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2023/08/04
心身健康になってきて、仲の良い人が言っていた「誰と話ししても瞬間的な『楽しい』は生じるけど、その『楽しい』を継続(執着)してまで欲しいと思うのは限られたものだよ」が少しずつわかってきた気がする。
心理学の本を読んでおもしろかったのは依存症は「否認の病」であるという点。報酬系への欲望過多というより欠乏過多なのだとイメージが一転し、欲しいと願う気持ちより足りないと認めたくない気持ちなのだと。瞬間的な
22’10新しさのない毎日、愛される学習、エンドロールのクレジット
アイスコーヒー、卵、スープ、ブリオッシュ
サラダもあれば
かわいい形のパンケーキがつくれる機械で量産された小麦粉の塊たちを緑の葉っぱと合わせて
それらしい
他にも、サンドメーカーがあると薄めの食パンにいくつかの具材を挟んで、悩めばチーズとハムを入れておけばよくて
メーカーで入れたエスプレッソにお湯を足してアメリカーノにして
簡単にそれらしい
なんだかそれはそれでいいんじゃないかってものができ
22’07-09ひとりごとは、一方通行の冗談めいたポイエティーク。誰かに食べてほしくて差し出す、
7月
「あなたのことが好きです」と目を見て対面で真っ向に伝えたい。そのように伝えられる機会があることはたとえ玉砕であれ幸せなことなんではないだろうか。言える前に玉砕することも少なからずあるからだ。例えば好きですと伝えるためだけのファンレターは送る人の気持ちを満たすことが多い。ただ好きであることを伝えるだけなのに、そうやって伝えられることに幸福を感じるわけである。”伝わった"と思えることはとても重
22’06connecting dots
剥がれかけの瘡蓋を剥がす瞬間が何よりも亢進することがある。
出来立てホヤホヤの皮膚と無理やりひっぺはがすことで隠されて守られていた赤みがかった皮膚が痛みを顕にしているようで。そんな新生と痛みの共存にどことなく興奮を覚える。
やわやわな皮膚、再生されていく様はぶつ切りでしか見守れないが体の何かの成分が頑張って再生しようと治癒を促してくれる。
ぶつ切りで「私」を見つめたならば、そこには治癒の何かが出
22’06Connection addicted
毎月何かしら心の整理に書いていた文章を書いていた人間だった。しかしながら心が躍らない。
書きたいこともさして見当たらない。
自分のことを書こうと思いつつも、「まぁいいや」で終えてしまう。自分のために書いているはずなのに、それすらも「なんだか気乗りしない」と気づいたら数十日放置されてしまうことが増えた。日々の無気力に圧迫され、寝て寝て寝て脳を休めたくて、そんな風に自分を甘やかしていた。
現に今も気乗
22’0321 寂しさに飢えている君の声は喉元を通った
一体いつまで私はこの元気のなさを更新しつづけるのだろう
夜になっても朝になっても心の傷みはつづき続け、不安が募るシーソーゲームに打ち砕かれそうな毎日が常時目の前にあった
とんでもないコマ数のすごろくシートを勝手に広げられてはスタート地点に立たされ、そこから前を見れども数えきれないコマ数に途方に暮れるような日々
腐食したリンゴを眺め、歯形のついた赤に反する黒く傷んでいる部分が在り続ける。最近、心
哲学(カテゴリー)引用数ランキング
Google scholar、the Stanford encyclopedia、Philpapers内のソート順トップ10を比較。
参照サイトはタイトルリンク
Google Scholar 1. ハイデガー 390791 独
『存在と時間』
Being and time(1927)PDF 40115
2. ジャック・デリダ 364740 仏
『グラマトロジーについて』
Of grammato
顔のあざと共に過ごすこと
少し前、書店に行った時こんな本を見つけた。
『ふたり、この夜と息をして』
よくある少年少女のジュブナイル、高校生の青春恋愛物語のようなお話だ。学生特有の気恥ずかしさや傷心の成長ものはもうあまり読まなくなったのでそういったコーナーを見ることもなくなっていたのだが。
その時はいろいろな感情がごった煮に混在していて、その時ちょうど手元にあった自分の小説を近くにいた小説をいろいろ物色する男子高校生に渡