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答えられないアイツを見て、安心したいだけなんだよな

「お前は何がしたいの?」
「将来のビジョンはありますか?」

友人からも、企業の人事からも、自己啓発本からも、散々浴びせられた。

「分からない」

分かろうとしても、結局やってみないと分からない。

あれだけ「やりたい」と思って始めた習い事も、蓋を開けてみたら大してのめり込めなかったし、反面、やりたくなかったけど引き受けた「リーダー」は案外楽しかった。

「結局、やらなきゃ気づけない」ということだけが、唯一分かっていることだ。

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僕は就活生ということもあり、周りからの
『あなたは何がしたいの?』
という言葉が苦手でどう上手くかわすかが悩みです。
僕は20歳ということもあり、まだ人生の目的を作ろうとも思ってなくこれから熱中することに出会えればと考えています。
よろしくお願いします。

さん)

みんな、安心したい。

自分はきっと何者かであるはずで、きっと何かやりたいことがあると信じて止まない。

けれど、本当はやりたいことなんてない。いや、分からない。

「お前は何がしたいの?」

答えられないアイツを見て安心したい。

大したことを言わないアイツを見て安心したい。

悩んでいるアイツを見て、安心したい。

だから、いつだって先に質問するのはこっち。

「お前は何がしたいの?」って聞くのは、共感でも応援でもなく、自分が安心したいからなんだよな。心の底では。

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この世に、はじめから使命を持って生まれてくる人なんていない。

様々な出会い、失敗、経験、雑多に散らばったそれらが複雑に絡み合い、たまに一本の線になって、そんなことを繰り返すうちに、「やりたいこと」、「ありたい自分」が見えてくる。

だから、やってみなきゃ分からない。感じてみなきゃ分からない。痛い目みなきゃ分からない。

目的や使命を持つところから、決して人生が始まるわけではない。

自分探しとか、あり方とか、使命とか、そういうものに延々と一喜一憂して、もがき苦しむのが「生きていく」ということ。


それに気づくまでに、一体何年かけたんだ。

いまだに迷子のままなんだけど。


▼今回モヤモヤをくれた人



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