「ファイト!」第1話。

(あらすじ)侑里は気が弱く、自分の事は後回しにしてしまう女の子。死んだ母親のドレス姿の写真に憧れ、夢はお嫁さんになる事。
優しい子だと褒めつつも心配する父親に、感謝と申し訳なさを感じていた。
高校生になり、死んだ父親の代わりに家を支える慎吾と出会い、付き合う。卒業を前に、夢を叶えるためにと結婚を申し込まれた。父親の反応が気になるが、きっと自分の幸せを喜んでくれると信じる。
しかし、挨拶に来た慎吾を、父親は冷たくあしらう。侑里は悲しみ、慎吾は父親とケンカになる。慎吾から侑里の気持ちを聞かされた父親は、大きなショックを受ける。慎吾を間に置いての、初めての親子喧嘩だった。慎吾は、侑里のために父親に再戦を申し込む。

 「お父さんじゃわからないことも多いので、次はお母さんが来てくれると助かるのですが」
町の小さな病院で、医師がメガネの奥から父親を見た。父親は体が大きく、医師が見上げる形になる。
「…妻は、いません」
父親が、目を伏せて答える。医師は、「…それは失礼しました」と、小さく頭を下げた。
「でも、それならお父さんがしっかり見てあげないと」
「…はい」
「もう少し遅かったら大変な事になってたかもしれませんよ」
「…すいません」
父親が頭を下げる。頭の位置が、医師の眼よりも下になる。その背後では小さな女の子が顔を真っ赤にし、苦しそうに息をしながらベッドに横になっていた。

「…おとうさん、ごめんなさい」

女の子が小さな声を出した。父親が慌てて振り返る。
「ごめんなさい」
「ゆり、もういいから。ゆっくり寝てろ」
女の子が黙って頷いて、目を閉じた。
「優しい子じゃないですか。お父さん、ちゃんと守ってあげてください」
医師が、またメガネの奥から父親を覗き込み、父親が無言で頭を下げる。
「もうすぐで薬が効いてきます。熱が下がったら帰って大丈夫ですよ」
「…ありがとうございました」
父親が、深く頭を下げた。

 「ゆり、ごめんな」
病院からの帰り道。父親は背中におぶった娘に謝った。娘が、父親の肩を小さな手で「ぎゅっ」と握った。

  *  *  *

 「ゆりっ!!」
父親が保育園の教室に駆け込んだ。保育士さん達が背の高い父親を見上げる。そこには大声で泣く侑里と、赤いリボンをつけた、泣きやんではいるが涙の痕を顔に残したの女の子。そして、侑里の友達の綾乃が不機嫌そうな顔で座っていた。
「おとうさん」
侑里が父親を見つけると、すぐに駆け寄った。父親は娘を抱きしめて「どうした、どうした」と頭を撫でた。
娘を抱え、頭を撫でながら周りの保育士ひとりひとりに「すいません、すいません」と頭を何度も下げた。
「いえ、違うんです」
ひとりの保育士が頭を下げる父親を止めた。「え?」と戸惑いながら頭を上げる。
「ゆりちゃんは、悪くなくて…」
保育士の話では、侑里はおやつの時間になると、赤いリボンの女の子にワガママを言われ、おやつを交換したり、ひとつ譲らされたりすることが多かったのだそうだ。それを見ていた綾乃が赤いリボンの女の子に文句を言い、二人がケンカになったとのことだった。そして、その状況で一番大きく泣いたのが侑里だったというのだ。
「私たちの方こそ、気付かなくてすいません」
今度は保育士たちが父親に頭を下げる。父親は、腕の中で泣く娘の頭を撫でながら、「いえ、いつもありがとうございます」と頭を下げた。そして、綾乃に「ありがとね」と言い、赤いリボンの女の子に「ごめんね」と謝った。 
 保育園の教室の壁。そこに、子供たちの『しょうらいのゆめ』が貼られているスペースがあった。侑里の将来の夢は、『およめさん』と書いてあった。

「ゆり、どうしたかったんだ?」

保育園からの帰り道。父親が、背中の娘に聞いた。娘は何も答えず、父親の肩を両手で「ぎゅっ」と握った。

二人の住むアパートの下。駐輪場の隣に、自動販売機と古びたベンチがポツンとある、小さな休憩スペースがあった。

「どれがいい?」

父親が自動販売機の前で足を止めた。娘が、父親の肩越しに飲み物を選ぶ。

「ココアがいい」

「ココアな」

「あったかいの」

父親が「まっしろ」という名前のココアと、ブラックのコーヒー買い、二人でベンチに座った。
「熱いから気を付けろよ」
ココアの缶をあけてあげると「ありがと」と娘が受け取った。

