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つながりが断たれる心地よさ、つながりを感じる安堵感

悲劇の神童 庄三郎①に続く後半。
奇才がゆえに皮肉にも、悲運を辿ってしまった庄三郎の最期はどうなるのか。
そして、改めて思う、「何でもない土地」に昔話が残っている愛おしさを言葉にしてみた。



逃げ続ける庄三郎が見たもの


 どこをどう行ったのかただ夢中であった。
喘ぐような庄三郎のはく息と落葉をふみしめる音が交差しながら、上へ上へと登って行った。

どれだけたったかはじめて振り返った時、神母野の人家の灯は視界になかった。
無性にのどがかわき、昨夜からの疲労がどっと彼の五体をつつんでいった。木の根元にたおれ込んだまま深いねむりにおちこんでいった。
朝日が程落山に顔を出し、更に、うの巣山の空に昇ってもただこんこんとねむり続けた。  

どれだけたったか、、、彼は夢をみていた。

 彼は岩の上に立っていた。いつも遊びに来る沖の堂の岩の上である。
清らかな流れがナカ岩にくだけて、白く光り、イダの群が上流へ上流へと登ってゆく。そのおびただしいイダの群がいつのまにか真赤な緋ごいの群に変っていた。 彼は腹ばいになると、尺余もあらう程のコイを両手でむんずとつかんだ。

不思議に何の抵抗もない。すくい上げるや、がぶりとかじりつこうとした時、

「おやめ庄三郎」

振り返った庄三郎のそばに、亡き母の姿が立っていた。 「母上」手にしたコイをなげ出すと母の立った岩にとび移った。 
次の瞬間、白むくの母の姿は次の岩に立っていた。「母上」またも次の岩に飛び移っても、なつかしい母の姿は上流の岩の上にあった。
「庄三郎、こちらへおいで」 「母上待ってくれ」からからの声はせせらぎに打ち消されてしまう。

「母上、母上、母上」

いつの間にか母の姿は白髪の師匠の姿に変っていた。


「お師匠さん、許して下さい。」
かわき切ったのどからは声にならなかった。
師匠の立つ岩に飛び移った時、そのまま音を立てて青い渕の中にのめりこんでしまった。


 はっと我にかえり、汗でぐしょぬれた体を起した。不思議に空腹をおぼえないが、のどだけはからからで無性に水がほしかった。 
うの巣山の原生林が秋の日に静まりかえり、かすかに樹を切る斧の音がこだましていた。

「そうだ師匠のもとえ行こう」

彼はそのままうね伝いに女郎ヶ子の方に向って下っていった。

嫉妬が暴力に変わるとき


 お家屋敷に集まった村の衆は、 今朝も完全に二派に分れてたむろしていた。血走った姉の顔もその中にあった。

「末恐ろしい子ぢゃあ、このままおいたらどんな事をするかわからん」
「どうせ山の中に隠れちょる、今日さがし出してひっとらろ」
「いや待ってくれ、将来のある子じゃ、わしらは須崎へ行って師匠にわびを入れて来る、それまで手荒い事はやめてくれ」

いつ果てるともない議論の最中であった。

「おーい、庄二郎が見つかったぞ、今猫滝から桑の又へ逃げこん だぞーー」とたんに二派に分れた村の衆は立ち上った。
一組は須崎へ、一組は桑の又へとふしんじょうの方にむかって走っていった。

「庄三郎観念しろ、松の木から下りてこい、下りてこんとぶっぱなすぞ」

追いつめられた彼は巨岩の上にそそり立つ松の大木の梢によぢ登っていた。
女郎ヶ子から猫滝へ渡った時、見張っていた村人に発見されて、そまま桑の又へ逃げ込んだ時、十四、五名の追手は後に迫っていた。

こもと山から更にあし谷へと無我夢中であった。どうやって松の木 によぢ登ったのかもう気力だけである。

手に手に棒切れや刀を持った村人の中に種ヶ島が一丁無気味に彼の胸元にむかって光っていた。

カサガ峠まで一気にかけ上った一行の中に白髪の師匠の姿があった。
「あの子を殺しちゃあいかん、百年に一人しかでん俊才ぢゃあ」
「たかが鹿の皮ぐらいであの子を殺してたまるか、急げ、急げ」
愛弟子を案ずる師匠のきびしい顔は一行をせきたてた。

