ポリフォニック映画時評

不定期で評論を発信! 中身は映画好きの学生複数人!!……(๑•̀ㅂ•́)و✧ 分析力・文章…

ポリフォニック映画時評

不定期で評論を発信! 中身は映画好きの学生複数人!!……(๑•̀ㅂ•́)و✧ 分析力・文章力向上のため、張り切ってやっていきます!! 中身の人のtwitterアカウント▶@ryoutafilmlover @naka_shinsaku

記事一覧

映画短評第二十三回『エターナルズ』/偽りの自由意志

 今や映画産業の世界的稼ぎ頭となったMCUと、映像作家クロエ・ジャオとの融合。それがもたらしたチーム・メンバーの多様性、そして新たな歴史解釈は、アメコミ映画史上、…

シネマ想い出話Vol.1/『2001年』との初遭遇

 あれは2018年の11月1日。ファーストデーで、1100円で映画が見られる日でした。映画好きにとっては願ってもない日で、授業も特になかった僕は、映画三本立てを…

マンガ雑記『葬送のフリーレン』

 自分が成し遂げた何かは、自分がいなくなった後どうなるのか。語り継がれていくのか、もしくは忘れられてしまうのか。数百年、数千年単位の時間経過を体験することができ…

散文-『マンダロリアン』終了に寄せて- 僕のスター・ウォーズとの別れ

 スター・ウォーズ(以下SW)とは、本当に長い付き合いだ。  両親にレンタル店で旧三部作のVHSをくり返し借りてもらい、沖縄旅行中に『クローンの攻撃』のパンフレ…

番外編 『フォレスト・ガンプ』を考える

 『フォレスト・ガンプ』は、第67回アカデミー賞で作品賞を含む計6部門で受賞を果たした、今なおあらゆる面で愛されている、非常に評価の高い作品だ。  だが、世間的に高…

映画短評第二十二回『ノー・タイム・トゥ・ダイ』/人間になった007

 シリーズは、主人公のすばやい銃撃と、血に染まる銃口(ガン・バレル)によって幕を開けてきた。007の抜け目のなさ、敵に囲まれた状況、崩れない一種の“優雅さ”。ジェー…

映画短評第二十一回『女王陛下の007』/人間になる007

 酒、女、銃……。ショーン・コネリーから始まり、幾人にも継承された007の「ダンディズム」は、常に男性中心主義的なサディズムやミソジニーと表裏一体だった。  ダニエ…

映画短評第二十回『ビーチ・バム まじめに不真面目』/海の上で生きる

 主人公のムーンドッグ(マシュー・マコノヒー)は詩人である。かつて出版した詩集で天才と称されたこの詩人は、現在は何をすることもなく、大富豪の妻とともに自由気まま…

映画短評第十九回『猿楽町で会いましょう』/この街で破局を迎えることについて

 タイトルの通り、映画『猿楽町で会いましょう』の舞台は渋谷区である。新米のカメラマンである小山田修司(金子大地)と読者モデルの田中ユカ(石川瑠華)との恋愛は、2…

映画短評第十八回『シャン・チー/テン・リングスの伝説』/家父長主義からの解放

 父と子の関係は、数多くの作品においてその中心の主題として取り込まれてきた。先日の『シン・エヴァンゲリオン劇場版』がまさにそうであったように、ときに何かを巡る(…

映画短評第十七回『シン・エヴァンゲリオン劇場版』/田植えする未来

 思い返せば、庵野秀明による優れた映画『シン・ゴジラ』(2016年)はきわめて国家主義的な作品であった。あの映画を乱暴に要約するなら「官僚はえらい」であろう。現…

映画短評第十六回『ゴジラvsコング』/怪獣映画の最適解

 “夢の対決”は決着が難しい。とくに対決する双方にファンが多い場合、単純にどちらかを勝たせることができない。だから、「相手を討ち取ったと思ったら、その生首がウィ…

映画時評第十五回『ライク・サムワン・イン・ラブ』

 2012年に日本で公開された映画「ライク・サムワン・イン・ラブ」では、色とりどりの東京の夜景と対照的な都市人の孤独が、80代の元大学教授と、デートクラブで働く…

映画時評第十四回『蘭若寺の住人』『サスペンデッド』/閉塞する映画

 今年2月に開催された芸術祭〈シアターコモンズ〉のテーマは、「Bodies in Incubation 孵化/潜伏するからだ」と掲げられた。この芸術祭で公開された作品から、今回は2本…