「ふー、ふー」

娘が、缶の小さな飲み口に息を吹きかける。その仕草を可愛らしく思い、父親の頬が緩んだ。

「…はぁ」

侑里がココアを一口飲むと、白い息を吐いた。
「おいしいか?」
「うん。おいしい」
「よかった」
父親もコーヒーを一口飲んだ。
「…おいしい?」
今度は娘が聞いた。父親が微笑んで、「おいしいよ」と答えた。
「よかったぁ」
娘が微笑んだ。その笑顔を見て、父親が少し安心した。
「飲んでみるか?」
父親がコーヒーを差し出すと「うん」と受け取り、一口飲んだ。
「にがい」
そう言って笑って、舌を「ぺ」と出した。
「苦いな」
そう言って父親も笑った。
「おとうさんも」
娘がココアを差し出し、父親が飲んだ。
「あまっ!」
ココアの、あまりの甘さに父親が驚いた。
「あまいね」
娘が、隣で笑っていた。

「…あのね」

「うん」

「みんなと仲良くしたかったの」

侑里が、ポツリと言った。
「そうか」と父親がつぶやいた。
「うん」と頷く娘の横顔を見ながら、「なんて優しい子なんだろう」と思っていた。優しすぎるほどに優しい。父親として、「必ず、守ってやらないと」と心に誓った。

  *  *  *

 侑里が鈴棒(りんぼう)で鈴(りん)を叩くと、軽やかな音が居間に響いた。
「おかあさん、ゆりちゃん、六歳になりました」
侑里が、小さな手を合わせて言った。仏壇には、母親の写真が二枚飾られている。優しい笑顔で微笑む写真と、結婚式の時のドレス姿の写真だった。自分の母親の顔を見る時に悲しい気持ちだけを持たせたくないという母の願いだった。侑里が、母親の写真をじっと見つめていた。その背中に父親が「おめでとう」と言い、頭を撫でた。「ありがとう」と娘が見上げる。

「ゆり」
父親が娘に、えんじ色のカバーのついた分厚いノートを手渡した。娘が「なぁに?」と受け取る。
「お母さんから、侑里が小学生になったら渡してくれって預かってたんだ」
「少し早いけど、春から小学生ってことでな」と付け足した。
「プレゼント?」
「そうだな、お母さんからのプレゼントだ」
「ありがとう」
父親にそう言うと、写真のおかあさんにも「おかあさん、ありがとう」とお礼を言い、えんじ色のノートをめくった。ノートの前半は、料理のレシピが書いてあった。
「ごはん?」
「だな。ご飯の作り方だ」
「おいしそう」
後半は、おかあさんから侑里へのメッセージだった。
「おてがみ?」
「そうだな」
「よんでいい?」
「うん」
侑里が、手紙を読んだ。

「侑里へ。

 小学生になったんだね、おめでとう。これからの人生、きっと侑里が、悩んだり、迷ったりすることがあると思います。 その時に相談に乗ってあげられなくてごめんね。その事を悔しく、申し訳なく思います。

その代わり、侑里に幸せになる魔法を教えてあげます。
ひとつは、甘いものを食べる事。甘いものを食べると、人は幸せを感じて、笑顔になれます。おかあさんのおすすめは駅前のケーキ屋さんのケーキです。あそこのショートケーキはとってもおいしいよ。食べたくなったら、お父さんに頼んでね。

もう一つは、人に優しくすることです。

人は、人を幸せにした分、幸せになれます。困っている人、泣いている人に優しくして、その人を幸せにしてあげてください。そうすれば、いつか必ず侑里に大きな幸せが返ってきます。これが、幸せになる魔法です。

魔法だなんて、子供じみた事を書くと今の侑里には笑われちゃうかな。でも、おかあさんが見てる侑里は、お腹の中の小さな小さな赤ん坊なの。許してね。
                          おかあさんより」

 おかあさんからの手紙を読んだ侑里が「おとうさんは、なにが好き?」と父親に聞いた。
「ん?」
「ごはん」
「おとうさんはカツ丼が好きだな」
「かつどん…」と侑里がノートを開いた。レシピはアイウエオ順に書かれていて、すぐにカツ丼のページを開く事が出来た。
「じゃあ、ゆりちゃんがつくってあげるね」
そう言った娘に、父親は「楽しみにしてるな」と笑った。

