最近の記事

20世紀

自由が不自由を作り。便利が不便利を作った。 何でも出来る世界は、私達を何にも出来ない世界へと誘う。

    • 私という名の小説

      『私は終わらない小説を読み続けている。』 かれこれ、20年以上読み続けているけども、終わる目処は一向に立たず、それどころが冊数もページ数も私が歳を重ねるのと同じように、増していく。 私という名の小説は、章(年)ごとに抑揚を持ち、自分という名の濃い色を持ち、人を魅了する。 彼らも同様に私を魅了し、彼らもまた私という名の小説で共にこの世界を過ごしている。

      • 日本社会に蔓延る儒教的価値観

         ”私達は知らず知らずの内に儒教といった集団主義思想の沼に堕ちている”  若者の多くは、社会的なプレッシャーと毎日の様に対峙しており、同じコミュニティーの仲間や、同年代に生きる世代と共に同様のゴールを目指す事が、当たり前の様に求められる。 受験や就活といった儒教的価値観から基づく通過儀礼は、若者の夢を縛っていくと同時に、資本主義社会が求める、労働マシーンの様な量産的人間を多く作り出す様にシステムが構築されている。 日本では世代別の通過ルートが存在し、そのルートは通過儀礼

        • 階級闘争以外の人間関係が存在するのか?

          大学の経済総論の講義の際に、教授に教えてもらったマルクスの考え方が頭から離れなくなってしまい、生活する上での人間関係が全てフェイクに感じてしまう瞬間があります。 カール・マルクス(Karl Marx) 『これまでの全ての社会の歴史は階級闘争の歴史である』 (共産党宣言) 人はコミュニケーションを取るときに様々な質問を相手に対して行います。 「出身は?大学は?将来の夢は?何が好きなの?」 では質問の背景にはどんな意図があるのでしょうか? 勿論、純粋に人が好きでその人に対し

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          理性と感情

          物事の価値基準は人によって異なる じゃあ何で人それぞれ、価値基準が異なっていて、この人とは意見が合わないなと思う事があるのかって考えた事はあるだろうか? 異なり方の違いには、その人の生い立ちや生活している環境が関係している、(例えば)東京で生まれて、親が医者のA君と鹿児島で生まれて、親が飲食店経営のB君では。将来の夢が違えば、人生における価値基準が異なると思う。 育ってきた環境っていうのは、その人の考え方に大きく影響を及ぼしていて、僕はその中でも、理性と感情の大きく二つ

          理性と感情

          過去の自分との向き合い方

          僕は昔の自分が嫌いです。 ずっと遊び呆けていて、自由奔放に生きてきた。 いつも見据えている先は明日の自分で、今日と明日を楽しむ事に全力投資をしていて、未来の事などこれっぽっちも考えて無かったし考えようともしてこなかった。 周りの子は、親や先生の求める課題を着々とクリアしていきテストで良い点を取ったり、学校の成績を高めてたりする子がいてその時僕は自分とは違う世界の人だと努力もせずに決めつけていた。 そのまま地元で就職してのんびり生活をしていたら、今更後悔する事も無く過去の

          過去の自分との向き合い方

          短編小説 チューリップ

          indigo la endの曲 チューリップを考察して書いた短編小説です。 貴方の色が変わったあの日から、私は壊れていった。 私は馬鹿だったから、貴方の色が変わっていくことにも、もう私にはどうにもできない事にも気づかずに、たまーに貴方が見せるほんのすこしの情にしがみつきながら貴方の袖を離さずにいた。 2年の歳月はあっという間に、私をチューリップみたいに真っ赤な貴方色に染め上げていき、この時間はずっと続くものなんだと思っていた。 でも気づいたときには赤色は私たった一人で

          短編小説 チューリップ

          短編小説 蒼糸

          indigo la endの曲 蒼糸を考察して書いた短編小説です。 踏切で立ち止まって電車が通りすぎるのを待っている時 ふと空を見たらとても蒼い空だった。 蒼い空を見るといつも後悔する。 あの時、心の中で思っているのではなくそれを言葉にして貴方に伝えてたらこの日常は変わってたのかなって。 きっと私と貴方は、両想いという名の糸で繋がれていた。 お互いに気づかないふりをしていたからこそ、この糸が見える事は無かっただけで。 糸に繋がれてたからこそ、貴方の好きな音楽が私の

          短編小説 蒼糸

          何かを犠牲にするって考え方が苦手だ

          「何かを犠牲にしなければ何かを得ることはできない」 昔からこの言葉はあまり好きではない。 取捨選択という言葉がある通り、不必要な物を手放す事で自分にとって必要な物が入ってくる事は大切な事だと思うけど、自分にとって必要な物を犠牲にしなければいけない程必要なことって本当に必要なのか?と考えてしまう。 勉強しかしてこなかったから恋愛経験が無い。 部活しかしてこなかったから遊ぶという経験が無い。 仕事しかしてこなかったから家族仲が分からない。 大を得る為には小を捨てなけれ

