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22’07-09ひとりごとは、一方通行の冗談めいたポイエティーク。誰かに食べてほしくて差し出す、

7月

「あなたのことが好きです」と目を見て対面で真っ向に伝えたい。そのように伝えられる機会があることはたとえ玉砕であれ幸せなことなんではないだろうか。言える前に玉砕することも少なからずあるからだ。例えば好きですと伝えるためだけのファンレターは送る人の気持ちを満たすことが多い。ただ好きであることを伝えるだけなのに、そうやって伝えられることに幸福を感じるわけである。”伝わった"と思えることはとても重要なのだろう。

伝わらなかった、と感じてしまうことが増え、社会に一度出てしまうとそこに責任という重荷が付き添い、反省してしまうことが増えた。だからこそその心の重荷を避けたくなる。できる限りそのようなミスは減らしたいと思ってしまう。「うまく伝えられなかった」ポイントを減らしたくて減らしたくてたまらない。


8月

かつて嘘だと思っていたことが、嘘ではないと思えるようなことがあった。いや、都合よく踊らされているだけかもしれない。結局のところその人のいう言葉が嘘かどうかの審議は移り変わるのだからそこはどっちであれどどうでもよくて、その物語に付き合うかどうかの自分の判断なのかもしれない。そんな審議を構えること自体おかしなことなのかもしれない。
まぁ、結局のところ私は付き合ってしまっているわけだ。それでいいと思ってしまっているわけだ。それが答えでいいのだろう。

内容ではなく人、何を話したいからとかではなく、貴方と話すことで得れるものがあるし、話したいと思うのも貴方だし、なんて言葉を聞いて。


9月

夏が終わった。
夏という季節が過ぎた。思いの外夏を楽しんできた自分がいることに気づいた。過去は私を苦しめるけど、過去は私を慰めるときもある。
意外な慰めがふとしたところからやってきた。
精神的な病を抱えてからの私は、異なる私のように分類しては別物としてみてしまっていたけど、慰めがやってくる時は、確かに歩んだのも私であって、私が起こしたことだと、続いてる私を思わせる。

情けない私を、毎日おはようの挨拶と体調の確認をして元気づけようとしてくれる人がいる。
大したことしてないのに「まずは健康があってこそのことだから」と、できたことをすごいと褒めてくれる人がいる。
これは自分がやりたくてやってることだからと、「反応があるだけでも嬉しいんだ」と優しくしてくれる人がいる。

破けてしまった関係性を和紙を再生するかのようにつぎはぎでも糊付けして立派な一枚にしたい。
脆い一枚でもいいから

弱さに素直な

夏の終わり

弱さに素直な人が

好き

私は好きになるために

弱さに素直でいる





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