「ファイト!」第9話。

 「おじゃまします」
「いらっしゃい」
いつものあいさつから慎吾の昼食が始まった。
「あれ、侑里ちゃん一緒じゃないの?」
「『週番の仕事があるから先行ってて』って言われて」
「そっか。仕事と君を天秤にかけて、君は負けたんだね」
「そんな大げさな話ですか!?」
二人が笑った。

 「侑里が来ないうちに、先生に相談したいんですけど」
慎吾がそう言うと「あの子のお願いの次は、君の相談か」と松下が笑う。慎吾も、「すいません」と笑って頭を下げた。
「いいよ、なに?」
松下がそう聞くと、慎吾が部屋の花を見た。
「…あれは、カトレアですよね」
「よく知ってるね」
「お花は、ちょっと知ってます」と言った後、「…ここのお花は、いつも素敵ですね」と微笑んだ。
「でしょう。買う店がいいからね」
「先生は、いつも一人で買いに行くんですか?」
「一人で行く時もあるけど、大体は友達と二人で行くよ。季節ごとに、鉢植えの花を買いに行くのが定番でね」
「…どんなお店ですか?」
その質問を少し不思議に思った松下が「ん?」と首を傾げた。
「どんなお店っていうのは?」
「あの、お花を買いに行きたいんですけど、男一人で行くのって、ちょっと恥ずかしかったりして…」
「だったら、それこそ彼女と行けばいいじゃないか」
「いや、だから、その…」
慎吾の歯切れの悪い返事に先生が事情を察し、「あぁ、そういう事か」と微笑んだ。
「はい。侑里と行くわけにはいかないですし、でも、一人で行くのも恥ずかしくて…」
大きく、強い体を持った男が恥ずかしそうにしているのが可愛らしく見え、松下が小さく笑った。
「私が行ってる店なら、君が一人で行っても大丈夫だよ」
「ほんとですか?」
「うん。男の子が一人でやってる店だから、君が一人で行っても全然恥ずかしくないよ」
「いいですね、そのお店」と安心した笑顔になった。
「どこにあるんですか?」
「少し遠いよ。ここから四つ先に大きな駅があるでしょ?」
「あの、ショッピングモールのある…」
「そうそう。その駅から更に四つ先。店の名前はね…」
松下から店の名前と道順を聞きながら、慎吾がメモをした。
「ありがとうございます。行ってみます」
この部屋に飾られている花は、どれも素敵だと思っていた。その花屋なら、自分の求めてる物が見つけられるだろうと慎吾は期待していた。松下は「良い物が見つかると思うよ」と笑った。
「ちょっと、手出しな」
そう言われ、慎吾が右手を出した。その手に、松下が「はい」とスタンプを押す。慎吾の手の平に、赤い丸で囲まれた「がんばりましょう」が刻まれた。
「ありがとうございます。がんばります」
「うん、頑張っといで」
「はい」
慎吾が、手を「ぐっ」と握った。

 「おじゃまします」
そこで、侑里が入って来た。「いらっしゃい」と松下が迎える。
「ゆりちゃん」
「はい?」
「お花好きだよね?」
「ちょっと!」と慎吾が慌て、松下が笑った。

 放課後。侑里が音楽室の掃除を終え、準備室の掃除に取り掛かっていた。
「先生、昼間、慎吾と何か話しましたか?」
「どうして?」
「慎吾、先に帰っちゃって。『行くとこあるから』って」
松下は「行動が早いな」と思いながら、「そっか」と微笑んだ。
「侑里ちゃん、今日、時間ある?」
「はい、大丈夫ですけど…」
「お茶しようよ」
「いいんですか?」
「うん」
 掃除が終わると、松下がカフェラテを淹れてくれる。それを待つ間、侑里が部屋のお花を見た。
「あのお花って、カトレアですよね?」
「よく知ってるね」
「先生に、よく似合ってると思います」
「そう?ありがとう」
カトレアの花言葉は「優雅な女性」と「魔力」だった。不思議な魅力を持つ優雅な女性。松下に似合いすぎるほど似合っていると思っていた。
「どうぞ」と松下が侑里にカップを差し出した。「ありがとうございます」と受け取ると、甘くていい香りがする。
「先生は、いつも紅茶ですよね」
「飲んでみる?」
松下がカップを差し出した。侑里が「いただきます」と受け取り、一口飲んだ。
「甘くないですね」
侑里が舌を「ぺ」と出した。
「そうだね」
侑里のその可愛らしい仕草に松下が笑った。
「でも、おいしいです」
「美味しいよね。この間、あのお花買いに行ったときにそこの店主がくれたんだ」と、松下が紅茶のパッケージを手に持った。侑里も、松下の手元を覗き込む。
「オレンジペコー?」
パッケージには、そう書いてあった。侑里は「かわいい名前ですね」と笑った。松下も、「ね」と笑う。
「ゆりちゃん」
「はい?」
「いい事があるといいね」
松下の、突然の不思議な一言に、「やっぱり、カトレアがピッタリだな」と思い、侑里は笑顔で「はい」と返事をした。

