「ファイト!」第6話。

 「おぉ~」

家庭科の調理実習の時間。侑里がフライパンの中のたまごを上手にくるくると巻くと、その手際の良さを見ようと集まっていた女の子たちが歓声をあげた。先生も「ゆりちゃん、上手ね」と感心し、侑里は照れくさくなった。

 「…おいっし!」
焼きあがったばかりの侑里のたまごやきを食べた綾乃が大きな声を出すと、また周りの女の子たちが注目した。
「お弁当のも美味しいけど、作りたて美味しすぎ!」
絶賛する綾乃を見て先生も「どれどれ」と一切れ試食し、「ほんとだ、すごい」と褒めた。そして「侑里ちゃんは、いいお母さんになるね」と言った。ちょっと派手めな女の子が「先生、先越されんじゃない?」と笑い、からかわれた先生が「君の授業態度は零点にしとくからね」と言っているのを見て、侑里は小さく笑った。
「やっぱり、毎日料理するのは大変?」
ある女の子から言われた質問に、「でも、慣れちゃえばそうでもないよ」と答えた。そんな優等生な答えを出した侑里を、ちょっと派手めな女の子が「先生!」と指さすと、先生は「いいお母さんになるね」と言い、皆が笑った。
 「でもさ、献立の決定権あるって事は、自分の食べたいもの食べれるんでしょ?」
ある女の子からされたその質問に、侑里は「え?」と戸惑った。
「うちのお姉ちゃんが独り暮らししてるんだけど、食べたいもの好きなだけ食べれるって喜んでたわ」
「そのおかげで太ったけどね」と付け足すと、女の子たちが笑った。
「でも、そっか、そういう利点はあるか」と誰かが言うと、「じゃあ、侑里は自分の食べたいもの食べ放題?」と聞かれた。「いや、そういうわけじゃ…」と返事に困っていると、「でも、侑里の料理なら毎日食べたいね」とまた誰かが言い、「確かにー!」と盛り上がっていた。
「私のお母さんのご飯、味うっすいの、おばさんだからさー」
「あー、わかるー」
そんな会話が侑里の近くで聞こえた。母親の料理の味の薄さを笑う二人を、「あんたたち、お母さんにちゃんと感謝しなさいよ」と綾乃が叱る。綾乃に叱られた女の子の「今日、ご飯なに作るの?」という質問に、侑里が「今日は餃子なんだ。おとうさんのリクエストだから」と答えると、「侑里の餃子、絶対美味しいよね」と頷き合っていた。
「餃子ってさ、においとか気にならない?」
「平気だよ。うちのはニンニクもニラも入れないから」
「それだと、味が物足りなくない?」
「代わりに、キャベツと生姜を増やすの。そうすると味がしっかりするんだよ」
「へぇ~」と先生もうなずいていた。
「うちのお母さんの餃子、なんかびちゃびちゃなの」と誰かが言い、その子の友達が「なんで?」と聞いた。
「料理が下手なんでしょ。もっと『王将』みたいにしてほしいのに」
「家で『王将』食べれたら最高だわ」
一人の女の子がそう言うと、女の子たちがまた盛り上がった。
「でもさ、外食行くと、その味を再現しようとするのもやめてほしいよね」
「あれね、絶対失敗するのにね!」
「うちのお母さん、最近冷凍食品増えたんだよねー」
「さぼってんね」
「そうなの、こっちには勉強サボんなとか言ってくるくせに」
「うちのは、久しぶりに勉強やる気になってる時に限って『手伝え』って言ってくるんだよー」
「あ、めっちゃわかる!」
「間が悪いんだよねー」
侑里は、友達のそんな会話を微笑んで聞いていた。