 ノートの一番後ろに、一枚の縦長のしおりが挟まっていた。しおりの表は花の写真で、裏に花の「ラナンキュラス」という名前と、花の説明が書いてあった。説明の最後に、
『花言葉:美しい人格』
とフリガナ付きで記してある。
「これ、おかあさんのお花?」
「そうだな」
母親のウエディングドレスの写真。その手に大事に抱かれているブーケの花は、ラナンキュラスだった。
「『はなことば』ってなあに?」
娘にそう聞かれたが、父親は上手く説明できず、「そのお花の、おまじないだな」と教えた。娘が「へえ」と笑顔になる。
「『じんかく』ってなぁに?」
「その人の性格というか、人柄と言うか…」
「性格」も「人柄」も侑里には難しく、首を傾げた。
「とにかく、おかあさんみたいに『優しい人』って事だ」
「おかあさんみたい?」
「そう」
「おかあさんは、やさしかったから、こんなにキレイなんだね」
「そうだよ」
「なんでかなぁ?」
「んー…?『ありがとう』をいっぱいもらえるからかな」
「そっかぁ」
侑里が、ラナンキュラスのブーケを抱くおかあさんの写真を見つめ、そのあと父親の顔を振り返った。
「おはな、おかあさんにピッタリだね」
そう言って笑った。父親は、「そうだな」と娘の頭を撫でた。
「…おとうさん?」
「ん?」
「おかあさんは、おひめさまなんだよね?」
母親のドレス姿の写真を見ると、娘はいつもこう聞く。その度に、父親はいつも「そうだよ」と答える。
「『およめさん』っていうおひめさまなんだよ」
「ゆりちゃんも魔法が使えるようになったら、なれるかな?」娘が、父親の顔を見上げた。
「うん、なれるよ」
娘の言う魔法の意味は分からなかったが、父親はそう答えた。
「ほんとう?」
「本当」
「そっかぁ。ゆりちゃんもなれるんだぁ」と笑顔になった。

「おかあさん。ゆりちゃんも、おかあさんみたいな、おひめさまになります」

そう言って、おかあさんに手を合わせた。
父親が、保育園の『しょうらいのゆめ』を思い出した。自分の娘が母親に憧れている事は嬉しかった。しかし、ウェディングドレスの写真に憧れている事には、少し、寂しさも感じた。
「…いや、まだまだ先だろ」
そう呟いて笑った。その妻の写真は、妻がハタチの時の写真だ。これから、十五年もある。
「十五年…」
改めて考えると十五年があっという間に感じられ、やはり寂しくなった。

 「ほら」
居間からリビングに移動し、父親が駅前のケーキ屋で買った十個のカットケーキを登場させた。娘が「すごい!ケーキいっぱい!」と目を輝かせて喜んだ。
「こんなにいいの?」
「今日はクリスマスっていうお祝いでもあるんだ」
「そうなの?」
「そう。だから全部食べていいんだぞ」
父親が言うと、娘は「そんなに食べられないよ~」と笑った。

 「どれがショートケーキ?」
娘が、母親が「おいしい」と書いていたケーキを聞いた。父親が「これだな」と真っ白なショートケーキを取り出すと、娘が「はんぶんこして」と頼んだ。不思議に思いながら父親が包丁で半分に切り分けると、侑里が居間から母親の写真を持ってきた。
「おかあさんもいっしょにたべよ」
父親が、娘の頭を撫でた。

  *  *  *

 侑里が小学六年生にあがった、とある土曜日の昼間。侑里が父親の会社を訪れた。父親の会社は三階建ての小さなビルで、どの階もワンフロアの構造になっている。一階が倉庫、二階が大きな会議室で、三階が従業員たちの仕事場になっていた。 侑里が三階のフロアのドアを開ける。 
「あら、ゆりちゃん?」
受付に座る、美人だが気の強そうな顔立ちの女性が侑里に気づいた。侑里が「こんにちは」とあいさつをする。
「土曜日なのに、すいません」
「ううん。社長は来なくていいって言ってくれるよ。でも、みんな勝手に集まるんだよ」
そう言って、その人は微笑んだ。侑里が「ありがとうございます」と頭を下げた。
「侑里ちゃんこそ、どうしたの?土曜日なのに」
「おとうさんにお弁当届けに来たんです。今日、仕事に行くの知らなくて、朝に作ってあげられなくて…」
「優しいねぇ。お父さん、泣いて喜ぶんじゃない?」
「そんな」と侑里が照れくさそうに笑った。受付の女性は「社長室にいると思うよ」とフロアの奥の、壁で仕切られた空間を指さした。
「さっき、誰か入ってったけど、話しかけて大丈夫だと思うよ」
「…ありがとうございます」
小さく頭を下げて、侑里が広いフロアの中を進んだ。
「おとうさん」 
小声でそう言いつつ、社長室のドアをノックしてから小さく開け、中の様子を伺った。父親と、男性の話し声が聞こえる。何を話してるかは分からないが、声のトーンから、真剣な話をしてる様子が伝わってくる。
 あまり邪魔しちゃいけないような気がした侑里は、中に入るタイミングを見計らって、その体勢のまましばらく待った。しかし、そのタイミングがなかなかつかめず、ドアを抑える腕が疲れてきた。

