「ファイト!」第4話。

 「おかあさん、行ってきます」
朝。準備を終えた侑里が母親に手を合わせた。
「おとうさん、今日何か食べたいものある?」
「カツ丼」
即答した父親に「ほんと、好きだね」と笑った。
「まぁな」
「わかった、頭に入れとく」
「行ってきます」と言い、父親の「行ってらっしゃい」を背中で受け止め、家を出た。

 学校に着いて教室に入ると、綾乃を含めた女の子数人がイスに座る一人の女の子を取り囲んでいた。その光景に、昨日見た映画を思い出し、少しおかしくなった。
「綾乃、おはよう」と、その集団に近づいた。
「今日、朝練は?」
「おはよう。今日は早めに終わったの」
「そうなんだ」
綾乃とそんな会話をしていると、その泣いている女の子が「ゆり~」と侑里の胸に顔をうずめるように抱きついてきた。
「あらあら、どうしたの?」と、戸惑いながら頭を撫でてあげた。撫でながら綾乃に視線を向けると、「彼氏にフラれたんだって」と教えてくれた。
「しかも、相手はもう別の彼女いるんだよ!?ひどくない!?」
集団の中の、ちょっと派手めな女の子が語気を荒くした。侑里が、「あら、それは悲しいね~」と右手で抱きしめ、左手で頭を撫でてあげると、「ゆり~」と侑里を抱く力を強くした。
「だから、みんなでカラオケ行って、パーってやろうって言ってるの。侑里も来るよね?」
派手めな女の子が強く迫った。侑里が「えっと…」と迷っていると、「来てくれないの?」と涙目で見上げられてしまった。綾乃が「いや、ゆりは…」と言いかけると、侑里が「わかった、行くよ」と笑った。
「やったー、ゆり、やさしい~!」と女の子が侑里の胸に強く顔をうずめた。派手めな女の子も、「よし、決まりね」と喜んでいる。侑里は「よしよし」と女の子の頭を撫でた。
「侑里、大丈夫?」という綾乃の小声の心配に、「うん、ちょっとなら」と小声で返した。フラれた女の子は、しばらく侑里の胸で泣き続けた。

 夜。地元の駅に電車が到着し、侑里が降りた。車両からまばらに乗客が降りてくる。「はぁ」と、ため息を吐きながらスマホを見た。時刻は夜の九時を回ろうとしている。
「まさか、こんなに遅くなるとはなぁ」
侑里はもう少し早く帰れると思っていたのだが、テンションの上がった同級生たちを見て「帰ろう」とは言い出せず、こんな時間になってしまった。
「家に帰ったら、洗濯して、掃除して、晩御飯作って…」
頭の中で段取りを考えていると、父親がカツ丼を食べたいと言っていたのを思い出した。味付けして、揚げて、煮る。ちょっと面倒くさいなと思っていた。

ガン!

電車から、大きな音が聞こえた。驚いてそっちを見ると、同じ高校の制服を着た、やたらと背の高い男子生徒が電車のドアのフチに頭をぶつけていた。
「あ、慎吾さ…」と侑里が声をかけようとした。

「いってぇな」

慎吾は、暗い声でそうつぶやいて、頭をさすった。その様子からは、学校の購買で見たときの雰囲気ではなく、喧嘩をしていた時の雰囲気が漂っていた。その様子に、侑里は声をかけるのをためらった。
「…ん?」
慎吾が、侑里をみつけた。目が合った侑里が小さく頭を下げる。
「あー!ゆりさん!」
慎吾の顔が「ぱっ」と笑顔になる。その顔は、やわらかい空気の慎吾だった。その顔に侑里は安心して「こんばんは」と挨拶した。

