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番外編 『フォレスト・ガンプ』を考える

 『フォレスト・ガンプ』は、第67回アカデミー賞で作品賞を含む計6部門で受賞を果たした、今なおあらゆる面で愛されている、非常に評価の高い作品だ。
 だが、世間的に高い評価を集めた一方で、少なくない批判も浴びてきた。今作の描いた約40年に渡るアメリカ近代史には、多くの人々が血を流して奮闘した歴史が含まれていなかった。または含まれていたとしても、その描かれ方は歪なものだったのだ。

 今作の主な舞台は、アメリカ南部の州、アラバマ州グリーンボウ。主人公フォレストはそこで、知能指数の低さから「うすのろ」(アラバマ州の方言でgump)と呼ばれながらも、母親と友人のジェニーと共に日々を送っていた。勉強とは縁がないフォレストだったが、足だけは誰よりも早く、アメフトの代表選手としてアラバマ大学への入学を認められる。歪さは、その学生時代の描写から始まる。
 在学中の1963年、同大学に黒人学生であるジェームズ・フッドとヴィヴィアン・マローンが入学する。当時の州知事ジョージ・ウォレスは、二人の入学阻止のため自ら門の前に立ち塞がり、大統領が派遣した州兵と対峙することになった。群衆に囲まれるなか、入学許可を求める大統領布告の宣言によって、事態は一応の収束を見る。この歴史上の出来事にフォレストは、ウォレスのスピーチの映像に、通りがかりとして映り込むかたちで介入する。
 人種隔離が行われていた州で黒人の大学進学が認められたのは、アメリカの歴史上でもかなり重要な瞬間であり、小さいが確実な勝利でもある。しかし、今作の描き方は少々異なる印象を抱かせる。ウォレスは州兵を派遣した政府に対し、以下のような批判的スピーチで応えるのだ。

 「ここにいる州の兵隊は、アラバマ州民を守る連邦軍に編入され、この州内にとどまります。彼らは我々の兄弟です。我々はこの戦いで勝利をおさめようとしています。なぜなら我々が常に訴えてきた我が国の危機に、つまり軍の独裁に走ろうとする流れ(黒人学生の入学拒否に対する州兵の出動)に対し、大きな警鐘を鳴らすことができたからです」[1]

 この文言は、彼の用意していた原稿のごく一部だ 。実際には、司法省幹部のニコラス・カッツェンバックが大統領布告を読み上げ、ウォレスは学生たちの入学を受け入れている。アラバマ州知事の差別主義が、中央政府の要請に敵うことはなかったのだ。
 しかし今作は、州兵を派遣した政府に対する批判の部分のみを抜粋し、これに対する観衆の拍手を聞かせ、学生たちの立ち入りを許した瞬間を描かない。するとこの場面は、ウォレスを代表とする白人至上主義者が勝利した出来事かのように映る。直後に二人の黒人生徒が校内に入っていく姿が映されるのだが、ウォレスの演説と聴衆の歓声の後では、それを歴史的勝利とは感じられない。しかも前述のとおり、演説するウォレスの背後にはフォレストの姿がある。彼自身は何が起こっているのか理解していないが、確実に差別主義者の中に紛れ込んでいる。無意識の差別(無視)が、行動に表れたように見えてしまうのだ。
 このような勝利を勝利として描かない姿勢は、編集による省略というかたちで、より大きく顔を出している。フォレストは大学生活を終えた後、アメリカ軍に入隊しベトナム戦争に参加する。在学期間の4年間はアラバマに、入隊直後の訓練キャンプの後から名誉勲章を受けるためワシントンに戻るまでの約3~4年間はベトナムにいたことになる。その8年ほどの間、つまり1963年から1971年までの間に、アメリカ本国で何があったかは、手紙の送り先であるジェニーの様子以外何も描かれてはいない。しかし、現実にはとんでもないことが起こっていた。
 1963年9月、アラバマ州バーミングハムで教会がKKKのメンバーによって爆破され、4人の少女が死亡、14人が負傷した。フォレストはこの時期、タスカル―サにあるアラバマ大学の寮で生活をしていた。バーミングハムまではたったの54マイル(約87㎞)しか離れていない。この距離で起きた出来事を知らないはずはないが、今作でこの事件が紹介されることはなかった。その事件に端を発し、キング牧師が公民権運動の主戦場としてセルマにやって来たのが1965年。前述のウォレス州知事は州騎兵隊に命令を出し、州都モントゴメリーに向けて行進する黒人たちを、エドマンド・ペタス橋の上で鎮圧した。“血の日曜日”と呼ばれる惨劇である。今作はそれをも無視している。20世紀最悪の事件の一つを、主人公の故郷の出来事にもかかわらず、一切描くことをしない。
 今作では、前述のアラバマ大学への黒人生徒入学に関する事件を除いて、公民権運動を含めた黒人の権利向上を目的とした動きが、あたかも起こっていないかのように話が進んでいくのだ。過程が無ければ、導かれた成果も、勝利もない。これを隠蔽と言われても仕方がないだろう。
 黒人活動家に対する偏見も少なからず含まれている。今作中盤には、ブラックパンサ―党の党員たちが登場する。そのうち一人は、一方的に党の理念を主張し、フォレストを圧倒するように言葉を連打していく。その態度の裏には、キング牧師・マルコムXの死という歴史が存在しているはずだ。だが今作は、それらを省略してしまっている。すると彼らの行動や言動は単に威圧的なものに思われ、ブラックパンサ―党、ひいては黒人全体に対する偏見を助長することになる。軍人仲間のバッバ、実家に務める黒人の家政婦なども含め、今作の典型的な黒人描写は、ボールドウィン[2]に影響を与えた映画群から変わっていないのだ。

