんだよ。三月うさぎみたいに、あなにおっこちて、それで……」

 声がふるえそうになったから、話すのをやめた。あたまと首がしばふにくすぐられてちくちくして、土のにおいもして、それで目の前にはぼんやり光るしかくい空がだまってうかんで

もっとみる
【連作短編】とおくでほえる/#3べつのせかい

【連作短編】とおくでほえる/#3べつのせかい

点と点を結ぶ線を、自由自在に描いて繋ぎ止めておければいいのに。そうすれば、不自由な言葉なんていらないのに。

 サチエさんが帰ってしまうと、まるで店の中が空っぽになったような気がした。さっきまで彼女が座っていたカウンターの端っこを見つめる。何かあったのか、上の空で固まっていた彼女は、それでもゆっくりとホットサンドに手を伸ばして綺麗に完食してくれた。そっと残された、からのカップとお皿。それらがまるで

もっとみる
【連作短編】とおくでほえる/#2 オオカミの目

【連作短編】とおくでほえる/#2 オオカミの目

マエノ君の目の中に映る私に会いに、私はそのカフェへ足を運ぶ。私の瞳も、マエノ君を映す鏡であればいいのに。

 太陽が眩しい。怪物みたいに大きくてギラギラ光ったビルの間を早足で歩く。こうしていると、だんだん自分が色を失っていく気がする。すれ違う人とぶつからないように歩くのも、随分上手くなった。

 ビルとビルのあいだに、突然細い小道が現れる。薄暗く翳ったそこに、私は吸い込まれるようにして足を踏み入れ

もっとみる
【連作短編】とおくでほえる/もしもの私

【連作短編】とおくでほえる/もしもの私

硬く縮こまった記憶を溶かすような春の匂いが漂う日、憧れだったかもしれないその場所で、私はもう一人の私を見た。

 トウキョウ、と口にするといつも、私の心臓はチリチリ泡立つ。電車から降り、人の波に乗って改札を出ると生暖かい匂いがした。トウキョウの、春の匂い。

 たくさんの人々が流れるように歩いていく先には、一体何があるんだろう。顔も服装もみんな違うけれど、どこか同じ空気を感じる。東京を着ている。無

もっとみる
【短編小説】ことしの桜

【短編小説】ことしの桜

 四月二日、金曜日。曇天。
 湿ったぬるい空気を引き連れて、電車はプラットフォームに滑り込む。重たい風がぼうっと立ち尽くす私たちの頬を叩いていく。甲高い音と共に電車は止まり、ドアが開くと人の波はゆらりとうごめいた。
 あれ?何かが脳みそに引っかかった気がして、私はきょろきょろしながら電車の乗降口に足をかけた。
「だからさあ、ほんっと疲れんの、その子の相手」
「そっか」
 つい返事がおざなりになる。

もっとみる