「庄三郎よ、どうか逃げのびてくれ」

師匠は祈りつつ大平のうねを廻った時である。
「ドーン」一発の銃声はつきぬけるように青い空にこだました。

「しまった」
そのまま一行は立ちすくんでしまった。老師匠のほほからとどめなく光るものが流れ、それをぬぐおうともせず、そこに立ちつくした。

 庄三郎の胸板を一発のタマはつらぬいていた。ほとばしる血潮は枝を伝って岩の上にしたたり落ちても、彼は落下しなかった。 村の衆は、かたずをのんで見守る中へ、息を切ってかけつけた武士があった。

さわぎを伝へ聞いた萩中丸山城主戸田久之丞であった。
「おそかったか、この子を殺してたまるか」
怒りにもえた久之丞 は、いきなりかたわらの種ヶ島をつかむや空に向ってぶっ放した。 ……と同時に庄三郎の死体は谷に向って落下した。

時を経て庄三郎を想う

 幾星霜かの才月は流れた。 教育委員会の岡村君と下ル川あし谷に向った。林構事業による林道アシ谷線は開設たけなわである。ブルドーザーはうなりを立て、ミキサーの音は活気にみちていた。その奥に巨岩の上に松の木がそそり立ち、天才児庄三郎の墓はその下こけむしている。

庄三郎の墓跡とみられる場所。面影はもうない。(2023年撮影)


 旧七月八日は「おせがけ」(施餓鬼)の日として神母野在住の人々は、こぞっておんば堂(公民館舘 )に集まり庄三郎の霊を祭っている。他郷にあるこの地の出身者もこの日は仕事を休み、庄三郎を供養するといわれている。
 老松の梢を風がよぎり、きれいにはききよめられた墓前に、たむけられたシキビの青さが目にしみる。
伝説の人庄三郎よ、薄幸の天才児庄三郎の霊よ、心やすらかにねむられよ。

【出典】
1969年3月 第36号 広報 大野見
(発行 大野見教育委員会/編集 大野見村広報委員会)


【考察】そこに人々が生きていた記憶がある愛おしさ

旧七月八日の「おせがけ」(施餓鬼)の日、今年は8月7日だった。

あいにく、立ち会うことはできなかったが、今年も神母野地区の住民はおんば堂に集い、日本酒片手に皿鉢を囲んだことであろう。

年に一度、むかし、そこにあった生活、そこに生きていた人々との連続性を感じる。

教室で学ぶような、強い者によって作られてきた歴史とは違う。

ファミリーツリーの末端に自分が存在するような(血縁関係の有無に関係なく)「自分が何者かによって生かされている感」に似ている。


それは、社会的な動物であるヒトが潜在的に求めてしまう欲求であるが、いまの時代、簡単に"一人で生きやすい社会"の影に霞んでしまう。

なぜなら、モノも食もライフスタイルも、市場経済の流通システムによって提供される暮らし全般はパーソナライズ化され、ライフサイクルは短くなりつつあるからである。
実際、手軽で便利で気軽で心地よい。

パーソナライズされるほど、人とのつながりは断たれるし、モノのライフサイクルが短くなるほど、時間の隔たりを超えたつながりを感じなくなるのは当然である。

それはつまり、文化人類学者・辻信一の言葉を借りれば、「死者の文化」を感じにくくなっているということである。

僕たちは生まれてから文化を作ったのではなくて、死者たちが営々とつくり積み上げてきた文化の中に生まれてくるんです。そしてその中に浸されて育つ。何千年、何万年も、人々はそうしてきた。(中略)
しかし、現代世界は伝統文化が継承されにくい、歴史的にとても異常な状態の中にあると思います。僕たちの時代というのは、死者からの分離、過去からの分断、そして文化の破壊こそが、「自由」の名のもとに追及されてきた「反文化」の時代だと思う。

高橋源一郎+辻信一「『あいだ』の思想」

つながりが断たれる心地よさ、つながりを感じる安堵感、その狭間で私たちは生きている。
もっと言うと、都市生活に近ければ近いほど、容易くつながりが断たれる暮らしがデフォルトになる。

そんなわけで私は、そこに人々が生きていた記憶を思い出す愛おしさを「おせがけ」に感じたのである。

とはいっても、神母野の集落の人々は、ここまで語るほど「おせがけ」を高尚なものとしてとらえていないかもしれないし、その実、集落の人々が酒を呑み交わすための口実だったりもするかもしれないのだが。



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