途方に暮れながら探せばいい
私の「不登校の親」歴は、約5年になる。
現在、中学3年生の長男が小学4年生のころ、はじめて連続して学校を休んだときは、私も戸惑った。
「どうして行きたくないの?」と問い詰めてしまったり、
「どうして行ってくれないの?おかあさんを困らせるの?」と泣いてしまったり、
今振り返れば、
【子どもが学校に行きたくないと言ったときに、
親にやってほしくないこと】
のすべてをしたように思う。
私は、子どもが学校へ行かない親子をサポートする活動をしている人と、当時すでに知り合いで、
その人の話を聞いて、
「学校へ行かないことは、悪いことでもなんでもない。」
「学校へ行かなくても、その子の将来は大丈夫。」
という机上の知識を得ていたにも関わらず、
実際自分の身に起こったら右往左往してしまったのだった。
「机上の知識」は、あくまで「机上の知識」。
自分の中に落としこむには、実践が必要だということがよくわかった。
長男の「不登校」にもだいぶ慣れてきた3年目に、
今度は当時小学2年生だった長女も学校に行きたくないと言い出した。
おもしろいことに、
長男の「不登校」はすでに受け入れている私でも、
長女が学校へ行かないと言い出すと、再び戸惑いを感じた。
「長女までそうなるのか」という思いや、
「長男は小学4年生のときだったのに、長女はまだ小学2年生だ。こんなに早くから学校へ行かなくなってしまって大丈夫だろうか、、」
という不安が湧いてきた。
自分でもおもしろいなあと思う。
そして、次男は、小学校入学のタイミングでコロナによる一斉休校。
入学式が2ヶ月遅れた。
日本全国の子どもたちが「不登校」状態を味わったあのとき、
すでに「学校へ行かない」生活が「あたりまえ」になっていたわが家は、
全国の子どものいる家庭が右往左往する中、
ほぼ「あたりまえ」の毎日を過ごしていた。
3月まで保育園に通っていた次男も、そこに仲間入りしたことだけは特別だったが、
兄と姉が家にいたことで、次男もその生活にすぐに馴染んでいった。
6月の入学は楽しみにしていたし、すごくワクワクして学校へ行った次男だったが、
わずか一週間で「学校は、あまりワクワクしないところ」と感じたらしい。
「ぼくも、おにいちゃんやおねえちゃんみたいに、
がっこうにいかないで、おうちにいる。」
と言い出した。
【ブルータスお前もか】
そのときも、やはり私はこんな気持ちになったものの、
「しかたない。そりゃそうなるよな。」
と比較的早く切り替わった。
3人目にして、ようやくだ。
しかし、3人とも、微妙に状況が異なるから、
3人それぞれについて今後の学びのことを考えなくてはいけない。
それは、学校へ行っていようが、行っていまいが、本来は変わらないことなのかもしれないが、
学校へ行っていれば、学校に丸投げできる(いや、つい丸投げしてしまう、と言ったほうがいいか)部分も、親が考えなくてはならない難しさがある。
この5年で広がった学校へ行かない子どもたちとその親をサポートする仲間たちとの繋がりをもつ私でさえ、
時々「どうしよう、、」と立ち止まる場面がたくさんある。
だから、
子どもが「不登校」になったばかりの親が途方に暮れるのは当然のことである。
子どもが「不登校」になって何年経とうと、
悩むことが起きるのも当然のことである。
だって、
瞬間、瞬間、
子どもたちも
自分も
ちがうのだから。
「不登校」は
「学校へ行っていない」というだけのことで、
問題でもなんでもない。
なぜ、それが「問題」だと感じるかといえば、
私たちの中に
「学校は行くべきところ」という「思いこみ」があるからだ。
その「思いこみ」は、
今私たちがいる社会がつくったもので、
だからこそ
その「思いこみ」を書き換えるのは容易ではない。
自分が変えても、周りに押しつけられることがたくさん起こるから。
なので、
途方に暮れていい。
途方に暮れながら、
その子にとっての最善のかたちを探していけばいい。
その子にとっての最善のかたちを「探す」というプロセスが【愛】だとおもう。
戸惑いを感じることも、
すべてがわが子への【愛】だ。
だから、
いっしょに途方に暮れながら
その子の最善のかたちを探していこう。
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