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「乗馬は読書に似ている。」

サモトラケのニケにしか発情しない人がいるように、蟷螂に興奮する人はいないだろうか。メカの部品と部品の境目の興奮する人はいないだろうか。

最近読んだ漫画『SHAMAN KING』の1話で主人公が橋の上で3時間ボーッとして「自然と一体になるって気持ちいーな」と言っており、その場面に妙に共感してしまった。

そういえば馬がやけに好きな人がいるなと、人生を過ごしていれば出会す一つのオタクスポットがある。この興奮は一つ目に語ったサモトラケのニケのようなものなのだろうか、それともシャーマンキングの漫画の一台詞にあった自然と一体になることなのだろうか。
猫や犬といった分かりやすい愛玩に留まらない情が入り込めている気を馬を語る人から感じることがあるからか、一つ目とも二つ目とも言い難い位置にいる。

乗馬をしたいと思ったわたし。
それは動物の毛並みにふれるこ触れることや乗った時に味わう風のさわやかさ、生命とつながる一体感を想起させた。

話は変わるが、今回ヨーロッパを周遊する中でモレスキンは絵のスケッチで埋まり尽くした。
私の中でのメモは絵なのだと思った。文字より絵なのだと。

私は本を読むことがやめられない人間だが、読書が好きだということはあまり公言しない。
これは一つの理由があって、読書が好きというと本を読んで頭の中にメモライズされた情報を尋ねられるからだ。
私の中のメモは文字ではなく絵なので聞かれても答えられるのはあくまで景色である。文字を求める人にはがっかりされるのでこんな気分を味わうなら本が好きだなんて言わない方がマシだと控えるようにしている。
読書は私にとって旅で景色を見ることで、山を登った人に登った感想を尋ねる程度の返答しかできない。私がみたものはそれなので。そんな景色を見た直感的感想しか言えないのである。

自然に染まりきる乗馬のような読書をやめられないとすれば公言可能だろうか。

しかし小説『ある犬の飼い主の一日』に寄せられていたいしいしんじ氏の「犬は小説に似ている。」は全く意味がわからなかったな。

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