          何かを犠牲にするって考え方が苦手だ

          新しい事への挑戦

          お休みしている間、韓国文学の作品を読み漁ってました。 特に読んで良かったのはこの三冊で、エッセイやドラマな小説が好きな方にオススメです。 韓国では学歴や職歴が及ぼすコンプレックス社会が日本よりも強く国民に影響を及ぼしているのかなと感じると描写が多くありました。 他にも高校生の頃から憧れてる建築家の半田悠人さんのブログを何回も覗きに行き、同じ記事を何回も読み返したりしました(笑) 半田さんは文章を読むだけでこの人の人柄や頭の良さが分かる程、文章力がある様に感じまた既に知

          新しい事への挑戦

          焦りとの向き合い方

          何でこんなに焦ってしまうんだろう。 何かに追われてる訳では無いのに、年齢が上がるにつれて 「時間を上手く使わないと、頑張らないと」と訳もなく焦ってしまう事が増えた。 人生一回切り 時間は有限だ 何てよく言うけど、僕はたった一回の人生を何かに追われながら焦って過ごすのは嫌だ。 ある程度のタスクに追われながら、適度に刺激と達成感を感じ、その後ののんびりとした時間に幸せを感じる。 そんな過ごし方が僕の理想なのだ。 何者かになろうとするからこそ焦るという考えが生まれてし

          焦りとの向き合い方

          今更ながらちゃんとした自己紹介を

          noteを初めて、3ヶ月程立ちますが、ちゃんと自己紹介が出来ていなかった〜と思い今更ながら自己紹介をしたいと思います。 プロフィール名古屋で生活をしている、21歳の学生 健康スポーツ科学部に属しており、仕事の一環としてジムのトレーナーをしている。来年から通信制の大学に編入を考えており23歳まで学生生活を送る予定一人旅、小説、映画、音楽が大好き(ジブリ作品が一押し) 自己紹介昔から人と価値観や人生観を共有するのが好きで、お酒は呑めないのに喋りたいが為に呑み会に毎回出席する程

          今更ながらちゃんとした自己紹介を

          人の意見に揺れすぎない事も大切

          僕は人に相談をするのが苦手だ。 些細なことや、自分1人の問題なら相談するときもあるが、基本的に他人が絡んでいるような人間関係事(恋愛、友達との揉め事)などは全くと言って良いほどしない。 自分の感情を上手く伝えられないし、人間関係に限っては、お互いにしか分からない感情が原因で揉めている訳だから、それを人に相談して何も知らないのに 「別れた方がいいよ、縁切った方がいんじゃない、相手最低だね」 と言われると何も知らないくせにと皮肉れた事を思ってしまうのだ。 相手の事を何も

          人の意見に揺れすぎない事も大切

          力を抜いた時に視える世界

          先日、アナザーグラウンドという映画を見た。【ネタばれ注意】 人生に刺激が無くなった四人の教師が、常にアルコール濃度を0.05%の状態で生活するという、実験を行っていく 作中では主人公のマーティンが、お酒を呑みながら授業を行うことで いつもよりも刺激的でド派手な授業を行った。 普段おとなしめの人がお酒の力を借り、力を抜いて授業を行ったことで枷が外れたかのように素晴らしく、生徒たちが興奮するような授業を行ったのだ。 僕はお酒が呑めないし、お酒を呑みながら仕事をする事は日

          力を抜いた時に視える世界

          幸せは頻度だと思う

          幸せを感じる瞬間は人によって様々だと思う。 僕は幸せを感じる瞬間が多くある、どれも小さな幸せだけどその幸せのお陰でその1日を頑張れたり、何ならその1週間を頑張れたりする。 僕にとって幸せってのは着火材料みたいなもんで、辛くなってる時や頑張り所でそっと後押しをしてくれる様な存在だ。 幸せの感じ方は大きく2種類あると思っていて、 些細な幸せと興奮するくらい大きな幸せ。 些細な幸せは、天気が良かったり、周りの人の機嫌が良かったり、毎日のご飯が美味しかったりする事。 興奮す

          幸せは頻度だと思う

          noteは人の脳内に入り込むかの様

          文章ってのはどこか不思議で、書いた人の感情が手に足る様に分かる気がする。 動画や音声など人に伝える手段は様々だけど、やっぱり文字に書いて伝える事は素晴らしい。 その人の書いてる姿がイメージ出来る。 noteもそこに少し似ていて、記事を読んでいるとその人の事が少しだけ分かったつもりになる、それは文章には人の感情が入りやすくて、その人が頭の中で考えている事を動画とかよりも、もっと鮮明に伝える事ができるからそう感じるんじゃ無いかな。 それはまるで、その人の頭の中を覗いてる感

          noteは人の脳内に入り込むかの様