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1972年12月19日の日記
親父が用事で町に出かけてお酒を飲んで帰ってきた。雪道だし危ないから
自転車を置いて帰ってきた。翌朝親父に自転車を取ってきてくれといわれ
町まで行ってきた。親父から50円もらったころをうれしそうに書いてある。
今のお金に換算してもたいした金額ではないと思うけど…
1972年12月10日(雨のちくもり)の 日記続き
今日は衆議院選挙がありました。昼ごろ親戚が来だが私はそれほどうれしくはなかった、それどころかいやなやつがきたなと顔を背けて何も言わずに親戚が早く帰ることを願っていた。期末試験まであと一週間しかないというのに私は一日テレビを5~6時間も見たり遊んだして宿題をする時間もなくなりました。
1972年12月10日(雨のちくもり)の 日記
1972年のこの日に私は日記を書き始めた。きっかけは何だったのだろうか?
今では思い出すこともできない。1972年(昭和47年)は日本では沖縄がアメリカから日本へ返還された年である。今スマホで調べてみたらそう表示された。あさま山荘事件もこの年との事であった。あさま山荘事件は子どもの頃学校から家に帰ってくると、テレビの中継をず~っと見ていた鮮明な記憶がいまでもある。ただその時の私の記憶では自分は小学
中村十三生という画家は今どうしているんでしょうか?(だれか、知りません?)
10年ぐらい前はよく吉祥寺の近くの井の頭公園で絵を売っていました。
彼の絵が好きでときどき複製画を買っていたんだけど。ホームページも更新されてないしまた放浪の旅にでも出たんだろうか?
プレゼントされた時計を、すぐ無くしてしまった
高校入学祝いに兄が腕時計をプレゼントしてくれたのだが、とってもうれしかったのに、ある日雪の中に落としてしまい無くしてしまった。見つかりそうな気もするのに見つからなかった。兄は何と思っただろうか。兄弟間で触れてはいけない話題になってしまった。私の頭の記憶の中ではもう消去された事実でもある。結婚する前に妻からレノマの時計をプレゼントしてもらった、でもこれもすぐにどこかで無くしてしまった「もう、買ってあ
もっとみるねじまき鳥クリニクル
村上春樹さんの「ねじまき鳥クリニクル」を読んでて思ったんですけど、
結構きつい戦前の日本陸軍による中国人の虐殺シーンや、逆に旧ソ連軍によって抑留された日本兵の過酷な日常が小説の中に出てきます。読みながらつい今のロシアによるウクライナの戦争を思い出してしまいます。テレビでは連日双方の戦争犠牲者数を伝えていますが、そこからは何も見えてきません。アメリカによる湾岸戦争の時などはまるでゲームの画面を見るよ
戦争はなぜ無くならないのだろう?
戦争はなぜ無くならないのだろうか?ロシアのプーチンによるウクライナへの侵略戦争、ミャンマーの国軍によるクーデターからの内戦。戦後生まれの私は本当の戦争を知らない。その一方で、世界には母国が生まれる前から
戦争状態で平和という概念すら存在しない世界で生まれ育ってきた人々がたくさんいる。連日のニュースの報道で戦争による死亡者・被害者数が伝えられるがその数の人数分以上の家族や被害者の人生・恋愛・文化・発
台湾に行ってきました
台湾に家族で4日ほど行ってきました。家族の知り合いの台湾人の方が色んな所や地元の食べものを教えてくれて本当に助かりました。天候は運よく
日本よりも暑くなく台風が来る前に帰国出来たのでラッキーでした。外国なので当然沢山びっくりしたり日本と違う事が沢山ありましたが、その中でもバイクの通勤ラッシュ(?)はすごかった。交差点でものすごい数のバイクがいっせいに走り出すのだが、男女二人乗りはあたりまえ中には一
村上春樹さんの小説を最近読み始める
村上春樹さんのファンは日本だけでなく世界中にたくさんいるんでしようが、いままで私は一冊も読んだ事がありませんでした。ただ、私としては自分の感想や疑問を整理したくてこの文章を書く事にしました。もちろん名前ぐらいは私でも知っていました。それに毎年のようにノーベル文学賞候補として名前があがりテレビで話題となりますし。私としてはなぜ世界的認知度が高いのか疑問でした。少し手に取って読んでみた事も過去にはあり
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