「ファイト!」第8話。

 「なんだ、弁当作ってんのか?」
朝、雄二郎が目を覚まして部屋から出ると、台所で侑里がお弁当を作っていた。
「今日、日曜だぞ?」
「うん、そうなんだけど…」
侑里が、少し言いづらそうにした。雄二郎は事情を察して、「出かけるのか?」と笑顔で聞いた。
「うん、今日、慎吾が誕生日なの」
「そうか。気を付けて行って来いよ」
父親が、父親らしく優しく言った。
「うん、ありがとう」
娘が笑顔になった。

「おかあさん、行ってきます」
おかあさんの前で手を合わせた。ドレス姿の写真が目に入る。
「おかあさんは、ずっとキレイだね」
「行ってきます」と言って、いつもより大きなリュックを背負って家を出た。

 侑里が待ち合わせ場所の駅に着くと、慎吾が待っていた。侑里の背中の大きなリュックを見て、「何その大きいリュック」と笑った。
「ないしょ」
侑里がそう答えると、慎吾は「持つよ」とリュックを預かった。そして二人は、地元の駅から四つ先の大きな駅まで出かけた。その駅には複合商業施設が隣接していて、近所の中高生の遊び場になったり、恋人たちのデートスポットになっていた。
「なんか、エライ混んでるな」
二人は、映画館に来ていた。予想はしていたが、日曜の映画館は混雑していた。
「あ、今日、『映画の日』だって」
と、侑里が指さした。ポスターに、鑑賞料が千円だと書いてある。「それで、この混雑か」と納得した。

 「なに見ようか?」
上映リストの前で侑里にそう聞かれ、慎吾が「じゃあ…」と選び始めたが、慎吾が何かを言うより先に「私、『ドラゴンボール』見たいな」と侑里が言う。
「いやいや、つまんないだろ?」
「そんな事ないよ」
そう言って侑里が笑った。その笑顔を見ながら慎吾は、「優しいなぁ」と思い、「そっか。ありがとう」と、慎吾はチケット売り場に、侑里はドリンクを買いに向かった。

「危ないところだった。最後の二席だった」
チケットを買った慎吾が侑里の元へ戻ってきた。しかし侑里からの返事はなく、両手にコーラを持ってあらぬ方向に目をやっていた。
「ん?」
侑里の視線を追うと、その先には涙を流す小さな男の子と、それをなだめる若い母親の姿があった。男の子の手には、孫悟空の人形が握られている。母親は映画のチケットが売り切れてしまった事を説明していたが、男の子は諦めきれず、下を向いて無言で抵抗していた。その様子を心配そうに見ていた侑里に「優しいね」と言い、慎吾は親子の元へと歩いた。
「すいません」
「はい?」
「これ、良かったらもらってください」
母親に映画のチケットを二枚差し出した。
「いや、そんな。もらえないです」
そう言って遠慮した母親に慎吾が顔を近づけて声を小さくし、「…あそこに可愛い女の子が立ってますよね?」と侑里を指さした。母親の目に、心配そうな顔をしている女の子が映る。
「俺の彼女なんです」
「…はい」
「いいとこ見せたいんです」
その一言に、母親は思わず「ふふっ」と笑った。
「なので、もらってください」
そう言って、慎吾は母親の手にチケットを握らせた。
「あ、じゃあ、お金…」と財布を出そうとした母親に「いいです、いいです。誕生日なんで」と断った。
「だから、お前ももう泣き止め」
そう言って、男の子の前にかがんだ。
「男は、悲しい時は泣いちゃだめだ」
慎吾がそう言うと、男の子が涙をぬぐった。その男の子の頭を「いいこだ」と慎吾が撫でた。男の子は、お母さんを見上げ、「ゆうくん、いいこ?」と聞くと、お母さんが、「うん、いいこ」と頭を撫でた。
「それじゃ」と、お母さんに頭を下げ、二人の元を離れた。お母さんは、慎吾の背中に「本当に、ありがとうございました」と頭を下げた。
 「お母さん、ホッとしてたよ」
慎吾が侑里の元へ戻る。「そっか。良かった」と侑里が笑った。
「…あ」
慎吾が侑里を見て何かに気づいた。侑里も「ん?」と自分の姿を気にした。侑里の両手には、コーラが握られている。なんとなく、二人の目が合った。すると、その空気がおかしくなり、二人は大声で笑った。
「あっはっはっはっはっは!」
「もう、どーすんの、これ!」
「いいんだ、俺たちは映画館まで一杯二百円のバカ高いコーラを買いに来たんだ」
「チケット代合わせたら、千二百円だよ!」
「そーだ!めちゃくちゃ高級だな、このコーラ!」
そう言って笑い転げる二人を見て、周りの人たちもつられて笑っていた。

