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日本社会に蔓延る儒教的価値観

 ”私達は知らず知らずの内に儒教といった集団主義思想の沼に堕ちている”

 若者の多くは、社会的なプレッシャーと毎日の様に対峙しており、同じコミュニティーの仲間や、同年代に生きる世代と共に同様のゴールを目指す事が、当たり前の様に求められる。

受験や就活といった儒教的価値観から基づく通過儀礼は、若者の夢を縛っていくと同時に、資本主義社会が求める、労働マシーンの様な量産的人間を多く作り出す様にシステムが構築されている。

日本では世代別の通過ルートが存在し、そのルートは通過儀礼として訪れ、人々を社会集団に当てはめていく。有名所としては受験や就活、結婚などが該当する。通過式を上手く乗り越える事が出来なかった者の中には「もう生きていけない」と思い込むほど、儀式に強く執着し生きる若者も存在する。

自分の年齢と向き合い、年齢相応のステージに立っていなければいけないといったソーシャルプレッシャーは人々に「孤立したく無い。」「皆んながしているなら私もしないと。」といったステレオタイプ的思考を植え付けていく。上記の様な暗黙のソーシャルプレッシャーはZ世代(ジェネレーション世代)と言われる私たちの世代でも、未だに呪いの様に残り続けており、子供を持つ親達の多くは自分の子供達が社会集団において、道を踏み外さない様に心配し、少しでも子供達が同年代の通過ルートから外れてしまうと

「いい年してどうするの?」
「周りの子は働いているんじゃないの?」
「あなただけ仕事もしずに何してるの?」

と社会集団の一員から外れる事を否定し、社会集団的価値観を押し付け、子供達が通過ルートに戻る事を先導する。彼らにとって重要なのは、「自分の子供達がどんな人生を歩むのか?」ではなく、自分の子供達が、社会集団と上手く同化して生活出来ているかを危惧しているのだ。

 儒教社会が蔓延する日本社会では、人々は知らず知らずのうちに、同調的圧力社会を作り出している。私達は幼少期の頃から、自動的に集団主義的思考を植え付けられているのだ。

東北大学の名誉教授を務め、社会心理学を専門としている大渕憲一氏は、社会主義の属性と儒教的価値観を下記の言葉で表している。

「自分が所属する集団の福利を優先し,その地位向上に強い関心を持つのが集団主義である。」

『伝統的価値観(仏教,儒教,神道)の国際比較 : 価値観支持率を指標とする分析』大渕憲一

「儒教の基本原理は社会的調和と秩序である」

『伝統的価値観の国際比較: 日本、韓国、中国、米国における儒教的価値観』大 渕 憲 一 

義務教育過程を対象に見てみると、学生達の多くは、クラス内順位に対して強い拘りを持つ。日本の学校では、学力順位からマラソンなどの体力的順位までもが、公に公開される為、集団内での地位獲得を目指し勉学を行う傾向がある。集団内において好成績を出せない子の中には自信を喪失してしまい、その科目において嫌悪意識を抱いてしまうケースも存在する。

「集団主義者は人間関係自体に価値を置き,損得抜きでその維持に努めようとする傾向がある。」

『伝統的価値観(仏教,儒教,神道)の国際比較 : 価値観支持率を指標とする分析』大渕憲一

集団主義に属する物たちは、自分の属する集団の価値を高める為に、思考し行動する。”自我を消し、集団の歯車となる事で集団の持つ力を強めていく傾向にある。”日本では実際に多くのサラリーマンは会社の為に、生涯を捧げ、新卒から定年まで人生の一生を一つの会社に費やすケースも存在する。彼らにとっては、会社という名のホームが個人をサポートし、人生においての’’生きがい’’となっているのだ。

私達にとって集団とは、居場所であると同時に私達が人生を歩む意味を見出してくれる、先導者でもあるのだ。













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