 夜。侑里がキッチンに立ち、ビーフシチューを煮込んでいた。部屋が、あたたかく美味しそうな匂いに満ちている。
その時、侑里のスマホが鳴った。見ると、慎吾からのメッセージが入っていた。
「ちょっと、下まで出てこれる?」
そのメッセージを見て、「前にもこんなことがあったな」と思い出した。すると、「かーちゃんは元気だよ」と追加のメッセージが入り、侑里が安心して小さく笑った。
「ちょっと待ってて」と返事を返し、コンロの火を止めた。
 上着を取りに居間に入ると、おかあさんと目が合う。
「ちょっと、行ってくるね」
笑顔のおかあさんに見送られ、侑里が家を出た。

 「慎吾」
自販機の横のベンチに座る、慎吾の背中に声をかけた。
「おう、侑里」と慎吾が笑顔で振り返り、立ち上がった。
「どうしたの?」
「うん…」
笑顔だが、なんだか少し緊張しているように見えた。
「…あの、のど乾きませんか?」
慎吾が、ベンチの脇の自販機を指さした。侑里が「ふふふ」と笑い、「乾きましたね」と答えた。
 慎吾が「まっしろ」を二本買い、一本を侑里に渡すと二人でベンチに座った。一口飲んで、二人に魔法がかかる。
「あのね」
「うん」
「警察学校、受かってたんだ」
慎吾がそう言うと、侑里は「ほんと!」と立ち上がった。慎吾が「うん」と頷いて侑里を見る。自分の頭の上に侑里がいるという珍しい光景を、慎吾は新鮮に感じていた。侑里が「おめでとう」と優しく笑う。慎吾も、「ありがとう」とお礼を言った。
「実は、何日か前に通知は届いてたんだけど、言うのが遅くなっちゃった、ごめんね」
「ううん。そんなの、いいよ」と、侑里が慎吾の隣に座った。
「言うのが遅くなったのには、理由があってね」
「うん」
「これと一緒に、侑里に伝えたいことがあったんだ」
「なぁに?」
「うん」
慎吾が、一口ココアを飲んだ。
「高校を卒業したら、四月から、警察学校に入る事になるんだ」
「うん、そうだね」
「はじめは十ヶ月入って…。で、卒業したら職場実習が三ヶ月あって…。で、その後、初任補習科っていうのがまた三ヶ月あって、最後に、実践実習が五ヶ月あるのね」
「長いね」
「そのあと交番に配属されて、そこでやっと警察官になれるんだけど」
「そっかぁ」
「うん。本当の意味で警察官になるには、春から、二十一ヶ月かかっちゃうんだ」
「大変だね。夢を叶えるのは」
「うん。まぁ、寮に入るのは最初の十カ月だけなんだけど、でも、その二十一カ月が終わるまでは、忙しくなって、落ち着けないと思うんだ」
「うん」
「だからね、その前に、言っておきたいことがあって」
「なぁに?」
そこで、次は慎吾が立ち上がり、侑里の前に立った。侑里が慎吾を見上げ、いつも通りの景色が広がる。
「警察学校を卒業して…本当に警察官になったら」
「うん」
「俺が、おまわりさんになったらね」
「うん」

「俺の、およめさんになってください」

「お願いします」と、頭を下げて、慎吾は、一輪の白い薔薇を差し出した。
侑里の目に、大きくて傷だらけの手に優しく握られた、白い花が映る。暗い闇の中に光る薔薇は、とても美しくて綺麗だった。

「…ほんと?」

侑里がつぶやく。慎吾が「え?」と侑里の目を見た。侑里の目には、少しの涙が浮かんでいた。
「わたし、およめさんになれるの?」
「なって、ください」
「お願いします」と、もう一度、深く頭を下げた。侑里が、涙を人差し指で拭った。
「はい」
そう言って、侑里が白い薔薇を両手で大事に受け取った。

