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映画短評第十三回『ヒッチャー ニューリマスター版』/カリフォルニアには何があるのか

 コロナ禍の状況で、海外の映像作品が日本で劇場公開される頻度が減ったためか、ここ最近、過去の名作とされる外国映画がリバイバル公開されることが増えている。今回紹介する『ヒッチャー』もそのひとつで、公開時から間もなくカルト的名作だと認知された映画だ。
 『ヒッチャー』をカルトたらしめている理由は、主にその脚本の単純さにあるように思われる。舞台はテキサス。建物ひとつ見当たらない荒野で、主人公の青年ジムがシカゴからカリフォルニアに向けて車を走らせていた。道中、彼は一人の中年男性をヒッチハイクで乗せる。ジョン・ライダーと名乗るその男は、ジムに向かっていきなり刃物を突き付け、襲ってきた。ライダーは幾度となくジムに振り切られるが、なぜかこの男はジムの行き着く先々に突然姿を現し、周囲にいる人間を惨殺しながら暴力をまき散らす。この男は、その目的を明確に語らないまま、ジムが恐怖におののいているのを見て楽しんでいるような素振りすら見せていたのだ。最終的にこの男は警察に逮捕されるのだが、ジムが受けた心の傷は深く、映画は当てもなく荒野をさまよう青年のシルエットとともに幕を閉じる。乱暴に要約すれば、これは一人の狂った男が若い人間を執拗に追い回すだけの映画である。一体『ヒッチャー』は何を物語っているのか。
 主人公ジムが向かう先はカリフォルニアであることは述べた。このジムという青年は、典型的な、都会に憧れる田舎の青年として描かれている。カリフォルニアに行けばうだつの上がらない今の自分から変われるかもしれないと、ジムは漠然と考えているのである。一方、警察に捕まった後、ライダーは尋問で出身を聞かれると、一言「ディズニーランド」とだけ答える。カリフォルニアには世界で最初に建設されたディズニーランドが存在することに、ここで思い至るだろう。
 つまりジョン・ライダーは、物質文明の夢が遣わせた使者であり、人々が都市に抱く希望や幻想を粉々に打ち砕く悪夢の具現化である。同時にライダーというキャラクターは、夢を抱く若者に現実の厳しさを教える父権的な機能も果たしていると言えるだろう。結末を見る限り、ライダーが去った後に青年はどう生きていくべきなのか、この映画は答えを用意してくれてはいないようである。
(文・中島晋作)

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