マガジンのカバー画像

Nike & NBA & Sports

5
NIKEやNBA、スポーツのエピソード
運営しているクリエイター

記事一覧

WBC日本優勝で、映画『ナチュラル』をまた見たくなってしまった

WBC日本優勝で、映画『ナチュラル』をまた見たくなってしまった

まるで映画のシナリオのようだったWBC決勝の「大谷vsトラウト」の対決
多くの方が思い、かつ語っているように、WBC決勝9回2アウトの最後の場面でのエンジェルスでのチームメイト&日米最高の選手の対決は、まるで映画のシナリオのようで、栗山監督がよく言う『野球の神様』からのプレゼントのような局面だった。

「道具は大切にしよう」という古くからの野球の教えを打ち破った、大谷の喜びの爆発(笑)

トラウト

もっとみる
国家公務員での思い出。戸惑った” 平仄”という縛り...。

国家公務員での思い出。戸惑った” 平仄”という縛り...。

自由に文章表現が出来ない不自由さ。

私は長年広報の業務を経験し、数多くの”プレスリリース”や”ニュースレター”などの文章を作成し報道関係者に届けた。

ナイキジャパンの広報だった時は、『Number(文藝春秋)』や『FENガイド(アルク)』、『ダンクシュート(日本スポーツ企画出版)』等に、ほぼレギュラーのかたちでNBAやUSのスポーツ事情の署名記事を寄稿していた。
特に1993年の5月20日発売

もっとみる
自己紹介:初代NIKE広報マネージャーへ導いてくれた、小さな新聞広告

自己紹介:初代NIKE広報マネージャーへ導いてくれた、小さな新聞広告

はじめまして。 #23 Shibata(トウェンティ・スリー・シバタ)と申します。
昨年、2022年6月に60歳となりました。

大学を卒業後、広告会社 ⇒ ナイキジャパン ⇒ レノボジャパン ⇒ オリンパス ⇒ 霞が関の国家公務員 ⇒ 2023年1月下旬より、医療・介護サービスやIT事業を提供する企業にて非常勤の広報パートタイマー。という職歴です。

”NBAオタク”から広報に。

ウィキペディ

もっとみる
マイケル・ジョーダンの背番号を、ニックネームにもらった幸運

マイケル・ジョーダンの背番号を、ニックネームにもらった幸運

ドットライン上のPRボスの登場🏀

彼の名はDusty Kidd。当時の彼のポジションは、アジア・パシフィック地域のPR Director。NIKEのアジア各国のオフィスに広報担当を置こうと、着任早々に当時のアジアの売上げの大部分を占めていた日本にやってきたのだった。自分の直接の上司はナイキジャパンのマネージャーだったり、マーケティング・ディレクターだったりしたのだが、その後、彼は私にとってドッ

もっとみる
バスケットボール天皇杯優勝、おめでとう! ジョン・パトリック監督!

バスケットボール天皇杯優勝、おめでとう! ジョン・パトリック監督!


ドイツから戻ってきたばかりで天皇杯を制したJohn Patrick!

WBCでの大谷選手の活躍に目を奪われていた私のもとに、ナイキジャパン時代、私がスポーツマーケティング・バスケットボールチームのマネージャーをしていた時のチームの一員であり、かつ日本のバスケットボールに精通し、今は日本バスケットボール協会にいる”I氏”から、「J.Pがやりました!」というFacebookメッセージが届いた。

もっとみる