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私と不在の”父親”



ここでは、母の話ばかりしている。
機能不全家族だったのだから父も機能不全な親のはずだが、特筆すべきことが思い浮かばないためだ。

はっきり言って、関係性が無さすぎるのだ。




◇私の父

私の父は端的にいうと仕事人間だ。
子育てには不在と言って差し支えなく、家庭のことや子供のことは妻に任せきり、という典型的なパターンだ。


父からは「お前は小さい頃(多分2-3歳)はお父さん子だった」と言われたこともあるが、ぶっちゃけ全く覚えていない。

そもそも、そう言って聞かせた当時(小学生〜中学生)の時点で親子としての関係性がないので、過去を懐かしむくらいしかできなかったのかもしれない。



幼い頃、釣りに連れて行かれたり、父の運転で家族全員で遊園地に行ったりしたことがある。
仕事詰めであったが、そのおかげで高収入だったのでお金で困ることもなかった。

こう見れば、父の役割をよく果たしているように見える。

しかし、過去の記事「私は家族が欲しい」でも話した通り、機能的な役割を担うのみであり、情緒的な関わりが著しく希薄だったと思う。


母とは健全な関係は構築できなかったが、密着した関わりはあった。

不健全で私を毒するものであったが、母との間には関係性があったし、母は私の”母親”なのだと思う。



しかし、父に関しては”父親”という感覚すらない。
何というか、「親戚のおじさん」くらいの距離だ。



◇”父親”とは?

「親戚のおじさん」といえば、

盆暮れ正月の親戚付き合いで顔を合わすくらい。そんな時期なので会う時はいつも酔っている。

親しみもないのに親しげに話しかけてきて、自分がしたい話だけをして、不可解な揶揄いを一方的に投げかけてくる。
そして、反応が悪いと「最近の若い子は」と不満気。

私にとってはこんなイメージである。
ステレオタイプと実体験だ。



正直、父もこれと変わらない。

朝早く夜遅かったので、そもそも顔を合わす機会がない。帰宅後は晩酌するので、会う時は基本酔っ払いだ。

酔っ払っていると同じ話を繰り返したり、頑固になるのでコミュニケーションが成立しない。
ので、私は話をせず自分の部屋に引っ込む。


ではシラフの時はどうかというと、一層会話が発生しない。

父はシラフだと、投げかける話題も言葉もより品薄になるらしい。
その上、酔っ払ってコミュニケーションが成立しない場面ばかり私は経験しているので、シラフの時に話しかけられても私に会話する気があまりない。
そのため、一言二言で終了する。



学費などでお金を出して欲しい、というお願いも

・私が母に話して説得する→母が父に話す

の形なので、私が直接話すことは本当にほとんどなかった。

親元を離れて母から連絡が来ることはあれど、父から連絡が来ることなどない。




◇私の存在しない”父親”

私からすれば、「父親って何…?」って感じだ。
衣食住やお金で養育してくれていたのは事実だ。しかし、人間としての関係性が無さすぎるのだ。


母からは「お父さんは娘だからアンタがすごい大事なんだ。でもどう接して良いのか分からないんだ」と度々言われた。

幼少から繰り返し言われたので「そうなのかな」と思っていたが、今振り返ると「うちは普通で問題のない家庭なんだ」と思い込みたい母の願望からくる発言だったのかもしれない。
真実は未だ不明だ。


母の願望はさておき、父も子との接し方が分からないのは事実だろう。


父と母から、彼らの過去や子供時代のことを話してもらったことはほとんどない。

その数少ない情報から、母はアダルトチルドレンぽいなーと思う。
父は、ぽいかどうかすら分析できないほど過去を知らないのだが、苦労してきたことは事実だと思う。


父は兄弟が多く、にも関わらず幼い頃に父(私の祖父)を亡くしている。

そして、中学卒業後は親元を離れて高専のような学校(技術を学びながら働き、賃金も出る)に通って自立してきた。
その上、母(私の祖母)も自身の結婚前に亡くしている。



正直、この父に「衣食住・お金・進路の自由を与えて、これ以上なにを?」と言われたら、私は何も言えない。
彼が得難がったものを、私は与えられていたと言えるだろう。

情緒的な関係どころか、私にとって”父親”という実感すらない関係性であるが、父にとっても「家族を困らせないよう働く」以外の役割など分かりはしなかったのではないか。



これまでの記事を読み返すと、私が父に甘く、母に厳しいように見えるかもしれない。

しかし、父に怒りや恨みを持たずあっさり「しょうがない」と言えるのは、期待も関係性もないからだ。
端的にいうと、わりとどうでもいいのだ。



母に対しても、母にはどうにもできないことだったのだろう、という哀れみもある。

しかし、養育者として密接な関わり合いがあったからこそ、怒りや軽蔑、悲しみという感情も湧くのだ。


仮に、よく知りもしない親戚のおじさんが「猫飼いたい?猫飼うと結婚できへん言うよなぁー(ニヤニヤ)」と言ってても、その場でイラッとして終わりだ。
言葉など交わしても無駄と、何も期待してないから、その怒りは持続もしないし、無視して終わりだ。

私にとって、父もそれと変わらない。
期待も怒りも恨みも、抱えられるほどの関係性がないのだ。




家庭内で父親の暴力があった場合に、子供の怒りが父親ではなく、母親にのみ向かうパターンがあるそうだ。
「自分をなぜ守ってくれないのか」という子の怒りだ。

身体的にも社会的も、母子のほうが父子よりも密着した関係になりやすいからだそうだ。



この場合の母親は損というか、辛い立場だ。
自身もDVの被害者なのだから。

しかしながら、責任や怒りを向けられない父親は、得なのだろうか。


私の父は暴力を振るったことはない。ので、このパターンに当てはまっているわけではない。

しかし、感情が湧くほどの関係性も期待もない、家庭内で不在として認識される「父親」は、果たして得なのだろうか。



今更、家族関係を良好にしたいとか、子供の頃に必要だったものを親に与えて欲しいとは思わない。
しかし、娘から他人レベルだと見限られている父を、母とは違うベクトルから哀れだとも感じる。

何も入ってない、詰まっていない、不在の父と私の関係だ。

どちら様


自分がかつてそうしたように、自分と似た側面を抱える誰かを探す人に、届けば良いなと思ってnoteを書いてます。

自分もそう感じたことがあった、似た経験をしたけど違う気持ちを覚えたとか、コメントで話してくれると嬉しいです。

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