侑里の作ったたまごやきが、一番きれいで一番おいしかった。

 侑里は家に帰ると、父のリクエストの餃子を作っていた。ニンニクとニラを入れない餃子は、次の日が仕事でも気にせずに食べられるようにと、おかあさんが考えたレシピだ。

 餡を作って、皮に包む。包みながら、学校での会話を思い出していた。
「食べたいもの好きなだけ食べれるって喜んでたわ」
そう言って笑う同級生の言葉が頭に残っていた。
「…私の食べたいものってなんだろう」
ふと、そんな疑問が沸いた。侑里が献立を決める時は、父のリクエストやスーパーの広告を見て決める。「自分の食べたいもの」を基準に決めた事がなかった。
「私のお母さんの料理、味うっすいの」
また、同級生の言葉が頭に甦る。
「…食べたいなぁ、おかあさんのごはん」
外食の味は食べた事がある。しかし、「外食の味を再現しようとして失敗した味」は食べた事がないし、これからも食べられることはない。
失敗していようとなんだろうと、侑里の食べたいものは「おかあさんのごはん」だった。味が薄かろうと、びちゃびちゃの餃子だろうと、どんな料理よりも美味しいに違いないと思った。
「ごめんね、今日はちょっと失敗しちゃった」
「ううん。美味しいよ」
おかあさんとの、そんな会話を想像する。
「おとうさんは怒るかな?」
「あの人には文句なんか言わせないわよ」
そう言って笑うおかあさんが想像できた。
「今日はサボっちゃってごめんね」
「ううん、これ、冷凍だけど美味しいよね」
冷凍食品なら、そんな会話も楽しかったかもしれない。そんな想像をしながら手を動かしている内に、餡は残り僅かになった。その量は一つ分には多く、二つ分にはこころもとなかった。
「二つ作れるかな」
「いいんじゃない?入れちゃえ入れちゃえ」
楽しそうなおかあさんの声に、侑里が一枚の皮に残りの餡を全部乗せて包む。しかし、餡の量が多すぎて餃子の皮が破れてしまった。「あ、」と声が漏れる。
「大丈夫、こういう時は、水を多めにつけて、はりつければ…」
「ほんとだ、直った」
「これは、おとうさんのね」
「怒らないかなぁ?」
「侑里が作ったって言えば、何でも喜んで食べるわよ」
「そうかな」
「多分、焼いてなくても食べるわよ」
「それは怒るよ」
「食べるわよ」と笑うおかあさんの声が聞こえた気がした。

「かなぁ?」

侑里が笑顔を隣に向けた。しかし、隣には誰もおらず、侑里の笑顔は誰も受け取らないまま消えてしまった。
侑里の手の上に、不格好に太って皮がつぎはぎの餃子が乗っていた。
「はぁ」
その餃子を、他の餃子の隣に並べる。一つだけ大きくて不細工に目立った。
餃子の餡はすべて皮に包み終えた。あとは焼くだけだ。しかしその先、侑里の手が動かなくなってしまった。
「あとは、焼くだけ」
そう思うのだが、「焼くだけ」は「焼くだけ」ではない。
フライパンを用意して、油を敷いて、餃子を並べて、ふたをして…。焼きあがったら盛り付けて、父の分にはラップをかけて、そのあと、油のついたフライパンを洗って…。そう段取りを考えると余りにも行程が多く、手を動かす気になれなかった。
「…水餃子にしようか」
油を使わない水餃子なら、後の掃除がいくらかマシだ。 コンロの上のフライパンをどかし、鍋を置く。

「…はぁ」

どうしても、動かない。ほんの少し。ほんの少しの力が欲しい。

 おかあさんのノートから力をもらおうと思った。居間の、おかあさんの前に行く。おかあさんは、ラナンキュラスのブーケを手に抱いていた。

「ラナンキュラスは、侑里さんですから」

慎吾の声が蘇り、あのときの喜びを思い出した。心にかかっていた霧が晴れ、一気に気分が明るくなった。
 時計を見る。今から駅に向かえば、前にカラオケの帰りに慎吾と出くわした時と大体同じ時刻に駅にたどり着く。
「会えたりするかな…」
しかし、作りかけの餃子が気になった。

