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どちらも大切にできる方法
人によって、大切にしたいものはちがう。
ちがうことは、悪いことではない。
だけど、そのちがいをどう埋めたらよいのだろう。
自分が大切にしたいものを、
相手が大切にしていないと感じたとき、
ひとは「自分が大切にされていない」と感じてしまいがち。
「そうではない。
大切にしたいものがちがうだけなんだ。
決して私のことを大切にしていないわけではない。」
一生懸命、頭は心を落ち着けようとするけれ
「無力」という強大なパワー
震災当時、長女が0歳だったので、
「震災から何年」と彼女の年齢がリンクしているわが家。
わたしは長女とふたりきりで自宅にいた時間帯に被災した。
長女は、まだ、歩くこともできない、話をすることもできない、小さな命だったけれど、
「私はひとりぼっちではない」
「私には守るべき者がいる」
という思いが、
どれだけ当時の私を支えてくれたかわからない。
彼女と一緒だったから、
私は恐怖に押し潰されずに
欲しかったのは自分からの愛
私の中には、
いつも自分を責めている自分がいた。
自分で自分を責めているから、
だれかの何気ないひとことや、
だれかの何気ない行動を、
「責められた」
「不満を言われた」
と勝手に受け取り、
罪悪感を強く感じる。
だけど
罪悪感を感じるのは嫌だから、
「自分は悪くない」と主張するために
反射的に相手を攻撃していた。
理不尽だと感じる不平不満を他者からぶつけられても、
ぐっと堪えて溜
場所や自分を変えずとも
(2022年1月5日に書きかけていた記事を公開します。)
今朝、
いつもの通勤路を歩きながら、
ふと気づいた。
すこし前までのわたしは、
この道をおなじように歩きながら、
「どこかへ 行きたい」
と、いつも思っていたことに。
今いる場所ではないどこかへ
行きたいと思っていた。
そこへ行けば
しあわせになれるにちがいない。
そう思っていたんだと思う。
今
ここで
しあわせになれることを、
自由を放棄してきたことに気づくこと
2018年8月、
わたしは自分自身の足で立って生きることを決意した。
わたしはこのとき、
だれかのせいや、
なにかのせいにして生きる人生を、
卒業しようと決めたのだ。
自分の人生の責任は、自分がもつ。
「自分が不幸なのは、あの人のせい」とか、
「自分が不幸なのは、環境のせい」とか、
そんな風に責任転嫁して生きることから卒業しようと決めた。
自分には、いつだって選択の自由があった。
その自
ただ身をゆだねていればいい
2022年がはじまり
私がいる世界がすっかり変わった
一見すると
なにも変わっていないのだけど、
それはまるで
2021年からのただの続きのように見えるのだけど、
パラレルワールドが移行したことを
しみじみ感じるのだ
2021年のおわりごろ
私はこれまでの世界から抜け出そうと決めた
【罪悪感】をベースに生きてきた世界は
もう卒業すると決めたのだ
そう決めたはいいものの
一体どうやったら
自己犠牲ではなく喜びの愛を
自己犠牲は美徳のように思いがちだが
実際は罪悪感の押し売りだ
自己犠牲の上に与えられたものに
与えられた側は
感謝よりも罪悪感をかんじる
自己犠牲ではなく
喜びの愛を贈ろう
愛する喜びを思い出そう
ちっちゃなプライドを愛しむ
子どものころ
親から
「おまえは子どもなんだから
親の言うことを聞いてればいいんだ」
「自分で稼がないやつが
えらそうな口をたたくんじゃない」
みたいなことを
言われ続けたから
わたしには
「早く自立して親から解放されたい!」
という思いが
ものすごく
深く深く刻まれた
(だから、わたしは、子どもたちに上記の言葉は決して言わない)
だけど
就職は思うようにうまく行かず
実家暮らしの日々
途方に暮れながら探せばいい
私の「不登校の親」歴は、約5年になる。
現在、中学3年生の長男が小学4年生のころ、はじめて連続して学校を休んだときは、私も戸惑った。
「どうして行きたくないの?」と問い詰めてしまったり、
「どうして行ってくれないの?おかあさんを困らせるの?」と泣いてしまったり、
今振り返れば、
【子どもが学校に行きたくないと言ったときに、
親にやってほしくないこと】
のすべてをしたように思う。
私は、子ども
評価しているのは常に自分
私は「離婚」は人生の転機のひとつにすぎないと思っている。
「転職」とかとおなじ。
もちろん、心からそう思えるようになったのは、自分が「離婚」を経験してからのことなので、
そう思えない人がたくさんいるであろうこともわかる。
私の場合、
自ら「離婚」を望み、
相手から了解してもらって離婚しているので、
「望みが叶った」という思いが最初から強かったけれど、
逆に相手から離婚を望まれた側にしたら、