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Learning to love you more-虐待少女は文学少女となる。

 白いシーツに染み渡った血が白靄の混じった光に照らされることなく布団の影の下で私に見つかった。そんなアメーバのように広がった水溶性の下水の泥と変わらぬ赤い沈殿物を隠すかのようだった。これは、見つかってはいけない。誰にも見つからないように廊下を歩き、ひっそりとお風呂場で血の海を流す。何事もなかったように隠し通すために。
 私が初めてうそをついたのはそれと変わらぬ時だった。
 真っ白なシーツは起きたら寝具たちが打ち合わせをしたかのように端にひかれ偶然にもしわ寄せができている。私の人生もそのようだと言ってしまうと、それは嘘にならない。私の人生は赤いシミを隠さなければいけないような習ってもいない初めてのウソが続いては終わってくれないようなものだった。

四月十日。木曜日。
 ドゴン。また音が鳴っている。ああ、一日が始まるのか。鉛みたいな布団を抱えて風が吹きやむのを待っていても一日は終わってくれない。惨たらしい音へと足を進めなければよりこの凶悪な音は深くなってしまうのだから観念して受け入れた足を持たなければいけない。いくつものボーダーラインが朝を始めようとする。いつまで私はこの中を私をつぐませるために用いようとするのだろう。いつになれば心をここ以外に紡ぐことができるのだろう。
 日記なるものをつけ始めてから、半年がたった。今日も私は嘘をつき続けている。三月はライオンのようにやってきて本当に子羊のように去っていった。こうやってノートに記すのも半月ぶりだ。春を迎えるとなぜか新しい自分が生まれるような気がしてならない。人間は十六歳から二十歳までにその人物の人格が作られるなんて、ルソーだとかが言ってたらしいが、今春の新しい私はその終わりの二十歳を迎える年になる十九歳だ。時計の針の長針が十一を指した、五十五分みたいな残りみたい。そんな五分程度の足掻きで人格が変わることなんてないだろうから、結局のところ長針の針がどこを向けていようと私は季節にかまけてどうせ新しくなっているとサボった私を続けるだけだ。サボった私は楽だから。たとえ空の色が濁って見えたとしても。

 十六の私がやっと終わりが迎えられたかのように終わりの想像をして書いていた日記があった。あれから本当に私は二十歳を迎えようとしていた。五十五分から終わりまでの五分の中にいた。

六月十日。木曜日。
 ようやく私は二十を迎えられる。今日はお役所に行って初めて自分の口から「ぎゃくたい」という文字を吐いた。この言葉の強さにはいつも吐き気がする。どうやら欧米ではマルトリートメントだといって、不適切な養育というらしいがそっちのほうが気が楽に思えて仕方がない。不適切かどうかと尋ねられたら不適切だったということはわかるしいえる。でも、虐待かどうかだなんてそこまで言えるものかどうかは喉の奥がつっかえてしまうから、押し棒を指されたような気分にならなければ吐けない。結局、痛い。
 自分ががんばり続ければ未来は変わると思っていた。ルソーだとかもそこで人格がつくられるとか言っていたから、この四年は私はいつにも増していい関係を築けることを諦めなかったんだ。血まみれになったシーツを隠して洗わなくてもいいように。
 誕生日を迎えたから、記念に自分に一冊、文学の本を購入した。何がいいのかわからないけど緑がきれいだったから村上春樹の『ノルウェイの森』にした。こうやって小説を手に取るのは十六歳のあの時ぶりだろうか。思えば本は私にとって呼吸器のようなものだった。言葉はほぼすべて本から教わった。本を読んでいる時だけは息が吸いやすかった。私のお家では、どうやら私には発言権がないみたいで、決まった二つの言葉しか発することができなかったから。「はい」と「すみません」、この二つ。すいません、ではなく、すみません、である。す・み・ま・せ・ん。何の感情もこもっていない文字の羅列を淡々とボタンを押すように操作するものと変わりなかった。Aのボタンをポチっと押したら「はい」がでる。Bのボタンをポチっと押したら「すみません」がでる。二つしかないボタンをカチカチ押すだけ、私にとってお家の中で口に出せる言葉はそんな機械じみたボタンのスイッチだった。言葉はスイッチ。押せば勝手になる、ただそれだけのスイッチ。押す場所を間違えなければいいだけ。とにかく必要になれば押せばいい。どれだけの怒鳴り声も、激しい物音もいつか止んでくれる。

