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脳との距離。

脳はドラマの観過ぎだ。

ドラマとは、ストーリーでもある。

人の人生のごく一部の物語(ストーリー)を、
SNSやメディアを通じて取り込み過ぎている。

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私は普段、テレビドラマや映画を消費しないのだが、
中学生や高校生の頃はよく観ていた。

無意識に理想の恋愛とか、人生、生き方みたいなのが
刷り込まれていたと思う。

大人になってドラマとは違う現実を目の当たりにした時、

「まぁ、あれはドラマだから」

と割り切れた。

「なぜあのドラマみたいな人生を送れないのか?」
と悲観したことはない。

自分の人生との比較対象にはならなかったのは、

それは作り話で、エンターテインメントだと理解していたからだ。
(ノンフィクションは除く)


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でも今、SNSを通して、人の人生のごく一部のストーリーと
自分の状況を比較してしまう傾向にある。

モチベーションになるコンテンツもあるが、
ネガティブに受け取ってしまう時もある。


他人の20ページ目と、自分の3ページ目を比べて、
自己批判するのは意味がないとわかっていても。

中には嘘を投稿している人もいれば、かなり盛っている人もいるだろう。
もちろん本当のことを発信している人もいるだろう。

だが全部憶測に過ぎない。

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スクロールすればするほど、情報を取り込めば取り込むほど

脳は疲弊し、「これは多分本当」「あれはきっと嘘」「盛りすぎ」
の判断は曖昧になって

全てが事実かのように錯覚する。

そして脳は無造作に仕入れた情報を元に、私が劣っていると自覚していることを狙って責めてくるのである。

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この脳の性質に振り回されるのはもう飽き飽きしている。

どうにかしたいと、脳の仕組みを調べていて知ったのは

脳は私の一部ではあるけど、私自身ではないこと。

コントロール不能の臓器のひとつに過ぎないのだ。


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なぜ意地悪なことを言うのか?
それも言うべきではないタイミングで。
デリカシーというものがないのか?


なんて腹を立てることはやめた。

当人は意地悪でやっている自覚はない。

それは自己改善・社会適応・リスク回避のための、
自分の行動や振る舞いを評価するように進化してきた、
脳の生存メカニズムの機能の一部
なのだ。

だからしょうがない?


いや、受け入れても過度に振り回されてはいけない。

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私が最近実践していることは、

脳が責めてこようとしてきたら

「あぁ、また君か」

「責めるの好きだね。そういう性格なのはわかるけど、よそはよそ、うちはうち。過去は過去。気にしてる暇ないのよ。」

「疲れてるのよ、帰って休みなさい」

と、距離を置いて自分とは別の存在として扱い、忠告がモチベーションにならないような内容であれば、相手にしないことにしている。


                ᝰ✍︎


落ち込みそうな時は、脳と自分を切り離す。

そんなことは物理的には出来ないけど、
余裕がある時にしか出来ないかも知れないけど、


ビジュアルをイメージすることは大事だと思っている。

そうやって自分の思考を平穏に保っていきたい。


𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄


最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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