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映画短評第十六回『ゴジラvsコング』/怪獣映画の最適解

 “夢の対決”は決着が難しい。とくに対決する双方にファンが多い場合、単純にどちらかを勝たせることができない。だから、「相手を討ち取ったと思ったら、その生首がウィンク」したり、「故郷の星に凱旋しようとしたら、胸から寄生虫が飛び出す」ことになる。だが多くのファンは、今作の宣伝で“ONE WILL FALL(どちらかが敗れる)”という言葉を目にしている。これは期待せずにいられない。

 地球を巨大生物の脅威から守ってきた怪獣王ゴジラ。しかしある日を境に、彼は大都市への攻撃を始める。事態を重く見た人類は、ゴジラへの対抗手段を求め“未知の世界”への探索を決意する。それには、髑髏島の巨神・コングの力が必要だった……。

 日米二大怪獣、世紀の決戦。その対決は壮絶だが、進行はシンプルだ。まず、太平洋の海上/香港の摩天楼と、ゴジラ・コングのどちらか一方に利のある場所で戦いが行われる。力の拮抗するぶつかり合いをそれぞれ一勝し、散々暴れ回って馴らされた平地の上で、最後のタイマン勝負が始まる。「三本勝負、二本先取」の明快なルールを提示することで、乱戦による混沌を避け、観客を両雄の技の掛け合いに集中させてくれる。その光景の中では、もはや高層ビル群はミニチュア同然。ゆえに怪獣たちの暴れるすべての場面は、巨大感・重量感以上に、躍動感が全てを支配している。それは平成以降のゴジラ映画を見る感覚を思い出させ、純粋な陶酔と懐かしさを感じさせる。
 ただ多くの観客が感じているように、怪獣バトルを前面に押し出すため、単純化・省略された要素が多いのも確かだ。小栗旬演じるキャラクターの背景を筆頭に、“人間ドラマ”と言える部分はことごとく鳴りを潜め、その残骸があちこちに散らばっているのを発見できるだろう。しかし、それが間違っているとも言えない。なにより、製作陣が見せたかったものも、また観客が実際に見たかったものも、全長100mを超えるトカゲとゴリラの殴り合いなのだ。それに応えるモノは、すべて映画の中に入っている。
 さらに今作では、コング側に“第二の故郷”を提示することで、ゴジラ・コングどちらからもキングの称号を奪うことを回避している。前述の三本勝負で、宣伝文句通りの決着が付けられるのだが、「王者は二体もいらない」ということにはなっていないのだ。対決モノとしては珍しく、どちらのファンも納得できる結末が用意される。これは驚くべきことだ。
 描かれる要素の中に、現実社会の暗喩を見出すほどの深みはないかもしれない。しかし、コロナ禍で興業が冷え込んでいるなか、今作が好スタートを切ったことには深い意味がある。コングが斧を振り下ろし、ゴジラが放射熱戦を吐いて世界が壊されていくごとに、現実世界は再生し、多くの観客が劇場に帰ってくることだろう。
(文・谷山亮太)

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