映画短評第十三回『ヒッチャー ニューリマスター版』/カリフォルニアには何があるのか

 コロナ禍の状況で、海外の映像作品が日本で劇場公開される頻度が減ったためか、ここ最近、過去の名作とされる外国映画がリバイバル公開されることが増えている。今回紹介…

映画短評第十二回『聖なる犯罪者』/嘘から出たまこと

 ヤン・コマサの『聖なる犯罪者』は、少年院で複数の若い受刑者が黙々と仕事をこなす中、それを看守が見守る場面から始まる。そして看守が部屋から退出した瞬間、この少年…

映画短評第二十三回『エターナルズ』/偽りの自由意志

映画短評第二十三回『エターナルズ』/偽りの自由意志

 今や映画産業の世界的稼ぎ頭となったMCUと、映像作家クロエ・ジャオとの融合。それがもたらしたチーム・メンバーの多様性、そして新たな歴史解釈は、アメコミ映画史上、いやアメリカ映画史上にも影響を与えていくに違いない。しかし、「あちらを立てればこちらが立たず」。要素としての革新性が、物語の持つ歪みを帳消しにしてくれるわけではない。

 天界人によって地球人守護の命を受けた超人集団エターナルズ。敵対勢力

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シネマ想い出話Vol.1/『2001年』との初遭遇

シネマ想い出話Vol.1/『2001年』との初遭遇

 あれは2018年の11月1日。ファーストデーで、1100円で映画が見られる日でした。映画好きにとっては願ってもない日で、授業も特になかった僕は、映画三本立てを敢行しました。その時のラインナップが、『search/サーチ(アニーシュ・チャガンティ)』『ルイスと不思議の時計(イーライ・ロス)』、そして『2001年宇宙の旅(スタンリー・キューブリック)』だったのです。
 『2001年宇宙の旅』は、ちょ

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マンガ雑記『葬送のフリーレン』

マンガ雑記『葬送のフリーレン』

 自分が成し遂げた何かは、自分がいなくなった後どうなるのか。語り継がれていくのか、もしくは忘れられてしまうのか。数百年、数千年単位の時間経過を体験することができない以上、その予想は難しい。かといって、その経過を見届けられるほど長生きできたとして、それがいいことだとも言えない。
 『葬送のフリーレン』は、勇者が魔王討伐を成功させた“後”を舞台とする、異世界ファンタジー漫画だ。主人公は人間の何十倍も長

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散文-『マンダロリアン』終了に寄せて-
僕のスター・ウォーズとの別れ

散文-『マンダロリアン』終了に寄せて- 僕のスター・ウォーズとの別れ

 スター・ウォーズ(以下SW)とは、本当に長い付き合いだ。
 両親にレンタル店で旧三部作のVHSをくり返し借りてもらい、沖縄旅行中に『クローンの攻撃』のパンフレットを失くし、祖父を劇場へ無理に連れ出して『シスの復讐』を見せてもらった。あの頃は単純だった。表現やデザインに対する批評がなく、ただただ作品の持つ雰囲気を楽しんでいただけだったから。周りの大人が、あるキャラクターを嫌おうと、戦闘機の形状に文