 初めて言葉を操れるという感覚を味わったのは本と出会った時だった。学校の図書室に赴くと無数の言葉が出迎えてくれた。本の中にいると私はいつも息苦しくなかった。たとえ、家の中でも、ああ、空気がある、とひしひしと感じた。深海の海に閉じ込められたような使う言葉が限られた世界に突如として息が吸えることが許されたような世界の開きを与えてくれた。無数の言葉の海に埋もれることは何よりも自由を感じた。ここにある言葉たちは私は自由に動かしていいんだ、ここの言葉たちを私は感じ取って、吸って、味わって、泳いでも邪魔されないんだ。初めて本に出合った時、こんなに泳げる世界があったんだと感涙したことを私はいつまでたっても忘れることができない。私にとって呼吸を渡してくれた、本はいつまでも私の手元から離れることはない。虐待少女はそうして文学少女として息を授かった。自由のある言葉の海を、飽きることのない深い深い終わることのない海を授かった。ここでは、血の付いたシーツを隠す私はいなかった。嘘のない私だけの私。

六月十一日。金曜日。
 私が家族を愛していたかどうか、なんて簡単な話だ。愛していたし、今でも愛している。
 私にとってそれほど親というものは大事で大切な存在で。何よりも小学生の頃は出掛けに連れてもらったり食べ物を食べさせてもらえたりしてもらえたのだから。私は家族のことが大好きだった。今でも変わらず両親の背中には尊敬している。それは両親は変わらず家事も仕事も働き続けていることを行なっていたから。世間ではもっと崩れている大人もいる。そんな中でそのことは十二分に値するほど親は親として全うな大人として生きていた。「お前は子どもではない。奴隷だ」「当たり前だろ。下っ端なんだからお前が動くんだよ」ということにも従えた。それは本当に私が住む場所というものを与えてもらっているから。食べるものを用意してもらっているから。学校へ問題なく行かせてもらえてるから。そのくらい従わなければ分が合わないほど恩恵を受けていた。私はこの人たちがいるおかげで生活が送れていると、皮膚を炙られたりする暴力も愛情だと思えた。 いくらお風呂にたまった少し熱い水の中に何度も空気が見えなくなるほど頭を沈められても。それは愛情だった。
 少しだけコミュニケーションがうまくいかないだけ、ただそれだけだと思った。私がもっとしわのない真っ白なシーツのようになれれば怒られることもなくなるんだ、あの人たちに褒められることもあわよくば訪れるのかもしれない。その前にあの人たちと会話をすることができると思えていた。あの人たちに私のスイッチではない言葉を聞いてもらえるかな。私の言葉が耳に届いてくれることがあるかなって。学校で行われるテストで学年の一位をとっても認めてもらえず、自分のことは自分でと、大好きな本でパソコンのお勉強をしてお金を稼いでも「お前だけ金持ち」と揶揄されたことから絶望を抱くことにはなったけれども。でも、それでも学校に行けていることや食べ物を食べさせてもらえていることや、住むところないし養育費を負担してもらえていたから親は親としての真っ当な仕事をこなしていたと変わりなくずっと、投げ捨てられずに思い続けている。 
 私にとって親は、完璧を目指しAIのようなアンドロイドになりたいと思っていた十九歳までは、完全に神と変わらぬ存在だった。その人がいるから存在できるだとか、その人が何かいうのならばそれが全てだとか、その人に貢献するために生まれてきたとさえあのシーツのしみのように染み渡っていた。そのように生きなければ生きることができないとそうするしかないと思っていたから。人格が決まってしまうだなんてルソーの言葉を反芻させて長針のリミットが十一になったころぐらいには、完璧にはならなくていい、機械的反応のAIにならなくても生きていてもいいと思えるようにはなったのだけれど。それでも、神と変わらぬ存在とおけるほど私にとってその人は全てだったことは変わらない。私にとって大事なのはその人で、何よりも優先される人はその人で、何よりもその人がいなければ私が生まれることなどなかったし、生を持続することも不可能だったから。世界の何に変えてでも変わらないほどとてつもない大事な存在だとその思いは十九年間も持ち続けていたのだから綺麗真っ白に剥奪などは不可能である。私にとってその人は何よりも何にも変えがたい大切な存在なのである。それは、その人以上に大切にしたいという人が現れていないからでもある。その人が人を殺せというのならば人を殺すことも全人類誰に対しても行うことができる。それほど私にとってその人は全てであり、私にとって何にも変えがたい大切な人だからである。「大切」という言葉は私にとってそれほど重い言葉だった。 