 また今作は、ベトナム戦争終戦についても描くことがない。あくまで主人公の主観で描かれた作品であり、その意味から「フォレストにとって、戦争の結果は関心のある事柄ではない」として、終戦を描かなかったと解釈することもできるだろう。仮にそうだとすると、非常に歪んだ思想が見えてくる。
 監督のロバート・ゼミキスは、今作の音声解説でフォレストを「理想像」[3]と表現し、その在り方を肯定している。今作で描かれる主人公フォレストは、状況も解らないまま黒人差別が行われている場に居合わせ、目的も解らず指示されたとおりに戦場へ向かい、戦争の結果も知ることなく生活を続けていく。自分の意見もなく、差別と戦争がある世界で国に従って生きていくのが“理想”の姿なのであれば、これは町山智浩氏が言うように「民主主義の否定」[4]以外の何物でもない。
 また監督は、フォレストと対称的な人物として、彼の幼馴染ジェニーの名前を挙げる。彼女は「満たされぬ思いを抱えたアメリカの世代」[2]とされ、確かに主人公とは全く違う人生を送っていく。そして、フォレストの行動が肯定される一方で、ジェニーのそれは明らかに否定されている。
 ジェニーの部屋が映る場面に注目していただきたい。背後の壁には、ギターを持った女性の写真が張られているのが分かる。ジョーン・バエズの写真だ。彼女は、1960年代の公民権運動及びベトナム戦争に対する反戦活動に参加したフォーク歌手である。ジェニーはベトナム戦争の時期をヒッピーとして過ごす。その一連の行動には、確実にバエズの影響があると、壁の写真は明示しているわけだ。
 フォレストが軍に入隊したのと同時期、ジェニーは自分が写った写真の雑誌への無断掲載が明らかになり、大学を追い出されてしまう。そんな彼女が流れ着いたのは、アラバマのストリップ小屋だった。彼女は全裸に近い状態で椅子に座り、男たちに囲まれながら、ギターを手に曲を弾いて見せる。先に触れたように、ジェニーはジョーン・バエズと自分を重ねている。彼女がストリップ小屋で服を脱いでいるということは、ジェニーへの物語上の侮辱的行為にとどまらず、バエズに対する侮辱をも喚起することになる。さらに司会者は、“ミス・ボビー・ディロン”としてジェニーを紹介する。これは明らかにボブ・ディランのもじりだ。つまりこの場面では、ジェニーという媒介を通じて、ジョーン・バエズ、ボブ・ディランを代表とする、60年代当時のリベラルな思想家たちへの非難が行われているのだ。これはフォレストの在り方を肯定する姿勢と、軌を一にしている。
 ジェニーはその後、男から暴力を振るわれ、麻薬に依存し、最終的にはエイズに感染したことで命を落とす。“満たされなかった”人々、反戦学生や活動家の末路は、死なのだと宣言しているも同じである。