「わっ」
そのとき、中からドアが開かれ、侑里の体がよろめいた。
「うぉ、ビックリした!」
ドアを開けた男性が驚いた。その様子に社長である父親も気づき、顔を向けた。
「おー、侑里」
社長の顔から、父親の顔になる。
「どうした?」
「ごめんね、お弁当持ってきたの」
「おー、悪いな。話しかけりゃよかったのに」
「真剣な話みたいだったから、邪魔しちゃ悪いと思って」
ドアを開けた小さいおじさんが「侑里ちゃん、大きくなったね」と笑った。
「お久しぶりです、桂木さん」
この桂木という古株の社員は、元は父親の同級生で一緒に会社を立ち上げた仲間でもある。そのため、侑里の事は昔からよく知ってくれていた。
「いま、いくつ?」
「次の春で、中学校に上がります」
「早いなぁ…。俺も歳とるわけだ」
桂木のその一言に侑里は笑い、そして父親にお弁当を渡した。
「おう、わざわざ悪いな」
「ううん」
「茶でも飲んでくか?」
「いいよ、忙しそうだし」
「そうか」
「うん、がんばってね」
侑里がそう言うと、父親は少し間をおいてから「…おう」と答えた。その様子が、侑里は少し気になった。
「おとうさん?」
「ゆり、今日は残業になるかもしれないから、俺の帰りが遅い時は先にメシ食ってろよ」
「うん、そうする。じゃあね」
「おう」
そう言って三人が手を振りあい、侑里は会社を後にした。
 家への帰り道。「がんばって」と言った後、父の返事に間があったのが気になった。その間、父親が少し辛そうな顔をしていた気がした。
「酷い事言っちゃったかな」
その日の父の帰りは遅く、侑里は一人で晩御飯を食べた。 

  *  *  *

 侑里が中学二年の、三者面談。ベテランの女の先生が、「希望の進路は?」と侑里に聞く。侑里が近所の公立の高校の名前を出した。先生が、「そっか」と頷く。
「侑里さんの成績なら、もっと上も狙えると思うけど…」
そう言って、先生は地域で評判のいい私立高校の名前を口にした。侑里は、「はい…」と渋った。その様子に先生は「あんまり気が乗らない?」と尋ねた。
「大学とかの進路に進む場合、こっちの方がいいと思うけど」
しかし、侑里は何も答えなかった。
「何か、将来やりたいことでもあるの?」
「夢とか」と、先生がつけたした言葉で、侑里の頭に、母親の写真が目に浮かぶ。
「…高校を出たら、おとうさんの会社を手伝いたいんです」
侑里が、やっとそう答えた。先生が父親に「顔がにやけてますよ」と言うと、「いや、すいません、つい…」と父親が口元を手で押さえた。

 その、帰り道。
「ゆり、本当に私立じゃなくていいのか?」
「うん。それに、あの高校はおとうさんの出身校だから。後輩になるよ」
また、父親の顔がにやける。
「でも、あそこ結構ガラ悪いぞ?」
「おとうさんが通ってた頃の話でしょ?今は割と普通だよ」
「うん…」と父親は心配そうな顔をした。
「それに、綾乃もあそこに行くんだって。それも嬉しいなって」
「そうか。それは心強いな」
そう言って微笑んだ。しかし、家の事情も理由のひとつではある事はわかっていた。
「…ごめんな」
「謝らないでよ」
「でもな…」
「それとも、おとうさんの会社は大卒じゃないととってくれないの?」
侑里が冗談っぽくそう言うと、父親は「ははは」と笑った。
「そうなると、社長が失脚するな」
「でしょ?」
そう言って、二人で笑った。

 アパートの下の駐輪場の隣の自販機の前で、二人が足を止めた。
「何か飲むか」
「ココアがいい」
「ココアな」
「あったかいの」
父親は、「まっしろ」とブラックのコーヒーを買い、ベンチに座った。
「熱いから気を付けろよ」
中学生になった今でも、ついそう言ってしまう。
「ありがと」
娘が、そう言って受け取った。

「ふー、ふー」

そう、息を吹きかけてココアを冷ます娘の横顔に昔の面影を感じ、父親の頬が緩んだ。

「…はぁ」

侑里がココアを一口飲むと、白い息を吐いた。

「おいしい」
「良かった」

父親も、コーヒーを一口飲んだ。

「うまい」
「よかったぁ」

そう言って笑う娘に、父親が「飲んでみるか?」とコーヒーを差し出したが、娘は「苦いよ」と断った。
「中学生になったから平気じゃないか?」
「…うん、じゃあ、挑戦」
そう言って、一口飲んだ。
「やっぱりダメ。苦いや」
そう言って、舌を「ぺ」と出した。
「苦いか」
そう言って、父親が笑った。


この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?