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子どもが苦手。心がぐしゃっとするから



私は子どもが苦手だ。
遊んだり相手をするのもそうだが、見かけるだけでも苦手だ。

私は動物園が好きなのだが、当然家族連れも多い。
幼い子どももよく見かけるが、落ち着かない心地になる。


心がぐしゃっとひずむのだ。




◇危ういもの

幼い子ども(幼児〜小学生くらい)を見ていると、ひどく危ういものを見せられている気持ちになる。

目の前で高層ビルの綱渡りを見せられている、とでも言おうか。


望まないのに、危なっかしく目を逸らしたい光景が目の前に広がっている心地になる。





子どもは弱い生き物だ。

社会的にも経済的にも自立しておらず、力も頭脳もまだ一人前でない。
周りの人間の悪意で、如何様にもズタボロにできる。

そんな生き物が無邪気に無防備に歩き回り、親に擦り付く様には胸騒ぎがするのだ。



◇自分の子どもの頃を重ねている

つまるところ、私は自分が子どもだった頃と、目の前の無邪気で無防備な子どもを勝手に重ね合わせているのだ。



私はきっと、子どもでいることが嫌だった。

社会的にも経済的にも自立していない私は、親の下にいるしかなかった。
理解されずとも、蔑まれようとも甘んじてその扱いを受け入れるしかなかった。

誰かから屈辱を受けようとも、それに立ち向かう力も知識もない。
親はそれらから私を守れるわけでもない。



身体的暴力があったわけではない。

でも、心にも身体にも温かな触れ合いはなかった。
向こうの都合で近寄られ、向こうの都合で振り払われる。

それだけだ。





私は、他者からの触れ合いには自分を害するものがあるのではないかと、警戒するように成長した。


子どもは、簡単に踏みにじられる弱い生き物だ。
可愛くて柔らかくて幼い、これから1人の人間になっていく過程にある存在。


そんな生き物が目の前を走っていくと、私は心が冷えるような、恐ろしい気持ちがしてしまう。

ひどくむごいものを見ているような気持ちになる。



親が子に触れたり抱き上げたりする仕草に、害意がないのか一瞬勘繰ってしまう。


私の心は、ぐしゃっとひしゃげた音を出すのだ。


道端でぐしゃぐしゃ


自分がかつてそうしたように、自分と似た側面を抱える誰かを探す人に、届けば良いなと思ってnoteを書いてます。

自分もそう感じたことがあった、似た経験をしたけど違う気持ちを覚えたとか、コメントで話してくれると嬉しいです。

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