 二人で駅のホームを歩き、改札を目指す。「お仕事ですか?」と聞くと「はい」と答えが返ってきた。
「大変ですね」
「いや、でも、今日は割と早く終わった方です」
自分の「遅く」が慎吾にとって「早め」なのかと、少し驚いた。
「お仕事は何をしてるんですか?」
「『荷揚げ』です」
「にあげ?」
「そっか、わかんないですよね」と慎吾が笑う。
「角材とか鉄の棒の束とか、あと、畳とか…。そういう、建築に使われる材料をクレーンで運べない狭い場所に人力で運ぶんです」
「うわ、大変そう」
「中でも『コンパネ』っていう板があるんですけど、それがめちゃくちゃキツイです。指ちぎれるんじゃないかってぐらい」
「重たいんですか」
「あれ運ぶと、指に痕のこって、明日まで消えないんですよ」
「ほら」と慎吾が右手を見せた。大きくて分厚い手に、定規を押し付けたような直線の痕が何本もついていた。
「あ」
右手の中指の付け根から血が出ているのを侑里が見つけた。「痛そう」
「こんなの、しょっちゅうなんで」
「バイキン入ったら大変ですよ」
そう言って、侑里がカバンから絆創膏を取り出した。
「良かったら」
そう言って差し出すと、慎吾が「ありがとうございます」と受け取り、左手で不器用に右手の中指に巻き付けた。
「体も疲れて、ケガまでして、お仕事って大変ですね」
「ありがとうございます。でも、大丈夫です。強いですから」
そう笑顔で言う慎吾を見て、「頼もしい人だな」と思った。

 「ゆりさんはどうしたんですか?こんな遅くに」
今度は、慎吾から質問した。
「綾乃たちとカラオケ行ってたんです」
「カラオケかぁ、いいなぁ」
「う~ん、私は、ちょっと苦手です」
「あら、そうなんですか?」
「はい、でも、彼氏にフラれちゃった子がいて。なんとなく、断れなくて」
「優しいですね。友達も、嬉しかったと思いますよ」
そう言われて、侑里は嬉しくなった。
「でも、遅くなったときは気を付けてくださいね。この駅、夜になると変なヤツとか出てきますから」
「変なヤツ?」
「酔っ払いとか、ガラの悪いやつとか出てくるんですよ。なので、気を付けてくださいね」
「はい、気を付けます」

 「…あれ」
改札の手前で慎吾が急に立ち止まり、後ろを振り返った。侑里が「何か落としましたか?」と気にした。慎吾は「あぁ、いや、そうじゃなくて」と首を振った。
「この道って、こんな短かったでしたっけ?」
「え?」
ホームから階段を降り、改札にたどり着くまでには長い直線がある。慎吾は、この直線が嫌いだった。「歩いても歩いても、全然、外に出れなくて」と話した。
「でも、今日は感じなかったな…」
そうつぶやく慎吾の背中を、侑里は「大きいな」と思っていた。

 慎吾が改札を抜けた後、侑里のICカードが残高不足で引っかかった。「あれ」と照れくさそうに笑い、精算機に向かう。
先に抜けた慎吾は自販機でアイスとホットのカフェラテを買い、「お待たせしました」と戻ってきた侑里に二本のカフェラテを差し出した。
「のど乾きませんか?」
「え、いいんですか?」
「どうぞ。絆創膏のお礼です。アイスか、ホットか」
「じゃあ、あったかい方で…」と、あったかいカフェラテを受け取り「ごちそうさまです」と言って缶を開けた。
「夜も遅いですから」と、慎吾が家まで送る事を申し出た。「変なやつ出てきますし」と。侑里も「ありがとうございます」と受け入れた。
 慎吾が「ずずっ」とカフェラテをすすった。
「仕事おわりのこの一杯がうまいんですよ」
「この甘味が染みるんだ」としみじみ言った。
「あー、でも、あのココアの方が美味しいな」
そうつぶやいたあと、慎吾が「…あ」と何かを思いだし、「あの、あの時は、恥ずかしいところをお見せして…」と恥ずかしそうにした。
「男のくせに泣いちゃって、お恥ずかしい」
そう言った慎吾に、「自分も結構大きく泣いたな」と思い、「いやいや、私の方こそごめんなさい」と謝った。
「いや、そもそも俺が、すいません」
「いや、私の方こそごめんなさい」
この前のやり取りを繰り返し、思わず二人が笑った。