六月十二日。土曜日。
 人って、十八と十九の間を行ったり来たりすべきなのよ。そしたら、いろんなことがもっと楽になるのになんて言葉が本から入ってきた。傷ついた心はもう元に戻らないんだね。しわくちゃになったシーツを何度も戻して眠りにつくのに、朝になったらまたシーツは寄ってしまうんだもんね。起きて、私が治してあげないと日中もずっと崩れたままなんだろう。でもそうやってしわを一生懸命治したところで、突然やってくるあの血の塊を洗い流す悲しさにいつも涙が止まらなくなる。
 そうやって朝を迎えたとき、恋人に今日あるコンサートの情報をスクリーンショットに映して送ったのだけれど、どうやらその画面に映る涙までは送れなかったみたい。送ったつもりだったけど、私に映るものをすべてあなたに映せるわけではないから。いくら文明が発達しても。きっとこの先もこんなことに私は胸をふさがれる。これは、嘘になってしまうのだろうか。心はいつも一つだと思っていたけど、誰も分裂することを知らない。今ある私以外は、誰も。

八月十日。木曜日。
 時折やってくる虚しさに呟くことがある。多くの人はそれを外部的な何かに求める。果たしてこの虚しさを埋めるのはそのような自分では埋められない何かなのだろうか。
 結局のところそれは本当にその何かを手に入れたとしても虚しさにつぶやく状況は変わらないのではないか、と思ってしまう。それは祈りのように思える。そのように時折やってくる虚しさに、過去何度か対処しようとしてそこに向き合ってなお自分だけではどうにもならない空虚さの時間を味わった者に訪れるようなやるせなさの呟き。結局のところその何かは祈りでしかないわけだ。そんなふうに思ってしまう。
 心の虚しさを埋める存在がいた時がある。かなしくなった時にその時間に寄り添ってくれる存在は日々の生活に安心をもたらした。充足される気持ちはどこか豊かだった。対話の時間はいつの間にか通り過ぎるように当たり前に増えていく。「その何かと触れ合う時間」はみるみる私の生活のパズルにかっちりと組み込まれていくようになる。
 そんな存在がいた時があった。でもその存在ともどこかですれ違う。よくいう「恋の寿命は三年」のように、変わりなく回っていた歯車が噛み合わなくなってくる時が訪れる。結局合わなかったんだ、なんて思ってたりしたけど。でもやっぱり互いの想いとしては「その大切な存在を大事にしたい」という気持ちで接してたりする。結局の根幹は同じだったりするわけだ。
 どこですれ違うのだろう。大事にしたい思いは同じでも、その大事にしたい気持ちの純度だったり作法は千差万別ですれ違ってしまう。大事に思ってる気持ちの度合いが数値で現れるわけでもなく、大事にしているつもりでもそのやり方では逆に相手に大事にされていないと思わせることになってしまったり。そんなすれ違いが度々おとずれる。根幹の気持ちが同じでもすれ違う。悲しい思いを抱える。つらい。何かとは分かり合えないんだと、虚しさはやってくる。
 なんて贅沢なのだろう。結局のところ祈りはやめられない。互いに大事でも傷つけてしまうことがあるし傷ついてしまうことがある。そうなってしまった時、縁の切れ目を想像してしまう。「あぁ、この存在とはわかりあえなかったんだな……」
 本当にそうだろうか。この作法の違いについて、大切にしたい思いの伝え方の違いについて、互いに分かり合おうと、知ろうとしなければならない。そしてそれを覚えようと何度も相手を見つめなければならない。「大切にしたい」と思うならば、この相手を見つめる行為を何度も何度も行うことを怠らないことが大事なのではないのだろうか。だって本当に大切な存在だから。
 「どうしてわからないの」ではなく、「どうしてそうするのか」「どうしてそう思うのか」もっともっと相手を見つめなければならない。そうすることが祈りの代わりになってくれるような気がした。とても疲れるけれど、そうすれば求める何かの存在に思いを馳せなくてもずっと変わらず満たされる時がくるのかもしれない。

