じっくりコトコト煮込んだ怒りが大爆発タイプ-毒親を内面化する子ども①-
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トピック
◇貴方の怒り方は人からどう見える?
◇実はアダルトチルドレンあるある?
◇子は親の背を見て育つ
◇自分への向き合いの成果
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◇貴方の怒り方は人からどう見える?
先日、グループワークで怒りや不満の伝え方の話になった。
私は他の人に「正しい怒り方が分からない。怒っていい場面なのか判断できない。」と聞いてみた。
その時、そばで聞いていた支援員に「貴方はいきなりスイッチが切り替わってアグレッシブになるタイプ?」と聞かれた。
瞬間的にイラっとした。
貴方って短気?と言われた気がして。
私は母から「お前は短気な人間だ」という言葉を繰り返し言われてきた過去があり、その言葉を内面化して「私は短気でダメな人間なんだ」と抑圧しているとこがある。
そこにブッ刺さる発言だったため、咄嗟に怒りが湧いたのだった。
毒親の繰り出すリフレイン人格ディスは呪いの言葉であり、子供を都合よくコントロールするため言葉である。
そのため、私が短気か否かの真実は私には判断がつかない。
しかし、この刷り込みが抑圧となり、私は短気に見えないように怒りや不満を我慢するようになった。
そうして過ごしていると、ある時「積年の恨み、ここで晴らす!!」と爆発してしまうのだ。
うつ病発症の直接きっかけには職場でのパワハラだったのだが、その後の会社対応がまぁ恐ろしく杜撰で。
上記の支援員には、この怒りを露わにしながら会社になんと返答するかと相談したことが何度かある。
つまり、私の爆発したところを見たことがあるということだ。
こちらとしては我慢の結果の怒りなわけだが、他人から見れば「急に怒髪天でキレる人」、つまりは「いきなりスイッチが切り替わってアグレッシブに怒る人」にしか見えないだろう。
(しかし、この話題に限って言えば「自分を怒らせた原因ではないものに怒りを見せている」という問題もある。なんにせよ、私の支援員に対する怒りの表明は私の誤った行動である。)
◇実はアダルトチルドレンあるある?
この手のキレ方はアダルトチルドレンと関係はないのか?と疑問に思い、ネットで検索してみた。
・アダルトチルドレンの悩み「普段は大人しいのに突然攻撃的に」
・抑圧された怒りや恨みの感情の破壊力
ネット記事であり、出典不明瞭ではあるが。
親からの抑圧と感情マヒからくる症状パターンの一つであるように思う。
◇子は親の背を見て育つ
おそらくだが、健全な怒り方とは「冷静に、私はこう感じてこれは嫌だと伝える」ことなのだと思う。
頭では理解している。
でも、私は心で「どうして怒りを表現してはいけないのか?怒っているというこの生々しさを見せてはいけないのか?!」と不満に感じている。
それは何故か?
おそらく
親が私に対して生々しく怒ることはOKだったのに、
私が怒ることはNGだったことに理不尽を感じているから
だと思う。
母は私に健全な怒りの表現方法を見せる・伝えることもなく、私に
お前の怒りは不愉快だ!!
お前の感じ方はおかしい!!!
と生々しく怒っていたわけだ。
感じた不快感そのままに、鮮度を保って私にお届けされていたのだ。
大人になり、健全な考え方や認知の歪みについて勉強するようになった。
しかし、それらを読んでいても納得できないことはある。
感情のままに表現していいというのに、どうして怒りや不満だけは咎められるんだ?
結局、自分にとって不快なものは見たくも聞きたくもないのではないか。
ありのままの自分で居ても大丈夫なんて嘘だ。ネガティブな気持ちは取り繕い、外に出してはいけないのだ…
怒りについて考えるたびに、そう思っていた。
それは認知の歪みだと言われても、結局世の中は私たちに黙っていろと言っている、と。
でも本当は分かっている。
「感情的に話すこと」と「感情の話をすること」は全くもって別のことなのだ。
健全な大人同士であれば、感情的にならずとも、感情の話でお互いの気持ちを思いやれるのだろう。
頭の底でこの事が分かっていても、怒りをそのまま表してやりたい気持ちがあった。
それは「お前はダメだが、私は良い」という親の矛盾に、理不尽に、私は本当はずっと怒っていることに気がついていなかったからなのだな…と今回の出来事で、やっと腹落ちした。
今回の内省を通じて、親に対して、なんだかもう呆れて果ててしまった。
本当に、未熟で、幼稚で、稚拙だ。
今回の内容について考えた日の日記を読み返すと、私のヘロヘロ具合が書かれていたので以下抜粋する。
疲れている。可哀想だ。
◇自分への向き合いの成果
最近、前に比べて親のことがどうでもよくなってきた。前は怒りや、一言言ってやりたい、傷つけてやりたいという気持ちがあった。
しかし、最近はもうなんかどうでもいい。存在を忘れている時が1番平穏だ。
勉強をするにつれ、自分は酷いことをされていたし、私の両親が人の親としていかに不適切であったかを知るようになった。
そうすると、「あれに何かを期待する方が愚かだな…」と諦めの境地になってきた。
これはアダルトチルドレンにおける「親からの精神的自立」にあたると思う。
親の人生は親に責任をとってもらうとして、私は私の人生に責任を持ち、回復していこうと思う。
自分がかつてそうしたように、自分と似た側面を抱える誰かを探す人に、届けば良いなと思ってnoteを書いてます。
自分もそう感じたことがあった、似た経験をしたけど違う気持ちを覚えたとか、コメントで話してくれると嬉しいです。
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