 「甘いもの、お好きですよね?」
侑里が、慎吾が購買で甘いパンをたくさん持っていたのを思い出し、そう聞いた。
慎吾は「ふふっ」と笑ってから、「好きですねぇ」と答えた。
「甘いものを食べると、幸せになれますからね」
その慎吾の一言に侑里が驚き、「え?」と声が漏れた。
「科学的にも証明されてるらしいですよ。甘いものを口にすると、人の脳みそから幸せを感じる成分が出るんですって」
「…そうなんですか?」
「はい。ただ、なんて名前の成分だったかは全く覚えてないですけど」
慎吾がそう言うと、侑里が笑った。
「でも、ということは、甘いものを食べ続ければ、人は永遠に幸せでいれると思うんです」
そう言った慎吾に「私も、そう思います」と侑里が答えた。その返事に慎吾が「ですよね」と嬉しそうにした。
「私のおかあさん、もう天国にいるんですけど。おかあさんが残してくれたノートに書いてあったんです。『甘いものを食べると、幸せになれるよ』って」
「わ。いいおかあさんだ」
「はい。甘いものを食べるのは『幸せになる魔法』なんだって」
「『幸せになる魔法』かぁ、いいなぁ。じゃあ、俺はずーっと自分に魔法をかけてたんですね」
「そういうことですね」
「すごく効きますよ、この魔法」
そう言って慎吾が笑う。『魔法』だなんて子供じみた事を、「いいなぁ」と言ってくれたのが侑里は嬉しかった。この笑顔の男には、体の弱い母親と小さい弟がいると知っていた。
「おかあさんの具合は、どうですか?」
その質問に慎吾は「ん?」と少し戸惑ったが「あぁ」と小さく笑ってから答えた。
「なんか、『腹が痛い』ってずっと言ってて。それで病院ずっと通ってるんですけど」
「心配ですね」
「う~ん、でも、心と頭は元気でね~」とふざけて愚痴るように言う慎吾に侑里が「そうなんですか」と小さく笑った。
「はい。口も元気ですから、うるっさくてしょうがないです」と言うと、二人で笑った。
「でも、そんなに強い息子さんがいて、おかあさんも安心だと思います」
「だといいんですけど」
「三人相手に勝っちゃうんですもんね」
侑里がそう言うと、慎吾は「え?あぁ…」と、恥ずかしそうに返事をした。
「あの時は、ついムカついちゃって」
「ムカついた?」
「あいつら、花壇のお花荒らしやがったんですよ」
「え?」
「はい。正門の隣に花壇あるじゃないですか。あの中に人を放り投げて遊んでて。ムカついて『やめろよ』って言ったら、ケンカ売ってきやがって」
「そうだったんですか」
「最初は逃げたんですけど、校舎の入り口で捕まって殴られて。それでつい、やり返しちゃって」
「お花のために怒ってくれたんですね?」と言った後、侑里が「ふふ」と笑った。その侑里を、慎吾が「え?」と気にした。
「いや、あんなに激しいケンカの原因がお花だったことが、なんか、似合わなくておかしくて」
「あぁ」と慎吾も笑った。
「うちのかーちゃんが昔からお花とか好きなんです。小さい頃は、押し花作ってくれたりして。お花の本もいっぱいあって。だから、俺もお花って好きなんです。それで、ああいうやつら許せないんですよ」
花壇の花のために怒ってくれたことを嬉しく感じるのと同時に、慎吾を優しく、少し、可愛らしくも思った。
「ありがとうございます」
「え?」
「私も、あのお花好きなんです。ラナンキュラス」
「キレイですよね」
「だから、荒らされてるの見てすごく悲しくなって」
「優しいですね」
「でも、私には怒るなんてことできなくて。並べ直してあげるぐらいしかできませんでした」
侑里がそう言うと、慎吾は「え!?」と驚いた。
「あそこ、侑里さんが直してくれたんですか!」
「はい」
「そうなんですか。いや、俺も放課後に直そうと思って花壇行ったら、もう、すごくきれいに直ってて」
侑里は、慎吾がそこまで考えてくれていたことが嬉しくなった。
「でも、俺なんかがやるより綺麗になったと思います」
「そんな、そんな」と侑里が照れた。
「私には、あの花を直してあげる事しかできませんでした。あの花のためにちゃんと怒れる慎吾さんの方がすごいですよ」
「別に、すごくなんて」と慎吾が照れくさそうに笑った。そのあと、「でも本当は、ああいうトラブルはダメなんですけどね」と小さな後悔と反省を顔に浮かべた。
「だめ?」
「はい。俺、おまわりさんになりたいんです。だから、あんまりああいうのは…」
慎吾がそこまで言うと、侑里がまた「ふふふ」と笑った。
「え?」
「いや、『おまわりさん』って言い方がなんか、可愛らしくて」
「似合わないですか?」
「いえ、そんな事は」と言いつつ、顔は笑っていた。
「あの、保育園の時に『将来の夢』って書くじゃないですか。あの時に『おまわりさん』って書いたんです。だから、そのまま、今でもそう言っちゃうんですよね」
その話に、侑里は「あ、それ分かります!」と手を叩いた。
「わかってくれます?」
「はい、私も、中学生の時の進路希望調査に『およめさん』って書けなくて」
「あー、そうですよね!」
「綾乃からは『専業主婦じゃない?』って言われちゃうし」
「それだと、だいぶ印象ちがうなぁ」
「それか、『家事手伝いだ』って」
「それはひどい」
「だから、その時は『おとうさんの会社を手伝う』って書いたんです」
「おとうさんの会社?」
「私のおとうさん、自分で会社をやってるんです」
「社長さんってことですか?」
「そんなに大きな会社ではないんですけど」
「いやいや、社長さんなんてすごいですよ。いいなぁ、社長のおとうさんなんて。憧れるな」
慎吾がそう言って笑った。この男は笑顔だが、手に傷を負い、体に疲労をためて家族を守っている。侑里には、その姿がかっこよく見えた。

