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無になる過去、子供時代


グループワークの話のつかみで「子供の頃、思い入れのあるものはなんですか」と聞かれた。周りの参加者は「遠足」「グローブ」「かっこいい文房具」などと各々答えていた。
子供の頃、好きだったものはあるだろう。
でもそれを思い出しても、私の心には虚無が広がるだけだ。

子供の頃、家族でたびたび遊園地に出かけていた。でも、それを今「良い家族の思い出だね」「遊園地楽しかった?」と言われたら、何もわからなくなる。
その時の感情や出来事を思い浮かべると、心が無になる。フリーズする。この心地をどう説明すればいいのかすらわからない。でも、無になるが1番近い気がする。


◇子供の頃と育ち、家庭環境

毒親や機能不全家庭などで育つと、子供は親の顔色を伺い、正解とされる振る舞いをするようになるパターンがあるという。

自分が抱いた感情は正解でなく、親の決めた正解がある。その通りにしないと親は不機嫌になったり、突き放したり、蔑んだりしてくる。だから、自分の感情のままの振る舞いをしなくなると。
(この辺り今まで読み聞きした知識を混合して話してるので、素人話として正しさや正確さはついては許してほしい)

私も、ネガティブな感情を露わにすると、よく母親の不機嫌や不満に晒された。「そんなように感じ、態度や言葉に出すお前が間違っている」と、長い間親からのメッセージとして感じてきた。
まぁ、そこで明るく振る舞おうと大袈裟に喜んだりすると「そこまで言うほどのことじゃないと思うけど…」と呆れたように流されるのでやるせないが。

今思うと、ネガティブな感情が悪いわけではなく、「ネガティブな感情を向けられると自分が困る、自分の心が波打つ。それが不快だから止めさせたい」というのが母の欲求だったのではなかろうか。
自分に負荷をかける”わがままな”子供など、相手にしている余裕がないから。



さて、私は子供の頃、カラオケが好きだった。友人とも行ったし、何より母がカラオケが好きだったのだ。幼い頃からたびたび「行こうよー」と母に連れられ、カラオケは遊びの一つとして、私の選択肢に組み込まれるようになった。

けれど、親元を離れてだんだん好きじゃなくなった。1、2年はヒトカラにも行くほどだったが、元から感じていた「上手く歌えているのか」がより気になるようになり、歌うのが楽しいのか疑問に感じるようになった。そうしてカラオケに行くことはなくなり、友人との遊びでも候補にしなくなった。帰省時に母に誘われても行かなくなった。
今は、音楽や歌は聴く方が好きだと思っている。

このカラオケみたいに、私は昔の自分が感じていたことに自信がないんじゃないだろうか。
本当は好きじゃないけど、好きでいることがその場において正解だから、好きということにしたんじゃないのか、と疑わしいのだ。


◇ 無になる過去と、過去と地続きのはずの自分

子供の頃の記憶には、当時楽しかったといえる事も、当時も今も辛いと思うものもある。だが、どんな出来事も思い出すと、ひどく馬鹿馬鹿しく、しょうもない気分になる。当時、楽しかったと思われる記憶さえも、楽しいと言う実感と共には思い出せない。

この記事の中ですら、「楽しかった記憶だ」と断定できない。それくらい自信がない。


当時の自分は「確かな感情」に乏しかったんではないだろうか。自分の感情が家庭で認められることはなく、咎められるばかり。「楽しいはず」のことだけあって、それが自分の生の感情に繋がってなかったから、今思い起こし、その感情を尋ねられると無になる。

社会的にも文脈的にも、私は「親の影響で子供の頃はカラオケが好きでした」「親に遊園地に連れて行ってもらえて、それが楽しみでした」と答えればいいのだろう。
でもそう答えられる気持ちは私にはないのだ。


そんなわけで、何を思い出しても悪い気分になるだけなので、過去のことはあまり思い出さないように生活している。そのせいか、子供の頃のことはあまり覚えていない。

本当はあるはずの過去や記憶を、私はまるでないものみたいにして生きてる。地に足がつかない。突然生えてきたみたいに存在している。

自分の存在なんてあいまいだし、写真の話でも言ったように、私は自分の実存など考えたくもない。

存在している心地がしないのは、気持ち悪いのは、本来過去と地続きであるはずなのに、その過去をないものみたいにして生きてるからだろうか。
虚しいなぁ。


救われたくてもがいてる。でも、私は私の存在を根本部分で認めても受け入れてもいない。最初から何もなければ、生まれてこなければ、それが本当は1番良かったと思ってる。

もがいても、頭で分かっていても、私は自分にかかった呪いを、全然振り解けていないのだ。


溶けゆく、形を保てないから

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