見出し画像

理性と感情

物事の価値基準は人によって異なる


じゃあ何で人それぞれ、価値基準が異なっていて、この人とは意見が合わないなと思う事があるのかって考えた事はあるだろうか?

異なり方の違いには、その人の生い立ちや生活している環境が関係している、(例えば)東京で生まれて、親が医者のA君と鹿児島で生まれて、親が飲食店経営のB君では。将来の夢が違えば、人生における価値基準が異なると思う。

育ってきた環境っていうのは、その人の考え方に大きく影響を及ぼしていて、僕はその中でも、理性感情の大きく二つに考え方が分かれると思う。


理性
ってのは自分の主観的な感情では無くて、客観的評価に基づいて物事の判断基準を決める。理性の強さは人それぞれ異なっていて、その強さが人を成長させるきっかけになったり、人を厳しい環境へと追いやり傷つけたりする。

感情ってそのまんまで、自分の主観的な感情。
〜したいな、〜こんな人生送りたいなって、感情が夢物語を描いてくれる。

パーソナリティは、この価値基準に大きく影響を及ぼしていて、私のパーソナリティである、INFP-Tは真の理想主義者であり、自身の感情の赴くままに行動するといった特徴があります。

「前に進むための方法を決定する際、名誉や美点、道徳、美徳に目を向け、賞罰ではなく、自らの純粋な意志により導かれます。」
https://mbti.hateblo.jp/entry/2023/04/05/234051

MBTIの無料性格診断テストが気になる人は、下記のリンクから診断を受ける事ができます!ものの5分程度で終わる、簡易的なものです!

実は22歳の年にしてやっと自分の性格や自我同一性に気づく事ができ、気づくきっかけになった事は、ずっと自分のしたい事を追い求めた結果として気づく事が出来たと思う。そのきっかけになった行動は、東京に引っ越した事が一番大きいと思う。

住む場所、会う人、身に付ける物が変わると変化する一面があって、私の場合は東京でシェアハウスに住む事で接する人が大きく変化した事がきっかけだった思う。

引っ越す前までは、物事を理性的に考える傾向にあって、将来の仕事の事や結婚の事など、日本における儀式的な習慣が優先となって物事を考えていた。でも実際には私がしたい事は他にあって、もっと内省的な目標を昔から持っていた、自分の作品を世に残したい事や、自分の人としてのスキルを高めたい事、それらの目標は他者の評価は関係なく個人的に満足の行くまで追い求める必要がある。

そういった感情的な物事の考え方は、昔から持っていたはずなのに、社会的な集団生活で生きていく事が前提となり、人として真っ当な生き方をする為に儀式的な習慣が、中心となって物事を考えていたんだと最近になって気づいた。

どっちかが、良し悪しなのかと考える必要は無く、潜在的な自分の考え方が大切だと私は思う。幼少期や思春期の頃に夢見ていたものは、失った訳では無く、脳内の奥にほうにそっと閉まってしまっているだけで、まだ皆んな持っている筈。一回きりの人生だからこそもっと潜在的な自分の感情に身を委ねる事は、凄く個人にとって大切なのではないかと思った。




この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?