 これ以外にも、様々な観点から今作の問題を指摘することができる。そしてそのほとんどは、監督自身が「楽しいのは編集室での作業だ」[5]と明言しているように、編集によって生まれた歪みである。
 改めて明らかとなるのは、映画が省略によって成り立つ芸術でもあるということだ。作り手の都合に応じて、歴史は編集室の中で捻じ曲げられ、切り取られ、歪に繋ぎなおされる。それをスクリーン上に見たとき、映される出来事の真偽を自発的な学習によって判断することが、我々観客には求められる。今作を、「人生の解釈にまつわる感動的人間ドラマ」として評価する一方で、「差別を容認し体制に従うことが良きこと」とされる登場人物たちの表現に疑問を持ち、声を上げることが重要である。フォレスト・ガンプというキャラクターを愛し尊重する一方で、彼になろうとしてはいけない。
 また、今作の主演であるトム・ハンクスには、『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』(原題:The Post)でこのような台詞がある。

 「報道の自由を守るには、報道をし続けるしかない」[6]

 これは映画を作る側にも、見る側にも当てはまる。今作の公開から20年後、『グローリー/明日への行進』(原題:SELMA)と『大統領の執事の涙』(原題:The Butler)が公開された。この二作は、今作が意図して描かなかった歴史と、今作が描いた時間の流れをより政治的に近い場所から描いた、明快な解答である。ある作品に対して、別の作家が自身の作品をぶつけることで、観客に向けて新たな解釈を拓く。そして観客は、様々な作品の鑑賞と知識の蓄積を経て、次に見る映画の内容を咀嚼していく。結局のところ、映画を理解するためには映画を見続けるしかないのだ。
(文・谷山亮太)


[1] Because these national guardsmen are here today as federal soldiers for Alabama, and they live within our borders. They are all our brothers. We are winning in this fight, because we are awakening the American people to the dangers that we have spoken about so many times that is so evident today, the trend toward military dictatorship in this country.
(『フォレスト・ガンプ』本編 0:23:21~)
前後に関しては下記リンクを参照
[2] ジェームズ・ボールドウィン(James Baldwin)、アメリカ・ニューヨーク州出身の黒人作家。代表作に『ビール・ストリートに口あらば』(原題:If Beale Street Could Talk)がある。未完成原稿(『Remember This House』)を下敷きにしたドキュメンタリー、『私はあなたのニグロではない』(原題:I Am Not Your Negro)では、彼に影響を与えた映画が紹介されている。ボールドウィンはそうした作品で描かれた黒人像を、「黒人の品位を落としていた」と評し、役を演じた俳優を「憎んだ」と語っている
(『私はあなたの二グロではない』本編 0:13:46~)
[3] The Jenny character, I thought represented the unfulfilled hole-in-the-soul part of an American generation, of not being able to find fulfilment in anything other than sex, drugs, rock and roll, whatever was going on at the time. And Forrest represented the ideal of what American was supposed to be, you know, Mom, God and Apple Pie, right?
(『フォレスト・ガンプ/一期一会』DVD音声解説より 0:39:18~)
[4] 町山智浩氏は、自身の担当しているWOWOWの映画批評コーナーにおいて、様々な問題点を指摘し、「フォレスト・ガンプ(の存在)というのは、徹底的な民主主義の否定なんです」と語っている
(下記リンク 0:21:15)
[5] The fun part for me is in the editing room. That’s where I have most fun because it’s just me, my film and my editor.
(『フォレスト・ガンプ/一期一会』DVD音声解説より1:09:26~)
[6] The only way to protect the right to publish is to publish.
(Ben Bradlee, played by Tom Hanks)

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参考/出典:
https://youtu.be/8Kbn9IVrgkE (町山智浩の映画塾!「フォレスト・ガンプ 一期一会」〈復習編〉)
『フォレスト・ガンプ』(ウィンストン・グルーム著 小川敏子訳 1994年)
『私はあなたのニグロではない』(原題:I Am Not Your Negro ラウル・ペック 2016年)
『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』(原題:The Post スティーブン・スピルバーグ 2017年)
『フォレスト・ガンプ/一期一会 スペシャル・コレクターズ・エディション』音声解説1(ロバート・ゼメキス(監督)、スティーブ・スターキー(製作)、リック・カーター(プロダクション・デザイナー))
https://archives.alabama.gov/govs_list/schooldoor.html (Alabama Department of Archives and History Governor George C. Wallace’s School House Door Speech)
https://youtu.be/4WbLGlIzW88 (A Confrontation for Integration at the University of Alabama)


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