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炭酸水素ナトリウム。

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日々の、なんてことない、言葉。だけど、少しだけ、心を刺激する。炭酸水のような、ラムネのような効能、小さじ一杯分。息苦しい世界の、ガス抜きと中和。
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人は。

人は、
物語があるから生きて行ける。

たとえ、それが
孤独な人生だとしても。

少なくとも、わたしは、そうだ。

まっとうな心理カウンセラーは

「治らないクライエントが多い」

と嘆きます。


誤解です。


『治らないクライエント』
が多いのではなく

『治せないカウンセラー』
が多いのです。


『治そうとするカウンセラー』や
『治せると思い込んでいるカウンセラー』の
次ぐらいには。

医者で言うところの『診断』のことを
心理カウンセリングでは「見立て』という。

じゃあ、『良い見立て』とは?

カウンセラーにとって良いのではなく、相談者にとって良いものが『良い見立て』だ。

自分の心さえ正しく見立てられない者が
他者の心を正しく見立てられる訳がないじゃないか。

心の一端である
意識に言葉が芽生えた時

大地と空は線で区切られ
もうひとつの世界が現れます

すると

無限に広がるその空間を
心は自在に飛び回り始めます

まるで

空飛びの魔法を掛けられた
箒のように

言葉と魔法とは

ほとんど同義だということに気がつき
眩暈がします。

嘘をつくということを
昔は「ヲソを説く」と
言っていたようです。

ヲソというのは
偽りというよりは
作り話のような意味合いです。

ヲソには
凝り固まった世間のものの見方を
解す作用があります。

誰かが
いつも
どこかで
正しいことを言い募る今の世の中にも
あると良いのにね。

言葉で心は癒せません
だって

心というものが何であるの前に
心というものがあるかどうかさえ

私たちは分かっていないのですから

「君のこと、良く分かるよ」
という口説き文句と同じように

「あなたの心を癒せます」
と言うカウンセラーの言葉ほど

当てにならないものはありません

一度目の偶然は、気の所為で、
二度目の偶然は、季節の気紛れで、
三度目の偶然は、運命の悪戯で、

人は、恋に、落ちるのでしょう。

いずれにしても、行先が、天国か地獄かは、わかりませんが、

線路や道路を走る車窓から見える景色だけが正義とは思いたくないものです。
上りも、下りも。

Webで得た知識から生きた発想はほとんど生まれません。

内容が情報の水準だから当然です。情報は容易にコピペできます。

一方、日常のふとした言葉や発言に揺さぶられることがあります。その人が培った生きた知恵と出会うからです。

目から鱗、体験です。SNSにはほとんどありませんが。

風というものは不思議なものです。

その姿を見ることはできませんが、その働きを見ることはできます。

心という見えないものを癒すとき、見えない風となって働きかけることが淀んだ流れを再開させるなら、

その風は、できる限り小さく、弱いことに越したことはありません。

「願い」というものは、たとえ叶わなかったとしても、私たちを励まし、勇気づけてくれます。

大きな夢や目標の前に、小さくても、ささやかでも、何かを願うことの大切さを子供に教えることは、大人の大きな仕事のように感じます。

だって、大人は、人生が苦しいことを既に知っているのですから。

生きている、ということは、いずれ訪れる死を迎え入れる、ということでもあります。

何百何千年と経ち、科学技術が人間の寿命をいくら延ばすことができたとしても、私たちの「たましい」が受け入れることはないでしょう。

生きるために大切なことが、おいてけぼりに感じるのは私だけでしょうか。

大切なものほど自分の力で守らなくてはならない時があります

誰にも子供の頃、自分でも分からぬままとっさについた嘘があったでしょう

それはなかなか危険な経験ですが成長の種の芽を出す可能性が秘められていることがあります

芽を摘むのも伸ばすのも
大人であることを忘れたくないものです