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#未来のためにできること。プロのWEBライターになるために。翼祈(たすき)の場合。

こんにちは、翼祈(たすき)です。
去年もチャレンジしたこのお題「 #未来のためにできること 」に、2024年もチャレンジしたいと思います。

私は将来的には、プロのWEBライターを目指しています。そのために、今年は色々挑戦しようと思っている年です。

会社の仕事においては、自社メディアではまだ掲載されていないWordPressにあるものや、下書きを含めて800記事を書いて、このnoteも6月に400記事を更新したと通知が来ました。

去年だと出会えなかった仕事も多く、とても実りの多い時間だと思っていました。

2024年7月。ある仕事を観ました。それは業務依頼で、数ヵ月に1本、インタビューの記事を書くという仕事でした。

この仕事はクラウドソーシングではなく、直接会社の募集に申し込み、書類審査から面接を経て、お試し期間があって、正式に採用というものでした。

私は自社メディアの方針で、多くの障害や病気、難病の記事を書いてきました。記事を書くために、色んな大学の論文なども読むこともあります。

私はプロのWEBライターでも、自社メディアの様な、障害者をインタビューする人、自分の持つ発達障害を取材するWEBライターになりたいと思っています。

この業務依頼は、自社メディアに近い媒体でした。

「今まで会社で書いた記事の経験などが、活かせるかもしれない」と思って、応募しました。

応募は、WEBの書類提出でした。「自分の既往歴は何がありますか?」「インタビュー経験などはありますか?」などの質問があって、私はインタビュアーとして参加し、編集した記事も書きました。

WEBといえ、久しぶりの書類提出でした。

連絡が来るまで、ワクワクドキドキしながら、待っていました。

2024年7月24日(水)、見学者の方にWEBライターの仕事を説明した時に、結果が送られて来ました。

「あ、結果が来た。今見たら、説明に影響が出るかもしれないから、今は見ないでおこう」と思って、説明を終えた後で、観ました。

読んでいくと、
「ご自身の経験談や、弊社の仕事に賭ける想いを丁寧に綴って下さり、ありがとうございます。弊社で検討した結果、残念ではありますが、ご希望には添えないことになりました」

そう、不採用でした。

私はこの業務依頼に凄く賭けた想いがありました。自分の中で、この仕事が将来自分がなりたいと思っている、プロのWEBライターになる道が少しずつ拓けるとも思っていました。

結果を観て、酷く落ち込みました。

落ち込む私を観て、会社の支援員さんはみんな、「これも経験だよ。次があるから」と言いました。

直接言いませんでしたが、「次はない」と私は知っていました。

私は「外部依頼、チャレンジしてみませんか?」と提案を受けてから、ずっとクラウドソーシングサイトを観ていますが、まず私がチャレンジしたいものは、早々載りません。

月に1本掲載があれば、良い方です。

しかも毎回人が殺到し、応募の準備をしていて、いざ応募しようとすると、応募ボタンが押せず、気付いた時には募集が終わっていることもしばしば。

簡単に「次があるから」と、言って欲しくありませんでした。

それ以外ですと、某サイトで寄稿する、障害者のプロのWEBライターさんの記事に、読んでいて焦ったり。

私は仕事の上でも大きな変化がありました。それは2024年だけで、WEBライターの後輩が5人も増えたことでした。

所属する会社はデザイナーの希望者が多く、WEBライターを希望する人はなかなか入社がありません。確か去年は1人も新しく、WEBライターになった人はいなかったはずです。

今年一気に入ったことで、今までまだまだ入社した月日が短い、と思っていたものが、一気に真ん中までなりました。

最近はないですが、新しい方が入社して間もない頃、先に入ったものとして、研修をした時もありました。

「これが、入社して3年になろうとしているからか…」と。

私の中では今年は、今から言うのか?と思うかと思いますが、2024年の一文字は、「」だと思っています。

私は業務依頼の仕事が不採用だった日の夜は、悔しくて泣き続けました。次の日も体調が悪すぎて、欠勤でお休みしました。

2024年7月25日(木)、朝から母に2時間、「何がダメだったんだろう?どうしたら、良い結果が来たのだろうか?」と、言っていました。

私は完全に文系なのですが、時々自分の考えや仕事の向き合い方を母に、仕事から帰ってから、ずっと議論していることが多いです。

いつもだったら、「また言っているよ」「まただよ」という顔しかしない母が、この日はこう言いました。

あなたがなりたい仕事がそこにあるなら、海外とは言わないけど、東京に行ったらどう?」と。

いつもなら、「どこでも好きに行っていいよ」しか言わない母が、この日は具体的に「東京」と言いました。

私はまだまだありがたいことに書きたい話題があるので、書き続けたいと思いますが、敢えて何かは書きませんし、誰から何を?と聞かれても答えませんが、今焦りがあります。

そのことを考えると、1年後もこの会社で仕事をしているのか?と言われると、かなり可能性が低いと思っています。

2024年8月1日から別の部署に異動する、ずっとお世話になっている生活支援員さんから、「一般(就労)に早く行って欲しいな」と、この間も言われました。

色んな意味で、私は今年は動く年だと思っています。

そのためにも、色々考えていることもあります。

業務依頼や、チャレンジしてみたかったことが叶わなかったりと、2024年7月現在、運気は上半期に比べて低迷している気もしますが、最後にこの記事で一言。

私は、プロのライターさんのコミュニティに、入会します」。


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