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My Hair is Badの「続き」はこれから

【My Hair is Bad/『hadaka e.p.』】

僕は、同世代のアーティストの中で、日本語で日々の生活の心情や情景を綴らせたら、椎木知仁の右に出るものはいないと思っている。

《ブラジャーのホックを外す時だけ/心の中までわかった気がした》

この必殺のパンチラインから幕を開ける"真赤"を初めて聴いた時の衝撃は、数年が経った今でも鮮明に覚えている。

この曲をはじめ、My Hair is Badの代表曲の多くはラブソングである。

痛々しくて、不器用で、情けないくらい真っ直ぐで、だからこそ圧倒的にリアルな愛の言葉たちは、エモーショナルな爆音に合わせて、たくさんのリスナーの心を掴んだ。

僕たちはMy Hair is Badにラブソングを求め、彼らはその欲望に真正面から向き合い、最大限に応えてきた。

そして、時代のニーズやシーンの趨勢は、彼らの味方をした。日本武道館公演2デイズを含む全国ホールツアーの大成功、「ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2018」では初のGRASS STAGE抜擢。今年も、数え切れないほど多くのリスナーが、椎木の紡ぐ愛の言葉に救われてきた。

しかし、約1年ぶりの新作音源となる『hadaka e.p.』は、乱暴に言い切ってしまえば「脱・ラブソング」な作品となっている。

今作は、過ぎてしまった恋愛(そして、それに伴う青春)、つまり「過去」を振り返ることによって生まれた作品ではない。椎木の目線は、目の前の景色が開かれていく「今」へと移り変わっているのだ。

《眠れずに眺めてた あのテレビ/僕らはいつまでも忘れられないまま/奪い取られてた でもいつか/僕もきっと気付かずに 奪い取ったんだろう/失くなったことばかり/ずっと思い馳せないでいて/続きは これから》("次回予告")

直接的なラブソングは減っているように思えるが、My Hair is Badの表現の核はやはり変わらない。

椎木はいつだって、恋や愛の先にある赤裸々な感情をストレートに射抜いてきた。だからこそ彼の紡ぐ言葉は、僕たちの日々の生活の「普遍性」とリンクする。

今作の"裸"を聴いた時、歌うテーマが何であれ、椎木の歌はやはり信頼できると強く感じた。

《ただひとつになりたいのに/どこまでもふたつで/いくら愛や教養を見せ合っても/辿り着くのは裸だ》

この曲は、これまでの一人称のラブソングとは全く異なるスケール感を持っている。遥かに高い視座から描かれた、壮大な「愛の唄」だ。

僕と同い年の椎木にだから、少し偉そうなことを言うが、彼はまだまだバンドマンとして、そして音楽家として成長途中だ。

だからこそ、リアルタイムで彼の歩みを感じることができるこの音楽体験は、何よりもスリリングだし、とても刺激的だ。

いつだって「今」が最も熱いロックバンド。僕は、椎木を信じて、My Hair is Badを追い続けていく。

間違いなく、この才能は更に化ける。


※本記事は、2018年11月10日に「tsuyopongram」に掲載された記事を転載したものです。

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