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正義の戦士が好まれる理由

シンプルな質問だ。答えてほしい。

Q1. 世界は公正だと思いますか?
Q2. 良い行いをすれば良い結果が起こると思いますか?
Q3. 悪い行いをすれば悪い結果が起こると思いますか?

ほとんどの人は
「そんな単純な話じゃない」
「YES/NOで答えられるものじゃない」
こう思ったのではないだろうか。

Q4. あなたは以下の文章に共感しますか?

(もし共感するのであれば。あなたはQ1~3全てに、YES と答えているということになる)

あなたは、友人たちと食事を楽しみ、レストランを後にした。駐車場へと向かうと、友人の鈴木さんの車のドアが開いていた。鈴木さんのノート・パソコンが盗まれていた。あなたは鈴木さんを慰めつつも、きっと鍵をかけ忘れたんだろうなと考える。そして、普段からぼんやりした人だからな・そそっかしいところがあるからななどと思いはじめる。

あなたのその認識は、公正世界信念(ジャスト・ワールド信念)によって、形成されている。


先ほどの語の中で

あなたのあたまやこころは、鈴木さんの身に起きた不幸は鈴木さんの行動や特性の結果である、と合理化したのである。

なぜ合理化したのか。

あなたは、「自分ではなく鈴木さんに」不幸が起こった理由を見つけ出そうとしたのだ。

そうするために、鈴木さんに対する認識を調整したのだ。後づけで、理由をつくり出したのである。

『人間は「世界は公正である。人々はそれ相応のものを得ている」と考えている』これを公正世界仮説(ジャスト・ワールド仮説)という。


公正世界仮説は、1960年代に提唱された。

公正世界仮説によると。人は、不幸な出来事の責任をとる相手を無理やりにでも探す傾向がある。不運や不可抗力ではなく。

逆もまた然りで、ある人に良いことが起こると、その人が善良であるからだと思う傾向が強い。

ヨブ記

ヨブは、次々とひどい災難にあった。ヨブの知人は、ヨブが何かひどいことをしたに違いない・自業自得だと言った。

フォート・ローダーデールの裁判

1980年代のこと。フロリダ州のフォート・ローダーデールにて、20代の女性が、男性にナイフで襲われ強姦された。裁判の結果、男性は無罪に。当時の陪審長は、「彼女の服装が原因だ。彼女はセックスの宣伝をしていた」と述べた。
(彼女の服装は、白のミニスカートとタンクトップで、下着を着用していなかったとのこと)

ではこれはどうか。襲われても仕方ないのだろうか。

HIV患者の遠慮

HIV/AIDSを患う人たちの一部に、自分の病気は「自分のせい」であるとして、高品質の医療を受ける資格がないと考える人が存在するそうだ。


なんとも、皮肉的ではないだろうか。

正義のある世界を信じる気持ちが、正義の実行を妨げる結果となってしまうことがある。

どうして、こんなことが起こるのか。

犯罪とその被害を例にすると

・自分が犯罪の被害者になることを考えたくない。
・責任(因果関係)は、被害者(自分とは異なる行動をした人)にあると考えたい。

そうであれば、自分は犯罪的行為の被害者にならない、と思えるからだ。安心できるからだ。

少しややこしいかもしれないが。責任が被害者にないと(実際はなくともそう思わないと)、ランダムに自分にも被害が “当たって” しまうということ。

公正世界現象の1つの側面は、人々の中の、不安を最小化したいという欲求なのである。


公正世界現象には、長所だってある。

他の認知バイアス同様、自尊心を守り、恐怖をコントロールするのに役立つ。世界を楽観視し、精神を安定させることに役立つ。

人は、世界に秩序があることを願う。
人は、予測可能なものごとにホッとする。
人は、自分は自分にふさわしいものを得れると信じたい。

ありとあらゆる物語の中でも、善は常に報われ、悪は常に罰せられる。

「正しい」法則が乱されようものなら、セーラー服を身にまとった美少女さえ現れ、月にかわって (?) おしおきをしてくれる!!

この世界観とあまり変わらない世界観を抱いてる。

このようにさまざまな要因から。世の中の不公平さを受け入れることは、簡単なことではない。

「公正世界信念の強い人の特徴」なるものが調べられた研究もあるのだが。個人的に、それは要するに全員ということだろうと感じるため、記載したくない。いたずらに傷つけたくないし。

想定と現実が一致することに、快を感じるのは、生物として当たり前。

繰り返しになるが。ランダムな世界(=公平でも不公平でもない世界)を信じることは、難しいことである。これが現実の世界なのだが。

あえて努力が報われたくない人なんて、いない。
 
善行や努力 と 結果 の間に、一貫した関係がないと、行動に値する報酬を得にくい。

〇〇したら報酬/△△したら罰。このような関連性を見出せないことは、誰にとっても、苦しいことだ。


「彼女の服装が悪いせいで、彼女は性被害にあった」このようなおかしな因果関係を語り出す人がいても、鬼の首をとったように責め立てることは、また違うという話。

彼ら彼女らは、内心、ランダムでワイルドな世界に怯えているのだ。改めて、社会の問題はみんなの問題だと感じる。


参考文献