- 運営しているクリエイター
記事一覧
【とある本格派フェミニストの憂鬱11パス目】技術革新と認識革命②「1859年認識革命」仮説からの再出発。
前回の投稿を大胆に要約してみましょう。
統計学の入門書的記述の多くが「手持ちの標本データのみで統計表現を試みるのが記述統計、背後に大きな母集団を想定するのが推計統計」と説明している。
しかし実際には「背後に大きな母集団を想定する」という意味合いにおいては(20世紀に入ってから追加された)分散(Variance)$${σ^2}$$の概念が追加された時点で推計統計の世界に足を踏み入れているとも。
【とある本格派フェミニストの憂鬱13パス目】技術革新と認識革命④「中央と周辺の関係」はどう推移してきたのか?
今回の出発点はこの話。
東アジアも巻き込まれた「当時の欧州におけるアリストテレス論争」この辺りの欧州におけるアリストテレス関連論争、一見東アジアとあまり関係なさそうに見えますがさにあらず。東アジアに布教に訪れたイタリア人イエズス会士マテオ・リッチ(Matteo Ricci/利瑪竇,1552年~1610年)が「天主実義(1603年)」の中で、一神教擁護の立場から当時における「当時のアリストテレス論
【とある本格派フェミニストの憂鬱10パス目】技術革新と認識革命①記述統計概念からロジスティック回帰概念を経て単純パーセプトロン概念へ
2023年最後の投稿では、積年の課題だった「ロジスティック回帰に至る数理に到達する」を何とか達成する事が出来ました。
これが出来ると何が嬉しいかって、多くの機械学習入門解説が「どうやって予測精度をロジスティック回帰より引き上げるか?」から出発するので機械学習理論登場以前の数理と、機械学習理論登場以降の数理を連続的に語る事が出来る様になるんですね。
そしてこの2024年最初の投稿では、昨年最後の
【とある本格派フェミニストの憂鬱8パス目】「自分の意思決定過程に割り込んでくる他者」としての外部性について
前回投稿でお伝えした「史上初の世界恐慌を契機にカール・マルクスとジョン・スチュワート・ミルとチャールス・ダーウィンが同時に指摘した事」というのは、ある意味…
経済学でいうところの「外部性」概念と深く関わってくるのです。
まさしく私の勝手な、とはいえそれなりに21世紀に入っても通用する部が厳選して抜き出されている様に見える要約「我々が自由意志や個性と信じているものは、社会的圧力によって型抜きされ
【とある本格派フェミニストの憂鬱7パス目】「必ず観察から入れ。それに立脚しない憶測は、ことごとく現実に裏切られることになる」
相変わらずここで触れたプロジェクトで手一杯なので、今回はさらに手短に。以前の投稿で触れられなかった内容の補足など。
この時代を生き延びた、すなわち当時の社会問題が「国王と教会の権威の絶対性」から「資本主義的活動が生む利益の正しい再分配方法」に推移するパラダイスシフトを見逃さず、正しく対応したカール・マルクスは、なす術もなく歴史の掃き溜め送りにされた他の革命家とはそもそも観察眼が違っていたのだと思
【とある本格派フェミニストの憂鬱5パス目】「2020年代=分布意味論の時代」前夜の風景
まだまだしばらくは「記憶のあやふやな昔話」が続くのをお許しください。
で、2016年から2018年に掛けて次第に活動の場を主にはてなブログに移していきます。その契機となったのがこの年の日本映画の大豊作…
しかもこれらの作品は揃って「(日常の裂け目から何かが押し入ってくる)ピクチャレスク」概念を主題としていたのです、それらを結びつける投稿が大当たりした事もあって、この年の私のはてなブログの投稿は
【とある本格派フェミニストの憂鬱4パス目】「パトロクロスでさえ死んだのだ」とアキレウスは言った。
上の投稿でいう「企業や国家の様な主体の観察球面」って、なんとなく数学でいうリーマン球面を連想させます。難解な概念なので全然理解が及んでませんが、私が認識してる大体の動作はこんな感じ。
例えばある生物の大きさが昨年$${\frac{1}{2}}$$で来年2倍になる見込みなら$${2^n}$$のオーダーで、昨年$${\frac{1}{3}}$$で来年3倍になる見込みなら$${3^n}$$のオーダーで
【とある本格派フェミニストの憂鬱3パス目】こんにちは、そしてさよならナチズム
以下の投稿で2010年代「既存活動家の思考様式」がネット社会に通用しなくなり無相関となっていく様子を自分の目に映ったなりに活写してみました。
一言でまとめるなら「SNS社会化に対する既存活動家の思考様式が限界を露呈した」という事です。
こう考えると以下の投稿との関係も浮かび上がってきますね。そう「マーク・ザッカバーグの人間関係空間論」における「SNS社会上に構築されるノード関係は実社会における
【とある本格派フェミニストの憂鬱2パス目】米国で始まった既存活動家とSNS社会の分断。そもそもSNS社会とは?
こちらで投稿した「2010年代米国事情」の続きみたいなもの。
当時の日本のネットはまだまだ「まとめサイト」などに振り回されて迷走状態。これがちっとも面白くないので以前から海外の和製コンテンツ受容状況確認に用いてきたTumbrに次第にのめり込んでいったのです。余談ながらEnjoy Corea閉鎖が2009年。正直、その穴埋めという意味合いもあったと思います。
おや? もしかして私って、いわゆる出
【とある本格派フェミニストの憂鬱1パス目】人間関係空間論から分布意味論へと推移したSNS略史
まずはSNS黎明期のアメリカで何があったと自分が考えているかを表明しないといけません。この原稿を執筆している2023年9月末時点ではもう実証が不可能な内容も数多く含まれますが、少なくとも私という個人が主観的に経験してきたのはこういう世界だったのです。
検索エンジンが主役だった時代の終焉最初にインターネット社会を現出させたのは「検索エンジンによる統合」でした。しかし2009年末時点のトラフィック調