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番外編 『フォレスト・ガンプ』を考える

番外編 『フォレスト・ガンプ』を考える

 『フォレスト・ガンプ』は、第67回アカデミー賞で作品賞を含む計6部門で受賞を果たした、今なおあらゆる面で愛されている、非常に評価の高い作品だ。
 だが、世間的に高い評価を集めた一方で、少なくない批判も浴びてきた。今作の描いた約40年に渡るアメリカ近代史には、多くの人々が血を流して奮闘した歴史が含まれていなかった。または含まれていたとしても、その描かれ方は歪なものだったのだ。

 今作の主な舞台は

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映画短評第二十二回『ノー・タイム・トゥ・ダイ』/人間になった007

映画短評第二十二回『ノー・タイム・トゥ・ダイ』/人間になった007

 シリーズは、主人公のすばやい銃撃と、血に染まる銃口(ガン・バレル)によって幕を開けてきた。007の抜け目のなさ、敵に囲まれた状況、崩れない一種の“優雅さ”。ジェームズ・ボンドが持つ魅力と危険性を象徴するオープニングだ。だが、主演が変わっても変わることなかったこのシークエンスが、今回は変化を見せる。血が流されることはなく、銃を構える007は白い背景の中に溶け、消えていく。いったいこれは何を表してい

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映画短評第二十一回『女王陛下の007』/人間になる007

映画短評第二十一回『女王陛下の007』/人間になる007

 酒、女、銃……。ショーン・コネリーから始まり、幾人にも継承された007の「ダンディズム」は、常に男性中心主義的なサディズムやミソジニーと表裏一体だった。
 ダニエル・クレイグが同役を襲名して以降、その歪んだヒーロー像は解体され、より“人間的な”キャラクターに組み直されていく。しかしそれ以前に、007を人間にしようとする試みはなされていたのだ。

 イギリス諜報部のスパイ、ジェームズ・ボンド=00

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映画短評第二十回『ビーチ・バム まじめに不真面目』/海の上で生きる

映画短評第二十回『ビーチ・バム まじめに不真面目』/海の上で生きる

 主人公のムーンドッグ(マシュー・マコノヒー)は詩人である。かつて出版した詩集で天才と称されたこの詩人は、現在は何をすることもなく、大富豪の妻とともに自由気ままな生活を送っている。酒を飲み、女と踊り、船の上で寝ること。これがムーンドッグの人生である。遊ぶ金はすべて妻が出してくれるため、働く必要などない。ここには享楽しかない。誰しもがムーンドッグのような生活を一度は夢想したことがあるに違いない。
 

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映画短評第十九回『猿楽町で会いましょう』/この街で破局を迎えることについて

映画短評第十九回『猿楽町で会いましょう』/この街で破局を迎えることについて

 タイトルの通り、映画『猿楽町で会いましょう』の舞台は渋谷区である。新米のカメラマンである小山田修司(金子大地)と読者モデルの田中ユカ(石川瑠華)との恋愛は、2012年に完成した街の新スポットである渋谷ヒカリエ前から始まる。その後の展開も、渋谷駅歩道橋、猿楽町交差点等のロケーションをこの映画は選んでいる。
 小山田は写真家であるから、モデルで恋人のユカをたびたび写真に写す。そうした写真は彼女のイン

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映画短評第十八回『シャン・チー/テン・リングスの伝説』/家父長主義からの解放

映画短評第十八回『シャン・チー/テン・リングスの伝説』/家父長主義からの解放

 父と子の関係は、数多くの作品においてその中心の主題として取り込まれてきた。先日の『シン・エヴァンゲリオン劇場版』がまさにそうであったように、ときに何かを巡る(『エヴァ』では母だった)ライバルであり、ときには互いを映し合う一対の鏡像として機能する。父親が乗り越えるべき障壁・悪役として置かれているうえで、エディプス・コンプレックスの構造は否応なく作品に刻みこまれてきたのだ。

 サンフランシスコでホ

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映画短評第十七回『シン・エヴァンゲリオン劇場版』/田植えする未来

