30代後半に差し掛かったところで急に自分の人生の進め方に悩みだしたんですけど?~今までの自分とこれからの自分の狭間で悩むミドルエイジクライシスに差し掛かった35歳(マコト)の悩み②解説編~
こんにちは。株式会社シンシア・ハートで代表取締役をしている堀内猛志(takenoko1220)です。
前回は「30代後半に差し掛かったところで急に自分の人生の進め方に悩みだしたんですけど?~今までの自分とこれからの自分の狭間で悩むミドルエイジクライシスに差し掛かった35歳(マコト)の悩み①」について書きました。
今回のnoteは前回の解説編です。
ミドルエイジクライシスとは?
今回のマコトの例はミドルエイジクライシスの典型例です。
ひたすらに一生懸命やってきた人も、これまで流されるままに生きてきた人も、このままでよいのかと立ち止まる時期で、やり残したことがある人は、「自分はこんなものではない」と焦りを感じてしまいます。また犠牲にしたことが大きい人は、「本来の自分自身を取り戻したい」という欲求を強くするのかもしれません。
特に日本人は就学、就職、配置、業務アサインを自分で決めていないケースがほとんどです。そして真面目な人ほど「やらなければいけないこと=must」を「やりたいこと=want」と思い込むようにして生きてきたので、自分の中の真の「やりたいこと=want」がわからなくなっている人が多いです。
いやいや、自分は自分の意志で大学も会社も決めてきたと主張する人も多いでしょう。また、そういう人は配置や業務アサインも自分は納得しているのでやりたいことだ、と言うと思います。
本当にそうでしょうか。自分に向き合ってみましょう。マコトがそうであったように、決断の軸は「かっこいいから」「自慢で切りから」などではないですか?そう、自分の根っこにあるのは自分の感情ではなく他人からの評価の場合があります。有名大学、大手企業、ブランド、これらは大多数の人が憧れ、すごいと思っているモノです。ゆえに、自分もそれを欲しくなるのですが、みんながそこに行きたがらなかったとしたらあなたは行きたいと思うでしょうか?みんなが欲しがらなかったとしたらあなたは欲しいと思うでしょうか?
その大学で本当に学びたいことがありましたか?その企業で本当にやりたいことがあったんですか?そのブランドの服や時計は本当に必要ですか?
そう、大多数の人がほとんどすべての選択を他人からの評価で決めているのです。また、やりたいと思っていることも定義自体が間違えているケースが多いです。
やりたいこととは以下の通りです。
つまり「やりたいことって何だろう?」と考えている時点でそれはやりたいことではないのです。本当にやりたいことなら「もう始めてしまっている」はずなんです。仕事が好きっていう人は上記のチェックリストに当てはめてください。朝起きてため息履いて、さあやるか!と気合入れて始めているのであれば、それはやりたいことではないのです。
自分の真のwantを見つけたい人は以下を参考にしてください。
さて、ミドルエイジクライシスに話を戻します。
「自分はこんなものではない」といった気持ちはどの年代にも存在するものですが、30代後半になると、体力の衰えを感じたり、職場での立場など先が見えてきたりすることによって、人生の後半を意識し始めます。それゆえに、「まだ、今なら何とかなる」「これを逃したら先がない」と、精神的に追いつめられやすいのです。
特に今まで抑圧された環境にあったり、自己実現の機会を逃してきてしまった人などは、「自分の人生はこのままでよいのだろうか」という不安、「自分はこれで幸せなんだろうか」という現状への不満、「やりたいことがまだまだある」「このままでは終われない」という焦りが重なり、現状を変えたいという強い衝動に駆られる傾向にあります。
具体的には、離職、離婚のように大きく環境の変化を伴う行動に出やすくなるのです。しかし、気持ちは動いても「どうにもならない」という現実を突きつけられて、葛藤が起こることも多くあります。