「良かったぁ」

慎吾が顔を上げると、侑里が笑顔を向けた。その笑顔に安心し、慎吾が「ありがとう」とお礼を言った。
「ううん。私の方こそ、ありがとう」
「いやいや、俺の方がありがとうだよ」
「ううん。だって、私の夢を叶えてくれたんだもん。私の方がありがとうだよ」
「いや、俺の方こそ、ありがとう」
「ううん。私こそ、ありがとう」
お礼を言い合い、二人が笑った。慎吾が侑里の隣に腰を降ろす。
「白い薔薇の、花言葉知ってる?」
「うん。知ってるよ」
白い薔薇の花言葉は「私はあなたにふさわしい」だった。
「俺は、侑里に救われて、助けられてばっかりなんだけど」
「そんなことないよ」
「でも、『俺は侑里にふさわしい』って、言わせてほしいんだ」
「うん。私もそう思うよ」
「その自信が、私は嬉しいよ」と微笑んだ。
「ありがとう」
「慎吾」
「ん?」
「ファイト!」と侑里が手を握った。
「うん、頑張るよ。頑張って、守っていくよ」
「頼りにしてるね」
「おう、任せろ」

 「…でさ」と、慎吾はココアを一口すすった。
「なに?」
「結婚の許可を、親父さんにもらいに行きたいんだ」
慎吾が、覚悟を決めた顔で言った。
「…それは、別に、今じゃなくてもいいんじゃない?それこそ、本当におまわりさんになってからで」
「…いや、いま行っておくべきだと思う」
「…どうして?」
「オヤジさんに、挨拶に行くべきタイミングは、『今』だって思うんだよ」
慎吾がまっすぐに侑里を見た。侑里も「わかった」と微笑んだ。
「緊張する?」
「…まぁな。一回、思いっきり負けちゃってるからな」
「…いや、二回か」と小さくつぶやいた。
侑里が自分の手の中にある白い花を見た。そして、「でもね、」と呟く。
「おとうさんはね、私の事をずーっと大事にしてくれたの。ずっと、私の幸せを願ってくれてたの」
優しい声でそう言う侑里の顔を慎吾が見た。
「だからね、私の幸せは、おとうさんも一緒に喜んでくれると思うんだ」
そう言って、侑里は白い花を大事そうに抱きしめて笑った。その笑顔は、とても素敵だった。慎吾が今までに見た侑里の笑顔の中で、一番素敵な笑顔だと思った。
「侑里。俺、頑張るよ」
そう言った慎吾に、侑里が「慎吾」と声をかけた。
「ファイト!」
「おう」
二人が、手をグーにしてポーズをとった。

 「おかあさん、見て」
侑里は、家に帰るとすぐに、おかあさんの前に座った。そして、慎吾からもらった白い薔薇をおかあさんに見せた。
「おかあさん、私、およめさんになれるんだって」
おかあさんが、写真の中で微笑んでいた。
 慎吾が買ってくれた「まっしろ」の空き缶を洗ったあと、少し水を入れ、そこに白い薔薇を差した。そして、それをおかあさんの写真の隣に並べた。
「春から、二十一ヶ月だって」
「…じゃあ、今から丁度二年後だね」と言った時、「…あ」と気づいた。
「私、二十歳になるんだね」
おかあさんの持つ白いラナンキュラスの花束と、一輪の白い薔薇が隣に並んで咲いていた。その様子を見て、侑里は、今まで自分が撒いた種が花を咲かせたんだと、嬉しくなった。

「おかあさんといっしょだね」

ずっと憧れてきた、おかあさんの写真。その写真と同じ幸せが手に入ると思うと、侑里の心に幸せが満ちた。

 「ビーフシチュー、うまいな」
父親が、娘にそう言った。娘の料理はいつも美味しい。しかし、その日のビーフシチューは特別美味しく感じていた。
「よかった」
娘が笑う。その笑顔は、自分が料理を「うまい」と褒めた事に対するものではないと、父親は気づいていた。
「ねぇ、おとうさん」
「ん?」
「今度、慎吾と会ってほしいんだ」
娘が、少し緊張気味に、しかし幸せそうに言った。
「おう、連れてこい」
そう言って、優しく微笑んだ。
「ありがとう」
娘が、より笑顔になった。娘の作った晩ご飯は、どれも本当に美味しかった。

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