フリ

日常で考えたことの備忘録。20代女/うつ病/愛着障害/ 機能不全家族(毒親)育ちのアダ…

フリ

日常で考えたことの備忘録。20代女/うつ病/愛着障害/ 機能不全家族(毒親)育ちのアダルトチルドレン。順当に生きづらいのでもがきながら生きてます。明日はどっちだ ※転載禁止

マガジン

  • ACの頭の中

    日常の中で考えたことから、自分の価値観や捉え方、認知の歪みを整理してみる。

  • イラスト・創作

最近の記事

「頑張ったね」が受け取れない-ACの自己肯定感-

うつ病になってから。 医者やカウンセラーから度々「頑張ってるね」と言われる。 そう言われて、ピンと来ない自分がいる。 そもそも、私は褒め言葉を受けとる・感じることに難がある。 褒められても実感が湧かない。 1番近い感覚を書くと 「何言ってるんだろう…」 もしくは 「そうなんですね」 …おかしくないか?なんだ、この感想は。 自分に向けられた言葉として、全く受け止められていない。 投げられたボールをキャッチするどころか、受け取ろうとする動作すらなく、ボールは体をすり抜

    • 私は家族が欲しい

      ◇家族=血の繋がり? 家族の基準とはなんだろう。 日本では「血の繋がり」「同じ家で共同生活を送る縁者」だろうか。 この認識が社会に根強いからこそ、「血が繋がらない家族」というものが問題やコンプレックスになってしまう事があるのだろうなと思う。 血が繋がっていたって、別に家族じゃないことなどざらにあるのに。 ◇私の家族 私には血が繋がった人たちがいる。いわゆる家族だ。 でも、中身がなかった。絆や愛や、信頼関係がないのだ。 大学生の頃、「私の家族の関係は、職場の人間関係

      • 空想に逃避する-解離という癖-

        ◇空想に逃避する 私は、今まで現代社会のタスクを頑張ってこなしてきた方だと思う。 成績とか、学問とか、自立とか、仕事とか、資格とか。 そのはずなのに、あまり現実を見て生きていなかった様な気がする。 過去のこと、覚えていないことが多い。 覚えていても、他人事のようで、よく分からない。 覚えていることは点で、連続性がなく繋がらない。 点は散らばっていて、ただ収拾なく転がっているだけだ。 子供の頃から、いつも私の頭の中には空想があった。 自分のためだけの物語がずっとくるくる

        • 自分の名前、好きですか?

          実のところ、自分の名前は好きじゃない。 苗字はまぁまぁ好きだ。少し珍しいので自己紹介でも掴みにし易いし、基本的に人からは苗字で呼んでもらえる。 好きじゃないのは下の名前、ファーストネームの方だ。 キラキラネームのように、派手やか過ぎて嫌だ…というわけでもなく、それなりによく聞く普通の名前である。 しかし、苗字で呼ばれることが常な私にとっては、ファーストネームは親が付けた、親しか呼ばない、私の固有名称なのだ。 なんというか、呪いの一部だな、と思う。 ご丁寧に付けられた、飼い

        「頑張ったね」が受け取れない-ACの自己肯定感-

        マガジン

        • ACの頭の中
          17本
        • イラスト・創作
          2本

        記事

          創作漫画「同居人との楽しい会話」あとがき

          昔、デザフェスに行った時に、作者にイラストの意図を説明されたことがある。「この部分は◯◯を表現していて〜」と。(意図の強い風刺的なイラストだった) それを聞きながら、「絵見たら分かるわい。分かるものが作れているのに、説明したら興醒めやろがい」などと思った。 が、今なら語りたくなる気持ちも分かる。 いっそ哲学のような、自分の考えや感じたことを創作に落とし込む人は、そのコンセプト部分こそが人と語り合いたい部分であり、完成系である絵や音楽の根幹について見て欲しくなるのだろう。

          創作漫画「同居人との楽しい会話」あとがき

          どこにも行きたくないし、どこにも居たくない

          昔話をしよう。 かつて、1年ほどドイツに留学していたことがある。学校の留学制度の網目をくぐり抜け、ゆるい審査で行ける、まぁお気楽な語学留学だった。 ちなみに、今はもうドイツ語は話せない。 当時はかなり熱心に勉強したが、満足してしまい、それ以降は別の勉強で忙しくなり、すっかり忘れてしまった。 留学したいと思った理由はいろいろある。 リスクが少ないうちに海外に長期滞在してみたいとか、本格的に外国語を学んでみようと思ったとか。 同時に、私には「ここではない何処かに行きたい」

          どこにも行きたくないし、どこにも居たくない

          【創作漫画】同居人との楽しい会話

          【創作漫画】同居人との楽しい会話

          自己開示、苦手です。暴かれるのはもっと苦手です。

          ◇自己開示がへったくそ 自己紹介が下手だと先日書いたが、要は自己開示が苦手なのだな、と。 リアルでない場所ですら、自分の内情を出すのには抵抗がある。仕事とか、病気とか、メンヘラな部分とか。Xで趣味垢も持っているのだが、「誰が見ても不快にならない公共性の高い発言」以外は、自分の中の検閲に引っ掛かってしまうので投稿できない。 note及びnoteと紐づけているアカウントでは自己開示の練習として、クリーンな気持ち以外も書くことにチャレンジしている。 また、チャレンジしてると

          自己開示、苦手です。暴かれるのはもっと苦手です。

          断言できない曖昧な”自分”