ちなみに、ここで転職する勇気がない人たちの受け皿になっているのがリスキリングマーケットです。30代後半の不安や焦りをついて、学習しているという感覚で「自分は努力している」「立ち止まっていない」「このスキルが何かになるはず」と思わせます。これらの努力に対して快感、充実感、達成感を味わわせるわけですが、目的のないリスキリングで得た幸福感はインスタントなものであり、リスキリングをした後に特に現状が変わらないことに対して虚無感を得ます。だからリスキリングマーケットが大きくならないんですよね。
強い衝動がかなわない場合や、気持ちの整理がうまくできない場合、仕事を無責任に放棄したり、一時的な不倫で現実を逃避したり、うつ状態に陥るケースもみられます。そうならないため、思いを次の新たなステップへの原動力に変えるために必要なことをお伝えしたいと思います。
ミドルエイジクライシスの焦りを次のステップに向かう原動力に変える方法
①諦める
いきなりネガティブな対策っぽくなりましたが、そうではありません。
諦めるの語源は「明らかにする」ということです。
前述した通り、大半の人は他人からの評価を気にして決断の軸にしています。そして、頭が良い人ほどダメな自分を受け入れたくないので、得意を伸ばすよりも苦手なものを克服することにフォーカスしようとします。
これは受験勉強の弊害だと考えます。例えば、5教科で500点満点に近づける場合、98点をとれる数学を確実に100点取れるくらい勉強するよりも60点の国語を100点に近づけるために勉強する方がレバレッジが効きます。これは満点が100点であることが原因であり、満点という天井がなく、1万点、1兆点と無限に点をとれるのであればひとつの科目に集中する人が多くなって然るべきだと考えます。
こちらのnoteで教育論を語ってもしょうがないのでここまでにしますが、学校教育の中で「頭が良い」とされてきた人は苦手にフォーカスし、科目全体の点数をバランスよく獲得しようとする傾向があり、その傾向は社会人になっても同じだということを言いたいわけです。
しかし、限られた大切な自分の生命時間をやりたくもない、且つ、苦手なことに費やしていていいのでしょうか。嫌々ながらに苦手を潰しにかかるよりも、テストの点と違い、満点のない人生とゲームで自分の得意を伸ばし続けた方が勝ちやすくなります。また、その方が楽しいはずです。
つまり、諦めるとは、自分の苦手、不得意を明らかにして、それを自分の中で認め、捨て、そして、得意にのみ集中することを決断するということを指しているのです。
マコトは自信家で努力家です。しかし、その根っこにあるのは他人の目を気にしたカッコつけであり、実はビビりです。最初の転職タイミングで独立するという道や海外に行く道もありましたが、理由をつけて止めています。前述したようにそれが本当にやりたいことであれば、言い訳せずにやってしまうわけですね。
マコトはそんな自分の弱さを明らかにし、不得意を認め、捨てることができればもっと肩の荷を下ろして自由になれるはずです。逆に言うと、そこを認めずに次の転職も他人の評価を気にして選んでしまうと、より苦しくなっていくでしょう。
②ピボットする
事業をピボットするなどと使われるこのワードはバスケットのピボットターンに由来しています。ビジネスの場面では「方向転換」「路線変更」という意味合いで使われますが、本来は、軸足を動かさずにもう一歩の足を動かす様を指しています。
これをキャリアに当てはめると、本業という軸足を置いたまま、もう一方の足で新たな進路を見つける動きを行うことになります。現職や現状に不安を覚えるといっても、転職や独立をするには勇気がいるし、すぐに辞めたいほどの不満がない人がほとんどでしょう。つまり、現状の安心感を維持したまま、現状よりも良い環境を求めるという「挑戦と安心がセット」の状態を作ればいいわけです。
そこで行って欲しいのが複業です。現在は複業人材を求める会社は多いですし、自分のスキルを販売できるプラットフォームも数多くあります。しかし、そうなると以下のような声が聞こえてきます。
これらの声にまとめて回答します。
とりあえずやってください!
