村上春樹さんの小説を最近読み始める

村上春樹さんのファンは日本だけでなく世界中にたくさんいるんでしようが、いままで私は一冊も読んだ事がありませんでした。ただ、私としては自分の感想や疑問を整理したくてこの文章を書く事にしました。もちろん名前ぐらいは私でも知っていました。それに毎年のようにノーベル文学賞候補として名前があがりテレビで話題となりますし。私としてはなぜ世界的認知度が高いのか疑問でした。少し手に取って読んでみた事も過去にはありましたが、当時の自分にとっては今必要とはしていない文章に感じられました。
今回、何冊か作品を読んでそれから『職業としての小説家』新潮文庫を読んでみてその疑問が少し分かりました。日本の有名作家のほとんどは新聞や文芸誌に連載や掲載された作品を単行本にして作品化し生活しているみたいですが、村上さんの場合は最初のころは本業の仕事があったり、その後海外に移住しながら書きたい物を書いてきたように語られていました。またそれが出来た数少ない作家だと感じました。それだけでなく自分で海外市場を開拓していったこともこの本で知りました。少なくとも新聞連載やNHKの朝ドラのように毎週事件(?)を起して読者・視聴者の気を引くのは大変な事だと思います。
村上さんの小説の登場人物の中で「30年以上たっていない小説は読む必要はない」という秀才が出てきますが、35年以上の現役作家の村上さんはその意味でも読むべき作家なのかも。
村上春樹さんの作品の全体像がどんなものなのか富士山の一合目にも辿り着いていない自分には良く分かりませんが、何となく読みやすい活字(文章)の気がします。『1Q84』『羊をめぐる冒険』なんかは活字だから私には読めるし、入り込める世界の様な気がします。そもそも小説は変な世界や変な人がいっぱい出てきますから。本を読む隣で、かみさんはYouTubeを見ています。テレビからは霊能力者と自認する人が沢山いて「宇宙の真理」を語りかけています。私には映像で語られる事がどうしても信じられません。
これが活字なら少しは興味をもったかも知れません。なぜなんでしょうか?
もし、村上さんがテレビから『1Q84』を語りがしたら私は見ないと思います。小説はうその世界です。うそと知りながら本当のところは小説の中で自分の事を考えて自由に私は読んでいます。でも、YouTubeは何か違うんですよね。もちろん製作者はその人なりの意図も情熱も広告収入を当て込んだ生活もあるでしょうから真剣ですよね。今スマホで、電車に乗れば100人中98人は何らかのゲームか映像を見ていますよね、見ているというより消費しているだけのような気がします。何か見てないと重要な情報を取り漏らすような気がしてきます。小説は読んでて電車を降りる駅を忘れて乗り越す事がありますけど。


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