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烏賀陽弘道 ~フクシマからの報告~

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京大卒の元朝日新聞記者が、フクシマの今をレポートしています。 福島の一部地域は、もう人の住める場所ではありません。マスコミが報じない衝撃の事実が沢山レポートされております。 記事…
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#除染

フクシマからの報告 2022年春    除染解体で消えゆくふるさと      福島第一原発3.5キロの商店街で      11年を経てゆっくり姿を現した破壊     これは戦争と同じではないのか?

フクシマからの報告 2022年春    除染解体で消えゆくふるさと      福島第一原発3.5キロの商店街で      11年を経てゆっくり姿を現した破壊     これは戦争と同じではないのか?

下の2枚の写真を見比べてほしい。同じ、福島県大熊町にあるJR常磐線・大野駅の跨線橋に立って撮影したものだ。13ヶ月の間に、駅前にあった4階建てのビジネスホテルがそっくり姿を消した。

同駅は、福島第一原発から西に約3.5キロ。事故前は、原発に往来する人が利用する最寄り駅だった。東日本大震災のあった2011年3月11日夜に全町民1万1505人に避難が命じられ、大熊町から人の姿が消えた。

原発直近の

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フクシマからの報告 2019年冬    全村避難解除から2年         自然のつくった氷の芸術は       除染による破壊から無事だった

フクシマからの報告 2019年冬    全村避難解除から2年         自然のつくった氷の芸術は       除染による破壊から無事だった

2019年2月中旬、福島県飯舘村をふたたび訪れた。いつも通り、村の四季の自然をカメラに納めるためである。

厳冬の村は寒かった。最高気温が摂氏0度。日が陰るととマイナス5度以下に下がる。風が強いので、体感温度はもっと低い。「寒い」というより「痛い」という感じだ。刺すような冷気で足先や手指、耳がキリキリと痛い。

2011年3月11日から始まった福島第一原発事故で吹き出た放射性物質のプルーム(雲)で

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フクシマからの報告〜2019年冬    佐野ハツノさんをしのぶ        原発事故から8年          事故当時を知る人々が        力尽き・病気になり・亡くなる現実

フクシマからの報告〜2019年冬    佐野ハツノさんをしのぶ        原発事故から8年          事故当時を知る人々が        力尽き・病気になり・亡くなる現実

佐野ハツノさん(冒頭の写真)が亡くなった、とインターネットのニュースで知った。頭をいきなり殴られたような衝撃だった。しばらくパソコンの前で体を動かせなくなった。取り返しのつかない失敗をした。なぜもっと早く会いに行かなかったのだ。自分を責めた。2017年秋のことだ。

70歳。がんだったという。

ハツノさんは、福島県飯舘村で農業を営みながら民宿を開いていた。同村は、阿武隈山地の標高500メートルに

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原発事故避難者の数を少なく見せる   政府の統計のトリック         これは「復興偽装」ではないのか?

原発事故避難者の数を少なく見せる   政府の統計のトリック         これは「復興偽装」ではないのか?

<この記事のまえがき>
 福島第一原発事故8年目の2019年3月10日前後に流れるインターネット上の発言に目を通していたら「政府が発表する原発事故避難者の数は減少している。減少した分は、原発事故前の家に戻った」と本気で信じている言説が多数流れていることに気がついた。

 何度でも繰り返すが、これは誤謬である。原発事故前の家に戻れないのに、避難者のカウントから外された人が多数いる。そして、そうした人

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フクシマからの報告 2019年春    原発事故から8年 カエルの産卵地も除染で破壊 消えゆく事故前の山村風景

フクシマからの報告 2019年春    原発事故から8年 カエルの産卵地も除染で破壊 消えゆく事故前の山村風景

 毎年、サクラの咲く季節に福島県飯舘村に取材に行くと、必ず足を運ぶ場所がある。同村の南端・比曽(ひそ)という集落にある公民館である。ここはかつては小学校だった。廃校跡に公民館が作られた。その一角にこじんまりとした体育館とプールが残っていた。

 このプール跡の水たまりに、冬眠から目覚めたカエルたちが産卵に戻ってきているかどうかを確かめる。それが私の毎春の習慣になった。

 飯舘村は阿武隈山地の中、

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フクシマからの報告 2019年春    8年間眠り続けた           原発事故被災地の高校 ついに休校  被災地に子供戻らず 消えゆく学び舎

フクシマからの報告 2019年春    8年間眠り続けた           原発事故被災地の高校 ついに休校  被災地に子供戻らず 消えゆく学び舎

 前回のカエルの産卵プールに加えて、私がサクラ咲くシーズンに福島県飯舘村を訪ねると必ず寄る場所がある。

 同村深谷にある相馬農業高校・飯舘校である(冒頭の写真=2019年4月27日に筆者撮影)。1949年の創立。これまでに約3400人の卒業生を送り出してきた。全校定員40人のこじんまりとした学校だった。

 2011年3月11日から始まった福島第一原発事故による汚染で、国が全村民6,000人に強

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フクシマからの報告 2020年秋    沿線30㌔廃墟が続く 山街道を行く  人口帰還率6% 浪江町を歩いた   写真ルポ(下)

