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「でんでらりゅうば」 第15話
――「古森は、この村で一番古い家て言われとったい。名の示す通りたいね……」
囲炉裏の向こうに座って編み物をしながら、年寄り婆が言った。髪は総白髪で、背はかたつむりのように曲がっているが、しかし眼光は鋭く、細い二本針を使って編み物をしていた手を止めると、顔を上げて安莉を真っ直ぐに見据えた。
冬のあいだは畑仕事もできないし、郷の駅も閉めてしまうので、何もすることがない。それで村人は家囲いや薪集めなど冬の支度を済ませると、家に籠って春の雪解けまでのあいだを過ごす。安莉が村のことに興味を持っていると知った村人が、その婆のところへ行くといいと教えてくれた。そして安莉はその日、この家の婆に、お茶でも飲みにおいでと招かれたのだった。
老婆は村でももっとも年かさの老人のひとりで、もとは古森家の出であり、御影の家に嫁いだので姓が変わっていたが宰という名だった。年齢は九十歳を少し過ぎたところだ、と本人が教えてくれた。この村は人数は少ないが、昔から長生きが多い、と、お茶受けの高菜の漬物を勧めてくれながら宰婆は言った。実際今この村には、九十歳を過ぎた年寄り婆が五人もいるということだった。ひとりは自分、あとの四人は御影の由に砥石の撥、星名の静。そして百歳を越えていると言われる古森家の最古参、お縫婆がいた。
「なあんでか、昔から女の名前は漢字一文字て決まっとったいね。そんで男は皆二文字」
いつからの伝統なのか、宰婆にもわからないらしい。けれど宰婆が子どもだったとき、お祖母さん、ひいお祖母さんも皆、もうすでに一文字名前だったというので、かなり古くから引き継がれている伝統であることは間違いなかった。
「お縫さんはな、まっことえらい婆さんたい」
今は編み物の手を完全に休めた宰婆は言った。お縫というのはこの婆の本名ではなく、本当は違う名前があるのだが、本人を始め村の誰ももうそれを忘れてしまっていた。そしてまた、この婆の正確な年齢も、もはや誰ひとり知る者はないという。直近の年下の家族が皆先に死に絶え、当のお縫婆に聞くこともできないため、それは人々にとって永遠の謎で、それゆえに今なお生きながらえているお縫婆のことを知るには、村人たちによって伝えられるさまざまな伝説に頼るしかなかった。
お縫婆は、若いころから鋭い霊感の持ち主だったと言われている。時折ふと神懸かりのような状態になると、ご神託のようなものを授かっていた。その昔、大森神社の建立の際にも一役買ったという噂がある。若いころは、その年の収穫の良し悪しを占ったり、婚礼の縁結び役を勤めたりと重宝がられていたものだったが、あるときから突然様子が変わってしまったという。
お縫婆は、ある日降りてきたご神託に震え上がり、酷く怯えて部屋に引き籠もってしまった。家の者が懸命に聞き出したところ、忌まわしいご神託が次から次へと、勝手に口から出てしまって止まらないという。その内恐怖に耐えられなくなったお縫婆は、自分で自分の唇を縫い潰してしまった。唇の真ん中部分を少しだけ縫い残しており、食事は汁物や粥のような流動食をストローで摂取するようになった。
「やけん、〝お縫婆〟て人から呼ばれるようになったたいね」
宰婆はお茶をずるずるっと音を立てて啜った。
それ以来、二度と言葉を発することができなくなってしまったお縫婆だが、それでも時折急にトランス状態に入ってウンウンというくぐもった声でご神託を降ろすことがあるという。それを通訳できる者が村に唯ひとりおり、それはお縫婆の弟の曾孫に当たる、凜であった。
古森凜といえば、郷の駅で一緒に仕事をしていた仲間のひとりだった。確か今十七歳ぐらいということだった。若いのに臈長けた陰に籠もるタイプで、郷の駅に働きにくる若者の例に漏れず、安莉とは遠目から互いにときどき視線を合わせる程度の関係だった。
「凜はな、なしてできるかわからんばってん、お縫婆のご神託をすらすら通訳するとよ。普段の言葉はいっちょんわからんて言うとやけど、ご神託のときはわかるてたい。まっこと不思議か。お縫婆はウンウン言うとるだけとに、それを凜は迷わんとうちらのわかる言葉にして教えてくるっとよ」
再び編み棒を取り上げながら宰婆が言った。
「ほしてそいがぴっしゃり当たっとうけんね。たまがっとよ。夏の終わりごろに、お縫婆は今年の秋の収穫は大成功、て言うとらしたそうたい」
たまたまではないのか……と安莉は思ったものの、口にするのは控えた。興奮して嬉しそうに喋っている年寄り婆の話の腰を折りたくなかった。
「婆ちゃん、大森様って……」
安莉は今また、ここに初めて来た日に泊まった下の村の温泉で二人のおばさんたちに聞いた大森神社のことを思い出して、興味を呼び覚まされていた。大森神社の建立時にお縫婆が一役買ったと宰婆は言った。そこのところをもっと詳しく聞きたかった。
「お縫婆さんは、大森様の建立のときに何をしたの?」
中途で止めていた編み物を再び始めた手を忙しく動かしながら、宰婆は黙っていた。聞こえなかったのかと思い、もう一度問い直そうとして息を呑んだとき、宰婆は顔を上げて言った。
「竜やと」
「えっ」
「竜やちゅうたたい。まだ若かったお縫婆にそんときもご神託が降りてな、建立の儀式ん最中に、ここん神様は竜神様やと叫んだらしか。ほんなこつ神様がお縫婆にそげん告げたんかどうかは誰にもわからん。けどそんころお縫婆のご神託ちゅうたら絶対間違いなかって言われよった。やけん村ん衆は今でも皆、それを信じとるとたい」
大森神社は、この村の始祖であった大森家が建立し、現代まで祀っていると言われている。
その昔、大森の祖先が今の村の裏手に当たる、当時は村の入口であった北側の地所に竜神様の小さな祠を建てた。それが大森神社の始まりであるとされている。大森家から後に古森と星名という二つの家が分かれたが、神主に当たる仕事や実際の神事を執り仕切るのは古森家で、婚礼や葬式などはこの村ではすべて神道の儀式によって古森家が行うことになっているという。星名家は古森と並んでこの村ではもっとも古い家柄として知られ、自らこそ竜神の血を引く一族と称した。だが当初は誰もそれを信じる者はなかったという。
「最初はちっさな祠に過ぎんかった竜神様をな、星名家が村ん衆を使うて、立派な神社に建て替えたたい。そんころはまだ村人の数も多かったし星名は実質的に一番大きな権力握っとったけんね。で、そんときよ。建立式の、厳かな空気んなかで、お縫婆が気が触れたようになってそげん叫んだたい、ほんなことやけ、村中が皆、こん神社は竜神様やて認めたとよ」
宰婆はそれをまるで自分が今見てきたことのように語った。その竜神は星名家に乗り移り、星名の家が栄える限り、この村を守り存続させると信じられている、と宰婆は言った。
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