「侑里の作った物なら、焼いてなくたって喜んでたべるわよ」

おかあさんを見た。おかあさんは微笑んでいる。

「今日は、いいかなぁ?」

「文句なんか言わせないわよ」

侑里は包んだ餃子にラップをかけ、父親にメールを入れると上着を羽織って家を出た。

 
 侑里が駅の改札の出口にたどり着いた。閉店し、明かりの消えたケーキ屋の前に立つ。ちょうどそのタイミングで電車が駅に到着した。改札からまばらに人が出てくる。塾帰りの中学生や高校生。デート帰りのカップル。仕事終わりのお父さんたち。その中に、背の高い高校生を探した。

「いない…」

身長の高い慎吾は見つけやすいだろうと思ったが、見つけられなかった。
「次の電車かな…」
侑里が、スマホに目を落とした。

「ゆりさん!」

名前を呼ばれ、驚いて顔を上げると慎吾がいた。侑里の頭に「見逃した?」という思いがかすめた。でも。

「見つけてくれたんですか?」

慎吾が「すぐわかりましたよ」と笑った。

「どうしたんですか?こんな夜遅くに」
そう聞かれて、侑里が焦った。いま自分は、どうしたんだっけ。
「えっと…」
適当な言い訳を考えていると、「…あの、のど乾きませんか?」と、慎吾が近くで光っている自販機を指さした。侑里は「あ、はい。乾きましたね」と答えた。

 「また、カフェラテでいいですか?」
「え、あ、はい」
「ホットとアイス、どっちにしますか?」
「じゃあ、あったかいので」
「あったかいのですね」
慎吾がホットのカフェラテを買って侑里に渡すと、「俺は冷たいのがいいや」とアイスのカフェラテを買った。侑里は一口飲んで、「ありがとうございます」とお礼を言った。
「美味しいです」
カフェラテも、甘くて美味しかった。慎吾は「良かった」と高いところから笑った。
「でもやっぱ、あのココアの方が美味しいですよね」
「ですよね?なのに、綾乃に飲ませたら『甘い』って言って二度と飲んでくれなくなりました」
「俺の友達も『甘さしかねぇ』って。それがいいのに」
「ですよね」と侑里が笑った。

 「お家まで送ってもいいですか?」
慎吾がそう申し出た。侑里が「お願いします。変なヤツ出てきますから」と答えて、二人で夜の暗い道を歩いた。
「お仕事、お疲れ様です」と侑里が労うと、「今日は疲れました~。全然終わんねぇんだもん」と慎吾が吐き出した。
「あの改札までの直線も、すっげぇ長かったです、今日は」
「大変だったんですね」
「もう、後半はヤケになってました。『煮るなり焼くなり好きにしろっ!』って感じです」
「あはは」と笑って、侑里がカフェラテを飲んだ。

 「あ、ここ…」
角にアパートが見える十字路。慎吾がまっすぐに進もうとすると、侑里が人差し指を伸ばした。慎吾が「え?」と振り向く。
「ここ、曲がります」と指で示した。慎吾が「あぁ、良かった」と侑里の示す方に曲がった。
「俺、道覚えるの苦手で」
「夜だと暗いからわからないですよね」
「すいません」と慎吾が照れくさそうにした。
「侑里さんは、今日の晩御飯何にしたんですか?」
「今日は、餃子なんです。おとうさんのリクエストで」
「あ、いいなぁ、餃子。あー、食いたくなってきた」
「うちのかーちゃん、息くさくなるっつってあんま作ってくんないんですよね」と愚痴のようにこぼした。侑里がそれに「女の人は気にしますよね」と答えた。
「侑里さんは、あまり気にしませんか?」
「おかあさんが残してくれたレシピはニンニクもニラも入れないので、においが残らないんです」
「へぇ~、おいしそう」と笑った慎吾が、「焼き餃子ですよね?」と聞く。侑里が「いや、タネは作ったんですけど、外出てる間におとうさん帰ってきちゃうなって思ったんで、『水餃子でも焼き餃子でも好きにして』ってメール入れときました」
「…あ、『煮るなり焼くなり好きにしろ』って?」
慎吾がそう言うと、侑里が「あ、ほんとだ!」と笑った。その笑顔に、思わず慎吾も頬が緩む。
「本当は『ゆでる』ですけど、そこは言わない方向で…」
「そうですね、それを言っちゃあ野暮ですね」
そう言うと、慎吾が恥ずかしそうに笑った。

