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階級闘争以外の人間関係が存在するのか?

大学の経済総論の講義の際に、教授に教えてもらったマルクスの考え方が頭から離れなくなってしまい、生活する上での人間関係が全てフェイクに感じてしまう瞬間があります。

カール・マルクス(Karl Marx)
『これまでの全ての社会の歴史は階級闘争の歴史である』 (共産党宣言)

カール・マルクス1818年5月5日 - 1883年3月14日)は、プロイセン王国時代のドイツ哲学者経済学者革命家社会主義および労働運動に強い影響を与えた。1845年プロイセン国籍を離脱しており、以降は無国籍者であった。1849年(31歳)の渡英以降はイギリスを拠点として活動した。

Wikipedia


人はコミュニケーションを取るときに様々な質問を相手に対して行います。
「出身は?大学は?将来の夢は?何が好きなの?」

では質問の背景にはどんな意図があるのでしょうか?
勿論、純粋に人が好きでその人に対して興味関心を持った状態で質問をする事で相手の情報を聞きたい人も多く存在すると考えます。

しかし私が考えるに多くの人は、他人と自分との階級闘争を図る為に、質問をしているのではと感じる瞬間があります。

『歴史は支配階級と被支配階級の間の闘争の歴史であり、社会の変革は階級闘争を通じて行われる。』(カール・マルクス(Karl Marx)

マルクスは上記の様な主張をしていました。
そう思うと人間関係ってすごくつまらないなと思ってしまうのです、だって皆んな自分の位置関係をはっきりいさせたいが為にコミュニケーションをとっていて、全ての物事を自分の為に向かうように考えているのです。

自分の事を知ってもらいたい。
自分が凄いって事を再確認したい。

世界には、欲にまみれた思想で溢れているのです。
勿論人生は素晴らしいものだと考えますが、人間関係の大半は実は素晴らしくはないものなのかも知れません。

人生の中で、
最も美しいと思える、人間関係は最も汚らわしい部分でもあるのです。

きっとこの疑問は生活する間、ずっと疑問に残ったまま解消されない。
そんな直感が残ります。脳は自分すらも錯覚させ、好きではないものを好きと認識させ、嫌いな物を嫌いじゃないと認識させるのです。

本当の自分の感情すらも分かりえないのに人の感情など分かり得る物なのでしょうか?



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