          過去に投稿した「自己紹介下手問題」で、自分の自己紹介として以下のような文章を書いた。 自分で読み返した時、正直「おそらく、とか気質だとか疑惑とか、逃げの文多すぎでしょ」と思った。 (ちなみにうつ病疑惑からうつ病にジョブチェンジした) しかし、別に逃げているわけでない。自分の感覚を正しく書き出すと、こういう言い回しになってしまったのだ。 なので「なんてふわふわしてるんだ」と思いつつも、このまま投稿することにした。 どうも、自分の状態や性質を断言するのに、私は抵抗があるよう

          断言できない曖昧な”自分”

          「子供欲しくない」にどうして辿り着いたんだっけ

          ◇「子供を持つ」と言う常識 おそらく、「子供が欲しい」と感じたことはない。 中学生の頃、同級生と「将来結婚して旦那が〜子供が〜」などと軽口を叩いたこともあるが、あれは自分の望みというより、通過儀礼として「そうするもの」と思っていたのだろう。 勉強が嫌いでも、勉強をして学校に行く。 働くのが嫌いでも、就職して働く。 当時の私にとっては、子供を持つこともこれらの慣習と変わりなく、当然の行いとして価値観に擦りこまれているに過ぎなかったのだ。 しかし、その刷り込みや世間に対

          「子供欲しくない」にどうして辿り着いたんだっけ

          100の悪いことが1の良いことで言いくるめられるのが親子関係

          ここまでの記事で、自分の家族や母との間にある問題について度々書きてきた。 こうやって振り返ると、母が完全悪のようである。 実際には、親にも良いところはあったのだ。 ご飯をたくさん作ってくれたとか、学びにお金を出してくれたとか。 でも、自分の家族は機能不全家族であったと、家族のことを良く思えない気持ちがあると、家族の良い部分を話すことには抵抗が出てくる。 親子問題は、100の悪いことが1の良いことで「家族は素晴らしい」という結論に言いくるめられるように感じるからだ。 ◇

          100の悪いことが1の良いことで言いくるめられるのが親子関係

          名前とアイコンの由来

          自己紹介についての記事を書いたことにより、ようやくアイコン用の絵を描く気が起きた。 ので、アイコンを変更した。 アイコンってSNSにおける顔みたいなものだし、大事なのは理解しているが、自己紹介文と同じでアイコン用に絵を用意するのは苦手だ。 だって、何を描いたら良いのか分かりゃしない。 今までは過去の絵をとりあえずでアイコンにしていた。しかし、アイコン用の絵でないと、やはりあまり見栄えが良くないのだ。 何を描こうか少し考えた。 「アイコン=自分」として設定する人も多そう

          名前とアイコンの由来

          自己紹介下手問題

          ◇自己紹介って難しい 自己紹介が結構苦手だ。 SNSのプロフィール欄でも、いつも記載に悩む。noteはまだしも、Xの方のプロフィール欄など更に簡素だ。 noteでも、最初の記事や固定記事に自己紹介を出している人は多い。 あれ、読む側からすると「最初にこれ読めばいいや〜」と思えるので楽だし、理に叶っている。 そこに自分と同じ肩書きや趣味、状況があれば親近感や興味が湧くというものだ。 自分も書いた方がいいだろうなぁ、と思いながら書いてない。 1番目の投稿にする人も多い印象だ

          自己紹介下手問題

          「頼られると嬉しい」が分からない

          人は、頼られると嬉しいらしい。これが分からない。 思うに、昔から自分の意思や気持ちとは無関係に役割を押しつけられ、辛い思いをする経験が多かったことが理由ではないかと思う。 ◇「頼られると嬉しい」という一般論が分からない 家庭内でいえば、私は、母から自分を支えろ理解しろ優しくしろと”頼られて”いたのだろうし、結果自立してしっかりするようになった。 そのせいか、「しっかりしているから」と学校生活でもリーダーやら取りまとめやらをやることが多かった。「やってよと言われ断れず」

          「頼られると嬉しい」が分からない

          〔日記〕「こんなに頑張ってきたのに」と、諦めがつかない

          こんなに頑張ってきたのに、自分が望む普通すら手に入らない、と嘆いてしまう。 諦めがつかない。理想と現実の折り合いがどこで取れるのか分からない。自分は自分が思った以上に、自分が望むものなど手に入れることができないのではないか。 ここ1年、社会に復帰できるようにあれこれと奔走したが、今のところ上手くいっていない。 カウンセラーには、「やるべきことはやっている。ただ結果が出るまでに時間がかかることなので、待つフェーズがきてる」と言われた。 焦るのではなく、選択肢は様々あると理

          〔日記〕「こんなに頑張ってきたのに」と、諦めがつかない

          「私は幸せで問題ありません!」と表明しなくてはならない?

          「しんどい」とか「辛い」を表現することは拒否されているように感じる。 人前では「私は幸せで問題がありません!」という態度が正解で、相手から最近の調子などを聞かれると、そういった振る舞いを強要されているように思えて辛くなる。 ずっと、この感覚はこの世の当たり前な暗黙の了解だと思っていたのだが、もしかして認知の歪みなのだろうか? ◇問題ないように振る舞う癖がついている 先日、人から「良いこと日記をつけよう。今度つけた結果を教えてね」とアドバイスされた。日々の生活で自己肯定

          「私は幸せで問題ありません!」と表明しなくてはならない?