「ぐぅぅううう~~~~」

その時、慎吾のお腹が鳴り、「腹減ったぁ~」とお腹を押さえ、その様子に侑里が小さく笑った。
「腹へりませんか?」
「はい。お腹すきました」
「晩ご飯、何食べたいですか?」
「今日はカツ丼なんです。お父さんのリクエストで」
「え、自分で作るんですか?」
そう聞いてから、慎吾は侑里の母親が天国にいると言っていたのを思い出し、「そうか、そうですよね」と優しく言った。
「はい。おとうさんが頑張って働いてくれてるので。家事は、私がしないと」
その一言に、慎吾が「ん?」と小さく驚いた。
「じゃあ、お家帰ったら家事やるんですか?」
「はい」
「え、だって」と慎吾がスマホで時刻を確認した。
「え、こんな時間から、家事やるんですか?」
「そうですね」
「これから、洗濯とか、掃除とか…」
「はい、そうです」
「晩御飯つくるんですか?」
「はい」
「カツ丼作るんですか!?」
「はい」
何度も細かく質問をする慎吾がおかしくなり、侑里が笑った。
「うわー、大変だ。きっつ~」
そう言ってくれた慎吾に、「いやいや。私は、家でやるだけなので、大したことないです」と謙遜した。しかし慎吾は「いやいや、そんなことないですって」と否定した。
「今日みたいに仕事終わって…家に帰って、晩御飯を食べると、安心するんです。『あー、今日も無事に終ったー』『良かったー』って思うんです。晩ご飯には、そういう力があるんです」
「そんな風に言ってもらえると、嬉しいです」
「晩御飯だけじゃないですよ。朝ごはんは、無事に一日を始められる事に安心しますし、お弁当たべると、一日の半分を乗り越えられて良かったって思います。だから、大したことないなんて事ないです。立派です。きっと、おとうさんもそう思ってますよ」
「ありがとうございます。なんか、報われます」
「いやいや、そんな事」と慎吾が照れたあと、「いいなぁ、カツ丼かぁ」と振り返った。
「…あ、侑里さんも『にあげ』ですね」
「ん?」
「あの、『煮て』『揚げる』から…」と慎吾に言われ、侑里が頭の中で「にあげ」の漢字を変換した。
「あー!『煮揚げ』!ですね!『煮揚げ』だ!」
「あはははははは!」と二人が大声で笑った。
「正確には『揚げ煮』ですけど、それは言わない方向で…」
「そうですね、それを言っちゃ野暮ですね」

 そんな会話をしているうちに、侑里のアパートの前にたどり着いた。
「あ!」
慎吾が自販機の「まっしろ」を指さした。
「これ、どこ探してもないんですよ。いいなぁ、こんな近くに売ってるんだ」
「そうなんです。小さい頃からよく飲んでます」
「うらやましい~。魔法かけ放題じゃないですか」
「そうですね」と侑里が笑った。

 「今日はありがとうございました」
「いえ、俺も楽しかったです。明日からも頑張れます」
そう笑った慎吾に、「頑張ってください」と言おうとした。しかし、なんだかその言葉は残酷な気がして、飲み込んだ。
「えっと…」

「はい?」

「ファイト!」

代わりに、そんな言葉が、口をついてでていた。思わず、手をグーにしてポーズをとっていた。

「ありがとうございます!」
慎吾も、手をグーにして、ポーズをとって受け取った。

「じゃ!」

慎吾が颯爽と走り去る。侑里がその背中を見送った。

「強いなぁ」

そう、つぶやいていた。

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