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#生きづらさ
子どもが苦手。心がぐしゃっとするから
私は子どもが苦手だ。
遊んだり相手をするのもそうだが、見かけるだけでも苦手だ。
私は動物園が好きなのだが、当然家族連れも多い。
幼い子どももよく見かけるが、落ち着かない心地になる。
心がぐしゃっと 歪むのだ。
◇危ういもの
幼い子ども(幼児〜小学生くらい)を見ていると、ひどく危ういものを見せられている気持ちになる。
目の前で高層ビルの綱渡りを見せられている、とでも言おうか。
望まないの
「頑張ったね」が受け取れない-ACの自己肯定感-
うつ病になってから。
医者やカウンセラーから度々「頑張ってるね」と言われる。
そう言われて、ピンと来ない自分がいる。
そもそも、私は褒め言葉を受けとる・感じることに難がある。
褒められても実感が湧かない。
1番近い感覚を書くと
「何言ってるんだろう…」
もしくは
「そうなんですね」
…おかしくないか?なんだ、この感想は。
自分に向けられた言葉として、全く受け止められていない。
投げられ
自己開示、苦手です。暴かれるのはもっと苦手です。
◇自己開示がへったくそ
自己紹介が下手だと先日書いたが、要は自己開示が苦手なのだな、と。
リアルでない場所ですら、自分の内情を出すのには抵抗がある。仕事とか、病気とか、メンヘラな部分とか。Xで趣味垢も持っているのだが、「誰が見ても不快にならない公共性の高い発言」以外は、自分の中の検閲に引っ掛かってしまうので投稿できない。
note及びnoteと紐づけているアカウントでは自己開示の練習として、
「子供欲しくない」にどうして辿り着いたんだっけ
◇「子供を持つ」と言う常識
おそらく、「子供が欲しい」と感じたことはない。
中学生の頃、同級生と「将来結婚して旦那が〜子供が〜」などと軽口を叩いたこともあるが、あれは自分の望みというより、通過儀礼として「そうするもの」と思っていたのだろう。
勉強が嫌いでも、勉強をして学校に行く。
働くのが嫌いでも、就職して働く。
当時の私にとっては、子供を持つこともこれらの慣習と変わりなく、当然の行いとし
100の悪いことが1の良いことで言いくるめられるのが親子関係
ここまでの記事で、自分の家族や母との間にある問題について度々書きてきた。
こうやって振り返ると、母が完全悪のようである。
実際には、親にも良いところはあったのだ。
ご飯をたくさん作ってくれたとか、学びにお金を出してくれたとか。
でも、自分の家族は機能不全家族であったと、家族のことを良く思えない気持ちがあると、家族の良い部分を話すことには抵抗が出てくる。
親子問題は、100の悪いことが1の良い