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村の昔の生活史

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昭和43年から続く小さな村の広報誌。ページをめくると大野見の歴史や民話、暮らしぶりが記されている。 そこには歴史の教科書に出てくる偉人など一人もいない。
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高知県中土佐町大野見、ここに始まる。

高知県中土佐町大野見、ここに始まる。

今を去る1380年ぐらい前(600年ごろ)、 用明天皇の頃、仁井田の川の内の百姓に長左衛門という人がいました。ある日、伊勢川と川の内の境にある若目山にあがって、山の上の高い木によじ登り、はるかに北の方を眺めました。(地図下部)

大野見を発見した長左衛門。

そこには黒々とおいしげった大きな山波が続いていました。が、その中に、広い平原と思われるものを発見したのです。長左衛門は喜び勇み、あくる日、若

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狼がいた頃の夫婦遍路の悲しき末路

狼がいた頃の夫婦遍路の悲しき末路

 もし、あなたが他人にうけた不親切が理由で、想像も出来ないほどの悲しみに逢ったとき、その人々をうらみに思わないだろうか。

 野老野(ところの)から日野地(ひのじ)に越える、昔の通路の高峠に、小さな祠がある。人々はこの祠を高の峠様と呼んでいる。 

夫婦遍路、峠を越える。

 数百年の昔の秋の夕暮どき、この径(みち)をいそぐ夫婦づれの遍路があった。妻は身ごもる体であったため、今日は山を越す事は出来

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町に豆腐屋があるという贅沢。

町に豆腐屋があるという贅沢。

畠の肉とも呼ばれる程栄養価も高く消化もよい、みそ汁に、すき焼きに日本人の食卓に欠かすことのできない豆腐、この豆腐を製造し続けて四十余年。

雨の日も風の日も豆腐に明け暮れ、私の生きる道と定め、ひたすら豆腐造りに精出している「豆腐屋のおばさん」 こと黒岩挙(あぐる)さんを今回は紹介してみたい。

豆腐との出会い

 挙さんは明治四十年(1907年)一月、窪川町東又で七人兄弟の五女として生まれた。
 

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宴と殺人と祈りの神社。

宴と殺人と祈りの神社。

蝉時雨のなか、松葉川温泉を後に併用林道、さらに営林署の専用林道(鈴が森へと続く)を上ると三ツ又部落の飛地、高山へ到着した。 藩政時代から昭和三十年代まで生活を営んで来たこの部落も無言の里となり約二十年を数え、耕すことなくして十余年を経る。かつての住居跡も耕地跡も、葛(くず)と竹とに覆われて、いずこか定かではない。

本広報九十八号(昭和四十九年 五月号)での高山の部落探訪には耕地面積一町五反とある

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農民にひかれた生産技術が文化を作る

農民にひかれた生産技術が文化を作る

私は大野見に来てから米を作っている。
およそ半年、手塩に掛けて主食を自給するのは、野菜を育てたり、
野生動物を狩るのとはまた違う気持ちよさと安心感がある。

と、同時に米作りが他とは違い、いかに協働的な活動で、
地域のつながりを要するか思い知らされた。

それが心地よいか悪いか。

ともあれ、昔からこの村で脈々と営まれてきた稲作が
この土地の雰囲気や村民性を構成する濃い要素なのではないかと実感した

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人と自然が豊かな関係を築くために刃物が必要であるわけ

人と自然が豊かな関係を築くために刃物が必要であるわけ

昭和43年から続く大野見の広報誌に編まれている鍛冶屋の歴史。

鍛冶屋は、都市で生活しているとあまりにもなじみのない職種のように見えるが、数十年前までは町に鍛冶屋がいる光景が当たり前だった。

大野見にもかつては鍛冶屋がいた。その頃の人と刃物と自然が築いていた豊かな関係性にもう一度、目を向けてみたい。

日本における鍛冶の伝来鉄の文化の起源については明らかでないが、おそらくアルメニヤ地方におこった

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生きるための狩猟と楽しむための狩猟。

生きるための狩猟と楽しむための狩猟。

現在、人口1000人を切る旧大野見村にも、かつて狩りの名手がいた。
狩猟を生き甲斐とし、狩猟を愉しみつくしたその猟師の姿は
現役の地元猟師にも重なる。
狩猟を経験している私自身の感触とともに、
娯楽としての狩猟を、どうとらえたらいいのか考えてみた記録。

幕末の土佐藩主に認められた猟師
 東の空が白みかけた朝まだき、凍てつくような霜柱を「サク、サク」ふみしめながら、西に向って進む狩り姿の一行があっ

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嫉妬深さに向き合う

嫉妬深さに向き合う

昭和43年から続く大野見の広報誌に編まれている、
昔話「悲劇の神童 庄三郎-前半-」。(後半はこちら)
たかが昔話、されど昔話。
人間の嫉妬の恐ろしさを伝える、ある少年の悲話である。

13歳の少年、盗みを犯す
落合の橋を渡った時一ばんどりが鳴いた。

静寂の空に星が桑田山(そうだやま:中土佐町の東に位置する標高770mの山)にむかって走っても今朝の庄三郎は少しも恐怖をおぼえなかった。彼はただ夢中

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つながりが断たれる心地よさ、つながりを感じる安堵感

つながりが断たれる心地よさ、つながりを感じる安堵感

悲劇の神童 庄三郎①に続く後半。
奇才がゆえに皮肉にも、悲運を辿ってしまった庄三郎の最期はどうなるのか。
そして、改めて思う、「何でもない土地」に昔話が残っている愛おしさを言葉にしてみた。

逃げ続ける庄三郎が見たもの
 どこをどう行ったのかただ夢中であった。
喘ぐような庄三郎のはく息と落葉をふみしめる音が交差しながら、上へ上へと登って行った。

どれだけたったかはじめて振り返った時、神母野の人家

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炭焼きという貴族のたしなみ。

炭焼きという貴族のたしなみ。

これは、今からおよそ100年前に生きた炭焼き職人の話。
昭和53(1978)年の大野見の広報誌に編まれている。

炭焼きの歌

炭焼きは、汗と涙の仕事。山小屋でとまり、夜明けと共に、木をきり、日が暮れてからおく(おく:終わらせる)。そんなに働いても儲からない。 かつてふる里の山あいからは、薄紫の煙が、もうもうとあがっていた、そこには、窯と小屋と炭を焼く、たくましい人々がいた。

雪の日も、風の日も

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