 「誕生日プレゼント、何か欲しいものある?」と聞いた侑里に、慎吾は「侑里のお弁当が食べたい」と言った。「そんなのでいいの?」と聞くと、「それがいいんだ」と答えた。
「じゃあ、とびっきりの作ってあげる」
そして、侑里は朝から気合を入れてお弁当を作った。二人が、そのお弁当を食べる場所を探すために商業施設を出る。十五分ほど歩くと大きな市民体育館があり、入り口の前のちょっとした広場に丁度良さそうなベンチを見つけた。
「お弁当、ここで食べよっか」
「あ、そうしよっか」
「リュック貸して」と慎吾からリュックを受け取ると、そのリュックとほぼ同じ大きさのお弁当を取り出した。
「中ぜんぶお弁当だったの!?」
「とびっきりの作るって言ったからね」
「これ、おせち料理とか詰めるやつじゃねぇの?」
「めしあがれ」
「食いきれるかな…」と呟いて慎吾がお箸を手に取った。

 「やっぱ、侑里の弁当は美味いな」そう言って食べ物を頬張る慎吾に、「良かった」と微笑んだ。
「…映画、ごめんね」
侑里が謝った。慎吾が口いっぱいに食べ物を詰め込んだ顔で侑里を見た。
「謝んなくていいよ」
そう言って、食べ物を飲み込んだ。
「俺は、侑里のそういう優しい所が好きなんだ」
そう、言われた侑里よりも、言った慎吾の方が恥ずかしそうな顔をした。
「でもね、それは、『俺にとって都合がいいから』じゃないんだよ。侑里の優しさが、俺じゃなくて別の誰かのために使われることもあって当然だし、そうであって欲しいとも思うんだ」
「本当に?」
「うん。そういう優しさを失くさないで欲しいと思うし、俺も、侑里の優しさを支えていけたらなって思うよ」
「…ありがとう」
「ただ、自分が辛い時にまで人に優しくしないでね」
「それは、俺に対してもね」と付け足した。
「自分が辛い時は、その優しさを、自分自身に向けてあげてね」
「ありがとう」と、侑里が優しく微笑むと、慎吾も「それは、こちらこそだよ」と笑顔を返した。