 「あ、」
十字路。侑里がまた人差し指を出す。
「え?」
「ここを右です」
「あぁ」
慎吾が安心したように笑い、歩き出す。

 「そういえば、血のシミは大丈夫でしたか?」
侑里のその質問に、慎吾が「ぶっ」と噴き出した。その様子に、「え?」と侑里も笑う。
「おかげさまで、血のシミは綺麗に落ちたんですよ」
「じゃあ、怒られずに済んだんですね?」
「いや、それが」
「はい?」
「血のシミは、キレイに落ちたんです。なんですけど、それと一緒に弟のTシャツの柄も落としちゃって」
「あら」
「はい。まだらになったTシャツ見て、めっちゃ怒られて」
「あらら」と侑里が笑った。
「はい、作戦失敗です」と慎吾も笑った。

 「えっと」
再び、侑里が手を伸ばす。侑里の細い指の先にはアパートが見えた。
「あそこでしたっけ?」
「いや、この角を左です」
「あぁ、なんだ」
また、慎吾が安心したように笑う。

 「ほとんど毎日、大変ですよね」
「ん?」
「お仕事」
「いや、侑里さんの方が大変でしょう」
「え?」
「俺のかーちゃんがよく文句たれてますよ。『主婦は休みねーんだぞ!』って」
「休み?」と侑里が聞くと、慎吾は話を続けた。
「でも、本当にそう思うんですよ。俺はまだ明確な休みの日があって、『ほとんど毎日』ですけど。家での役割がある侑里さんは本当に毎日でしょう」
侑里にとって、家事はやるのが当たり前で、そんな風に考えた事はなかった。
「でも、今日は料理を途中まででサボっちゃいましたし」
そう言うと、慎吾は「あはは」と笑った。
「俺なんて今日、サボりまくりですよ」
「そうなんですか?」
「はい。トイレ行くフリしてサボったり、わざと転んで大袈裟に痛がってサボったり、何度も説明聞き直してサボったり…」
侑里が、「ふふふ」と小さく笑った。
「あと、堂々とサボったり」
今度は、「あはは!」と大きく笑った。
「サボり方はたくさんあるんですね」
「じゃないと続かないですもん」
そこで慎吾がカフェラテをすすった。
「だから、サボっていいんですよ。毎日やんなきゃいけないんですから。サボりながらじゃないと、体も心ももちませんよ」
「…はい」
「それに、丸一日家事をサボってるわけじゃないじゃないですか。そのうちの、たった一個でしょう。そんなのサボった内に入りませんよ」
「ありがとうございます」
「お礼を言われる程じゃあ」と慎吾が照れた。侑里は、やっぱり、この人は気持ちを軽くしてくれる。前を向かせてくれる。会えて良かったと思った。

「あ、」
侑里が手を出した。慎吾が「…右ですか?」と聞く。
「いえ、ここのアパートです」
「あぁ…」
その慎吾の声は、ため息にも近かった。今までと違う反応が不思議だった。
「送ってくれてありがとうございました」
侑里が頭を下げたが、慎吾は「いえ、あ、はい…」とはっきりしない返事しか返さず、やたら辺りをきょろきょろしている。変な間ができて困った侑里は、手にある缶を見て「カフェラテも、ごちそうさまでした」と言った。

「あの、のど乾きませんか!?」

慎吾が近くで光っている自販機を指さした。しかし、侑里の手にある缶を見て、「…俺、何言ってんすかね」と頭をぐしゃぐしゃとかき回した。
「…乾きましたね」
侑里がそう答えると、慎吾が笑顔を向けた。侑里もなんだか恥ずかしくなり、「いっぱいしゃべったから…」とつけたした。

侑里の答えを聞いた慎吾は、「買ってきます!」と自販機に走った。

「ココアでいいですよね!?」と言う慎吾に、侑里は、

「はい」

と答えて、小さく笑った。

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