フクシマからの報告 2020年秋    沿線30㌔廃墟が続く 山街道を行く  人口帰還率6% 浪江町を歩いた   写真ルポ(下)

前回に続いて、福島県浪江町からの報告を書く。

上巻は同町の平野部・海岸部の市街地の様子を書いた。今回は方角を東から西に反転して、阿武隈山地の山間部を訪ねる。 

前回のおさらいをしておこう。

浪江町は東西に長い。西の町境から太平洋岸まで35㌔ある。東京圏でいえばJR東京駅から八王子駅の距離に近い。福島第一原発のある双葉町の北隣。町の中心部は原発からは約8㌔しか離れていない。

2011年3月1

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フクシマからの報告 2021年冬      10年前見た行方不明の家族を探すチラシそのお父さんにようやく会えた             自宅跡は核のゴミ捨て場に       それでもなお娘の体を捜し続ける

フクシマからの報告 2021年冬      10年前見た行方不明の家族を探すチラシそのお父さんにようやく会えた             自宅跡は核のゴミ捨て場に       それでもなお娘の体を捜し続ける

2021年3月で福島第一原発事故の取材を始めて10年が経つ。その10年の間、ずっと気がかりでありながら、取材をする勇気が出なかったことがある。

震災直後の2011年の春、私は福島県南相馬市に入った。同市は原発から約25㌔のところにある「浜通り」(太平洋沿岸)地方の基幹市だ。

原発から20㌔圏が国の命令で「警戒区域」として立ち入り禁止にされ、30㌔圏は屋内退避になったころの話だ。私は、まさにその

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フクシマからの報告 2021年冬    渋谷区より広い核のゴミ捨て場が  4500人のふるさとをのみこんだ    撤去されるのは2045年        帰還人口2.5%の大熊町を歩く

フクシマからの報告 2021年冬    渋谷区より広い核のゴミ捨て場が  4500人のふるさとをのみこんだ    撤去されるのは2045年        帰還人口2.5%の大熊町を歩く

福島第一原発事故の被災地に行けば、延々と続く黒いフレコンバッグの山を目にしないことはない(下の写真は2014年5月14日、福島県大熊町で)。

中身は除染ではぎとられた汚染土や、解体された家屋の廃材である。福島第一原発の原子炉から噴き出し、一帯を汚染した放射性物質が含まれている。

政府は、住民を強制避難させている間、ばらまかれた放射性物質を除染し、それが済むと「帰ってよろしい」と避難を解除した。

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フクシマからの報告 2022年冬
原発事故被害地の農業は
どれぐらい回復したのか?
福島産米の価格は事故前を上回り
「風評被害」はもはや実在しない 
被害地から農業者が激減したことこそ実害

フクシマからの報告 2022年冬 原発事故被害地の農業は どれぐらい回復したのか? 福島産米の価格は事故前を上回り 「風評被害」はもはや実在しない  被害地から農業者が激減したことこそ実害

今回のテーマは「福島第一原発事故被害地の農業はどれぐらい回復したのか」である。

福島第一原発事故が起きてから、2022年3月11日でまる11年である。同原発から噴き出した放射性物質が農地や住宅地、工業・港湾地帯に降り注いで建物や土壌を汚染し、10年以上が経過した。

特に汚染の重篤だった同原発から半径20キロ内の地域から、国は住民約9万1,000人を強制避難させた。「住民が全員強制避難」というこ

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<フクシマからの報告>2020年夏  「私はモルモットでいい」        放射能に汚染された村で       9年間土壌や食品を測り続ける     伊藤延由さん(76)の記録

<フクシマからの報告>2020年夏  「私はモルモットでいい」        放射能に汚染された村で       9年間土壌や食品を測り続ける     伊藤延由さん(76)の記録

 福島第一原発事故でもっともひどい放射性物質の汚染を浴びた村に住み続け、自分や自宅の被曝量を測る。除染前と除染後を比較する。

 山菜を採り、作物を育て、その線量を測る。土壌の汚染を測る。それをインターネットやSNSで公開する。

 そんな地道な作業を、事故発生時から9年以上続けている人がいる。

 伊藤延由(いとう・のぶよし)さんという。現在76歳。伊藤さんが住んでいるのは、福島県飯舘村という標

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<フクシマからの報告 2021年秋>    やはり放射性物質を運んでいた     福島第一原発から1キロを走るJR常磐線 茨城県ひたちなか市にある        洗車場と隣接公園の土壌線量データ入手 仙台・品川間を走る列車の汚染を確認

<フクシマからの報告 2021年秋>    やはり放射性物質を運んでいた     福島第一原発から1キロを走るJR常磐線 茨城県ひたちなか市にある        洗車場と隣接公園の土壌線量データ入手 仙台・品川間を走る列車の汚染を確認

今回、JR常磐線の車両に付着した放射性物質の実測データを入手したので、記事を無料で公開する。懸念したとおり、同線の車両は福島第一原発から出た放射性物質を運んでいた。

2020年3月にJR常磐線(東京・上野〜宮城・仙台)が東日本大震災以来9年ぶりに全線開通した時、私が懸念したのは、福島第一原発事故で噴き出した放射性物質を、車両が付着したまま沿線に運んでばら撒いてしまうのではないかという点だった。悪

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