映画短評第十七回『シン・エヴァンゲリオン劇場版』/田植えする未来

 思い返せば、庵野秀明による優れた映画『シン・ゴジラ』(2016年)はきわめて国家主義的な作品であった。あの映画を乱暴に要約するなら「官僚はえらい」であろう。現代日本に突如現れたゴジラに対峙するのは国家という巨大組織の官僚たちであり、彼ら若手エリートたちの活躍、及び自衛隊の奮闘によりゴジラは(一時的に)制圧されたのだった。ゴジラに打ち勝ったニッポン。壊されても、また作りなおせばいいのだと映画は言う

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映画短評第十六回『ゴジラvsコング』/怪獣映画の最適解

映画短評第十六回『ゴジラvsコング』/怪獣映画の最適解

 “夢の対決”は決着が難しい。とくに対決する双方にファンが多い場合、単純にどちらかを勝たせることができない。だから、「相手を討ち取ったと思ったら、その生首がウィンク」したり、「故郷の星に凱旋しようとしたら、胸から寄生虫が飛び出す」ことになる。だが多くのファンは、今作の宣伝で“ONE WILL FALL(どちらかが敗れる)”という言葉を目にしている。これは期待せずにいられない。

 地球を巨大生物の

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映画時評第十五回『ライク・サムワン・イン・ラブ』

映画時評第十五回『ライク・サムワン・イン・ラブ』

 2012年に日本で公開された映画「ライク・サムワン・イン・ラブ」では、色とりどりの東京の夜景と対照的な都市人の孤独が、80代の元大学教授と、デートクラブで働く女子大学生、そしてその恋人であるヒステリックな青年のつきあいを通じて素朴に描写された。しかし、信じがたいことに、この日本的な気配の濃い映画は、イランの巨匠監督アッバス・キアロスタミの手によるものだった。
 映画の背景を知らないままの観客は、

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映画時評第十四回『蘭若寺の住人』『サスペンデッド』/閉塞する映画

映画時評第十四回『蘭若寺の住人』『サスペンデッド』/閉塞する映画

 今年2月に開催された芸術祭〈シアターコモンズ〉のテーマは、「Bodies in Incubation 孵化/潜伏するからだ」と掲げられた。この芸術祭で公開された作品から、今回は2本選んで紹介したい。一作は台湾の巨匠の、もう一作は日本の新鋭監督の短編映画である。
 ツァイ・ミンリャン『蘭若寺(らんにゃじ)の住人』はVR映画であり、体験者はVRヘッドセットを装着し、ツァイのドローイング作品が展示され

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映画短評第十三回『ヒッチャー ニューリマスター版』/カリフォルニアには何があるのか

映画短評第十三回『ヒッチャー ニューリマスター版』/カリフォルニアには何があるのか

 コロナ禍の状況で、海外の映像作品が日本で劇場公開される頻度が減ったためか、ここ最近、過去の名作とされる外国映画がリバイバル公開されることが増えている。今回紹介する『ヒッチャー』もそのひとつで、公開時から間もなくカルト的名作だと認知された映画だ。
 『ヒッチャー』をカルトたらしめている理由は、主にその脚本の単純さにあるように思われる。舞台はテキサス。建物ひとつ見当たらない荒野で、主人公の青年ジムが

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映画短評第十二回『聖なる犯罪者』/嘘から出たまこと

映画短評第十二回『聖なる犯罪者』/嘘から出たまこと

 ヤン・コマサの『聖なる犯罪者』は、少年院で複数の若い受刑者が黙々と仕事をこなす中、それを看守が見守る場面から始まる。そして看守が部屋から退出した瞬間、この少年たちはいっせいに一人の囚人を羽交い絞めにし、殴りつけ、凌辱を試みる。このとき、映画の主人公であるダニエルも暴力に加担している。映画は最初にこのような突発的で、かつ強烈な暴力描写を観客に見せてくる。
 ダニエルは熱心なカトリック教徒であり、刑

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