2023/08/04

心身健康になってきて、仲の良い人が言っていた「誰と話ししても瞬間的な『楽しい』は生じるけど、その『楽しい』を継続(執着)してまで欲しいと思うのは限られたものだよ」が少しずつわかってきた気がする。

心理学の本を読んでおもしろかったのは依存症は「否認の病」であるという点。報酬系への欲望過多というより欠乏過多なのだとイメージが一転し、欲しいと願う気持ちより足りないと認めたくない気持ちなのだと。瞬間的な楽しいを誤魔化すよう依存へ変える自罰的な目眩し。強欲であることはカッコいいが、自分の欠乏を認められないのは非常にダサい。

言われた当時、不健康であった私は「それだけ楽しいと思える人がいるのであれば、そのどれに対しても継続はおこるだろ。楽しいと思うことに違いはないんだから変わらないじゃん」と思った。これはきっと、自分が満ち足りていなかったから生まれた思考なのだろう。何においても継続(依存)傾向が起きてしまうということだ。満ち足りた上ではそこに取捨選択できる能力が加わる。

自分の足りなさを認めたくないがために生まれるマイナスの執着と
自分の願望を認識できるプラスの執着
マイナスの執着(依存)には他者に意識が傾き
プラスの執着(継続)には自分に意識が傾く
自分を認めず否定し続けるものと
自分を構築していくもの

執着とは本来好意的なものであったのかと
なんとも納得した

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