十月十日。木曜日。
 私のおじいちゃん、生まれたときからいなかったのだけれど、鬱で自殺していなくなっちゃったんだって。それは私の母という彼女が十八か十九くらいの話かしら。あの人のシーツの血はそうやって隠されていたのかな。ずっと、行ったり来たりしながら、終わらない嘘をつきつづけたのかもしれない。このシーツは真っ白だなんて、思っちゃいけなかったね。彼女は何度洗い流したのだろう。心の痛さは見えないから、触れられなかった。

 本当の私を出す機会が失われて、どこまでが嘘かどうかもわからなくなってしまった。「ぎゃくたい」なんてのも、もしかしたら嘘だったのかもしれない。血のついてしまったシーツを朝の内に流して、真っ白なシーツに戻さなきゃ。そう思っていたのだけれど、今日は夜になっても開けっぴろげに血がシーツに染み付いたままになってしまった。しわの寄ったシーツに目が向いて、泣きそうになってしまった。思わず私はそのシーツを偶然ではないぐしゃぐしゃにして私の心の痛みを見せつけるように、そのまま云えない心を抱えたまま物語の幕を閉じるようにパタンと眠った。これからは、私が私を愛すための本を学んでいかなければならない。十八と十九を行ったり来たりして、永遠の眠りについてしまっては、誰かのシーツの血となってしまうかもしれないから。寂しさは夜にとかそうと思った。

 その後、恋人にシーツの話をした。それからは、恋人とご飯を食べれたとか、人と喋れたとか、身なりを綺麗に整えただとか、お風呂に入ったとか、できたら「すごいね」とか「やったね」とかそんなことを話すようになった。そんな、そんな小さな生活努力の証人がいること、どんな自分であれ対等な目を向けてくれる人がいること、そんな存在肯定の褒め言葉が戻らないシーツのしわを少しずつ伸ばしてくれるような気がして、受容とはこのようなことなのではないかと一針一針縫いこんでいく関係性の紡ぎ方を感じた。元から家族であっても、他人であって、私たち家族にもそんな他人と縫いこんで行くような過程が隠されたシーツによって出遅れてしまったのかもしれない。それでも暖かなスープを分け合って、こんな棘も受け入れられたら、映画よりも美しくもなれそうな気がした。たとえ不恰好なガーゼだったとしても。
 そうやって私は、少しずつ嘘の私を取り外して他人と言葉による関係の糸を紡ぐ作業を始めた。いらぬ虚栄心など捨て私はもっと至らない人間だと素直でいたくて。飾らぬ言葉を振りかざす、でもなくて、飾れることなどないから語らない、そんな人間であることが私らしいと思ったから。人生はこうやっていくつも選択を積み重ねるけど、結局のところ選択が正しいかどうかはわからない。結局のところこの道でよかったかなんて死ぬ目前にしか鮮明にならない。でも、動かなければ変わらない、自分を捨てちゃいけない。私であるためにそれはそれは大切に革製品のように愛さなければならない。人間としての味を終点で高めるために、愛すことを少しずつ学んでいくしかなかった。霧がかった部屋は私が生み出した幻影であったのかもしれない、私には見えて誰かには見えないものだったのかもしれない。それはどれだけ社会が発達しようとも私が発達するほかなかった。いつかは朝日を気持ちよく浴びたくて、シワの寄せられたシーツをきれいに引き伸ばした。そのシーツの写真を恋人に送ると恋人からもシーツの写真が送られてきた。心の涙をすくい取ってもらえた気がした。長針は十二を過ぎて、一をさそうとしていた。

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