見出し画像

ひとりで生きていけるかなんて、いつだってずっと不安だった

「ひとりで生きられそうって、それってねぇ褒めているの?」
Juice=Juiceのその歌詞にたじろいでしまう。
ひとりで生きられそうって思われるくらい強く見せられる人でさえも、ひとりで生きられるほど本当は強くない。
ひとりで生きられないという弱さを見せられないからこそ、虚勢を張って大丈夫なふりをする。
触れられたら崩れ落ちてしまう砂のお城を、必死に守り抜こうとするみたいに。

大人になることが怖かった。
大人になった今でも、より大人になっていく自分が怖い。
10代後半なら許されることが20代になったら許されなくなるみたいに、20代であるからこそ許されていることが、30代になったらきっと許されなくなっていく。
20代は大人だけどある程度大人であることの準備期間も兼ねているような部分もあって、その時だからこそ許される失敗はとっても多いと感じている。

20代前半、挑戦して失敗しても、大抵帰る場所がある。
一時的にでも親元に身を寄せられる人は多いだろうし、それは自然なことに思える。
ひとりで生きようとしてみて、でも辛かったら戻っておいでと言ってもらえる場所がある。
大人になったばかりの時期、大人になることに失敗しても、もう一回立て直しを図るのはある程度融通がきく。

だけど、いつまでも半分子供でいられないから。
30代前半、ひとりで生きようとしてみて上手くいかなかった時、世の中に帰る場所なんて存在しないのではないかと思えてしまう。
病気になったってお見舞いにきてくれる人なんていないだろうし、そもそも誰もそんなことに気が付いてすらくれないかもしれない。
テレワークが日常になったら、会社に勤めていても、出勤していないことにすら気づく人が減るかもしれない。
世界でひとり、取り残されていたって、誰も気にかけない。
そうして社会から切り離される。
明日は我が身だと思いながら、ホームレスの人の横を通り過ぎる。

gleeを見ていたら、一流の会社に勤めるマネージャーがマネジメントの仕事が上手くできなくて、もう私はきっとホームレスになるんだと嘆くシーンがあった。
休職していた時、このまま仕事に戻れなかったら行きつく先はホームレスだと思って怖かった。
いくら今与えられた役割があったとしてもそれは簡単に失ってしまうものだし、そうなった時傍にいてくれる人って、大人になればなるほどいなくなる。

それは極論かもしれない。
だけど、ひとりで生きていくって、日常を共有する誰かがいないって、ある程度そういうリスクを抱え続けることに思えて、ただひたすらに怖い。

何か事件が起きたとき、10代で起こした事件は周囲が置かれた状況について親身に聞いてくれるかもしれない。
だけど20代で起こした事件は、きっとその人の置かれた状況は10代で同じことを起こした時より軽んじられる。
どうしようもないくらい追い詰められていたり、それまでの間にずっと苦しみを抱え続けていたとしても、その背景について扱われる度合いはぐんと減る。
大人になればなるほど誰も守ってくれなくなって、ひとりで生きられないと最早、どうにもならない。

「ひとりで生きられちゃうの」それが自然と無理なく言えるなら、「それは素敵なはずでしょう?」
だけどやっぱりどうしても、ひとりで生きられそうって思えない。
世界から守ってくれる人が誰もいなくなることって、そこはかとなく怖いことのように思える。
それでも私たちはいつの間にかもっと大人になって、「ひとりで生きられそうって」思うしかない。

お読みいただきありがとうございます! サポートいただきました分はnoteを続けるエネルギーに変換していきます。