以上です。
ミドルエイジクライシスの不安の招待は現状維持が元になって、「自尊心」「承認欲求」「挑戦欲求」が欠如していることから起きています。これらを得るためには、行動し、成果を出す以外に方法はありません。
そして、その行動に対して不安がある人のために「挑戦と安心のセット」が可能な複業を提案しました。そこで上記の声が出るのは甘えでしかありません。
複業禁止なら無償のボランティアでやればいいでしょう。
何ができるのかわからなくてもとりあえず販売してみて反応をみましょう。
物理的、時間的な問題は考えれば方法は見つかります。
基本的にできない理由なんて何一つないのです。できない理由が浮かんでしまう人は「やらなくてもいい理由を自分の中で探しているだけ」であり、そんな自分を変える決断をしない限り、ミドルエイジクライシスの不安はなくなりません。
あなたはシンデレラではないので、待っているだけで最高の環境に連れて行ってくれる王子様は現れないと肝に銘じてください。
③アンセルフィッシュに生きる
ミドルエイジクライシスは「幸福感度の端境期」とも言えると考えています。
人は精神年齢のステージによって幸福を感じるモノが違ってきます。
生まれたての赤ちゃんから成人になるまでは、親、先生などが様々なフォローをしてくれます。子どもはそれらを享受することで「愛されている」という幸せを実感します。
青年になるとそれらのフォローが鬱陶しくなります。そして、何でも自分一人でやろうとしないと気持ち悪くなります。これが自立です。
さらに20代後半からは部下を持ったり、子どもが生まれたりして、誰かを幸せにすることが自分の幸せだと感じるようになります。
最後に高齢者になり、思うように身体が動かなくなってきたときにまた、誰かにサポートしてもらうことで自分の必要性を感じるようになります。
このように身体的な成長だけではなく、精神的にも順調に成長すればマコトの年齢(35歳前後)になればステップ③の誰かに「してあげる」幸せ期に入っているべきなのですが、そこが②と③の端境期にいるために苦しむのもミドルエイジクライシスの特徴です。
つまり、「部下や子どものために」という気持ちはある一方で、まだまだ「自分が脚光を浴びたい」という気持ちが捨てれずにいる状態です。良い大人として表面的には「部下や子どものために」と言葉にしていても、本音では「自分がもっと目立ちたい」「自分の人生時間を自分のためだけに使いたい」という想いが捨てられないわけです。
この状態の人に「大人になれ」と言っても無理な話です。しかも、本人もこの状態にいることがわかっていないし認められないので苦しんでいます。マコトも自分の人生で主役を張り、独立、海外、などの夢に挑戦したいという想いもありますが、家族のために、という想いもあって苦しんでいますね。
さらに①の「諦める」ことができていないので、考える要素が多すぎて整理できず、思考がぐちゃぐちゃになっているのです。
幸福感度のフェーズを進めるために必要になるのが「アンセルフィッシュ」という考え方です。
「誰かのために」というと日本人は「自己犠牲」のような考え方になりがちです。しかし、自分を犠牲にして人のためにできる人は稀だと思いますし、自分を犠牲にした利他の精神はサステナブルではありません。そこで大事なのが「アンセルフィッシュ」です。
アンセルフィッシュは「セルフィッシュではない」ということです。つまり、自己中心的に考えるわけではなく、相手のためと自分のためを両方考えるというマインドです。
もう少しわかりやすく言うと「誰かにしてあげることで自分も幸せになる」ということです。マコトを例にとるとこんな行動です。
誰かにしてあげて喜んでもらって終了ではなく、その行為そのものによって自分自身の幸せにも直結するような考え方です。
上記のような行動をとれば、目立ちたがり屋のマコトのwant toを満たしつつ、子どもに「してあげる」幸せを感じることもできますね。
コンテンツ化ってどうするんだよって人は②の話の通りです。まずは動きましょう。繰り返しますが、動かずにできない理由を探すのは止めましょうね。
ちなみに私(著者)自身も24年の目標にアンセルフィッシュに生きることを掲げていますので、時間があれば以下のnoteもご覧ください。
まとめ
いかがでしたでしょうか。今回はマコトを例にとってミドルエイジクライシスとその対処法について解説しました。
まずは「自分だけではなく誰にでも起きること」と認識しましょう。そして、認識できたら冷静に自分の中で起きている問題を分解しましょう。「強み」と「弱み」、「やりたいこと」と「やるべきこと」、「自分のため」と「誰かのため」などです。
要素分解すると、複雑に絡み合っていた問題がシンプルになります。シンプルになると一番大きな問題から対処するように取り掛かればいいのです。
その対処方法も上記のようにステップ化すればそんなに難しくはないはずです。
それでも難しいと思う人のほとんどは、「決断できないこと」と「動かないこと」です。こればかりは誰かに背中を押してもらうのではなく、本人がやらないとダメなことです。
30代から何かにチャレンジすることで遅すぎることは何ひとつありません。裏を返すと、30代から始めることで早すぎることも何ひとつありません。つまり、気づいた瞬間から始めないといけない年齢であるということを強く認識することです。
あなたの人生時間は今も刻一刻と過ぎています。30代というかけがえのない時間を無駄にしないように生きてください。
マコトと同じような悩みがある、ミドルエイジクライシスを何とかしたい、具体的にキャリアコーチを受けたい、自身のキャリアデザインをして欲しい、転職相談をして欲しい、という人は以下のフォームよりご連絡ください。
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