 「…あ、慎吾」
ご飯を頬張る慎吾の背後を侑里が指さす。振り返ると、その先に学生服を着た女の子がいて、その子の持っている細長い布の包みの先端が街路樹に引っかかり、背の小さな女の子はほどくのに苦戦していた。
慎吾が口をもぐもぐと動かしながら女の子に近づく。
「へふまいまん」
体の大きな男に意味不明な事を言われて戸惑っている女の子に、侑里が「『手伝います』と言っています」と通訳した。
「すいません、助かります」
女の子がお礼を言った。慎吾が直接手を届かせてほどいてあげると、「ありがとうございました」と女の子が慎吾と侑里、それぞれに頭を下げた。その礼は凛として、とてもキレイだった。
「いや、私はなにも」と侑里が言うと、「でも、気づいてくれたのは彼女さんですよね?」と女の子は言った。慎吾は、女の子の視野の広さに少し驚いた。
「優しい人と強い人で、バランスいいと思います」
女の子がそう言うと、慎吾は「この子の優しさがないと、俺は強くいれません」と返した。
「…もし、両方を一人で持ったら、どうなりますか?」
女の子が、そう質問した。その質問の答えに慎吾がどう答えるのか、侑里も興味が沸いた。
「そんな事したら、心が壊れちゃうと思います」
慎吾は、そう答えた。女の子は「そうですか」と頷いた。
「はい。そんな事が出来るのは、アニメのヒーローぐらいです」
「…孫悟空」
「そうですね、実写版です」
慎吾がそう言うと、三人で笑った。
「お幸せに」
女の子がそう言った。二人は恥ずかしくなって、「ありがとうございます」と言ったが、その声が偶然重なってしまった。その様子に、女の子が可愛らしく笑う。
「ほんとに、ありがとうございました」
再びキレイなお辞儀をして、女の子は去って行った。女の子が手に持った一輪の赤い花が印象的だった。
「あの包み、なんだろうね?」
「弓道じゃない?」
「きゅうどう?」と侑里が言うと、慎吾が弓を引いて矢を射る仕草をしてみせた。それを見て、侑里も「あぁ」と納得した。
「バランスいいって言ってくれたね」
「…そうだね」
なんだか照れくさくなり「お弁当たべよっか」と言った。
 
 「食べきれるかな?」と言った慎吾だったが、全部きれいに食べきった。
「美味しかったぁ~」と満足した様子で吐き出した。
侑里の作ったお弁当は美味しかった。この美味しさを感じられるのも、侑里が救ってくれたからだ。慎吾の口の中、お腹の中、胸の中に、幸せが充満していた。
「よく食べれたね」
「いや、よく作れたね」
「おかあさんがレシピ残してくれたからね」
「おかあさん、料理上手だったんだなぁ」
「安心した?」
「え?」
「前に言ってたでしょ。ご飯を食べると安心するって」
「あぁ」
「あの言葉ね、すごく嬉しかったんだぁ」と微笑んだ。慎吾も「そっか」と微笑んだ。
「でもね、今は、ちょっとちがう」
「ちがうの?」と残念そうな顔をした侑里を見て、「あぁ、ちがくて、ちがくて」と慎吾が慌てて否定した。
「今は、安心よりも、明日を楽しみに思えるんだよ」
「…そうなの?」
「うん。それまでの時間を無事に過ごせた安心感じゃなくて、これから生きる時間への希望をもてるんだよ。『さ、生きてくぞ』って」
侑里が「ありがとう」とお礼を言った。慎吾は「いや、こっちのセリフだよ。本当にありがとう」と頭を下げた。
「いやぁ、いい誕生日だなぁ」
慎吾が両手を上げて体を伸ばした。
「今までは、誕生日ってどう過ごしてた?」
「侑里と出会うまでは、かーちゃんと朝雄と過ごしてたよ」
「…寂しいって感じた事なかった?」
その侑里の質問に、「侑里は、寂しかった?」と質問で返した。
「…うん、ちょっとね」と侑里は優しく答えた。
「やっぱり、おとうさんと二人っきりだから、おかあさんがいたらなって、思う事もあったんだ」
「そっか」と慎吾が頷いた。
「侑里」
「ん?」
「俺は、侑里が今、俺のためだけに時間を使ってくれてる事が嬉しくて幸せだよ」
慎吾のその言葉に、侑里は、「うん」と頷いた。そして、笑顔で「そうなの」とつぶやいた。
「私もね、年末の忙しい時期なのに、おとうさんは必ず時間作って祝ってくれたから。寂しいのと同じぐらい、嬉しくもあったんだ」
「…そっか」
侑里は、ことあるごとに父親の話をする。父親を大事に思っていることが伝わってきた。

「慎吾」
「ん?」
「おたんじょうび、おめでとう」
「ありがとう」

十二月が、始まっていた。

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