可能なるコモンウェルス〈19〉

 民主主義=デモクラシーが成立するためには、「まず一度は、権力が一手に集中されることを経なければ実現されえないというのは、実にデモクラシーが本質的には『支配(クラシー)』の一形態であるということを証すもの」(※1)なのだ、というのもやはり、たしかなこととして認めておかざるをえない実像である。そしてそれはまさに、近代国民国家における「民主主義」が成立する過程において、「まずは」絶対主義国家の成立がそれに先行することによって実現されたのだということを「証している」事象でもあるのだ。
「…近代の民主主義は、先ず封建諸勢力を制圧する絶対王政あるいは開発独裁型の体制を経た上で、つぎにそれを打倒する市民革命を通して実現されてきた。…」(※2)
「…近代の民主主義革命では、旧来の主権者(王)は殺害ないし追放され、それまで臣下であった国民が主権者となる。しかし、この国民という主権者には、実は、絶対主義的な王権が隠れている。つまり、民主主義とは権力の集中を通過することによって実現される『支配』の一形態なのだ。…」(※3)
 ところでこの「権力集中」という過程も、実はやはり千年以上前にすでにあったことの「繰り返し」なのであった。その当時の「デモクラシー=民主主義」の成立には、独裁的な僭主による統治が先行しており、それが民衆に打倒されるというプロセスがそこに引き続いていったわけなのである(※4)。
 このように、近代民主主義成立のプロセスは、千年余り前にわき起こった古代デモクラシーの流れと、まるでそれをきっかり焼き直したかのように、きれいに合致しているものように見えてくる。しかしそのような見方は、「近代の民主主義が成立した、その後」において、そしてあくまで「その後」だったからこそ、それらがあたかも合致しているかのように見出されるところとなったものなのであり、なおかつ後者の成立こそが、前者をその「起源」として見出させているという、一種の遠近法的倒錯として成立していものでもあるわけである。

 さらにここでもう一つ付け加えておく。
 デモクラシー=民主主義とは「多数者による支配」のことであるというように、一般には受け止められているものであろう。そして近代の民主主義もやはりこの、「多数性」の原理原則にもとづいて成立したものなのであり、他の諸要素と同様、この原理原則についても古代のそれに則って構築されたものなのだというのは、ある意味すでに「常識的な認識」となっているはずである。
 ところでそのような常識の大元である古代のデモクラシーは、一見すればたしかに「多数者支配」として成立してはいたのだろう。しかしここで言われる「多数者」とは、必ずしも「全ての人々を対象にしていた」というわけではなかったというのが実態としてあったのだとも言える。
 たしかにその「多数者人間集団の内部」において、それは「特定の者による独占的支配を排除した、不特定多数者による平等な支配」として成立してはいたのだろう。しかし、「内部がある」ということは、一方で「その外部が生じている」ということでもあり、そこにはそのような「平等の対象とはならない者たち」がいて、そのような者らに対してそれはある意味では、「少数者による支配」にもなっていたわけなのである。「多数者支配」とは見方によると、そのような者らもまた「特定の者として排除している」わけなのだが、しかしそれらの者らはあくまでも「外部に生じている」ために、「内部からは見えない」ようになっているわけなのだ。穿って言えばこの「デモクラシー」は、そのような仕組みに「敢えて建て付けた」ものなのである。
 必ずしもそうではないようなものを、あたかもそうであるかのように見せる。「人間集団の内部」というものの構造と機能とは実に、そういった巧妙な「からくり」を密かに孕んでいるわけである。そして近代の人民主権もまた、そのからくりを自らの機能として踏襲しており、その機能を活用して巧みに自らの外部=少数者を特定しているのである。「その内部における支配」を、より強固なものとするために。

〈つづく〉

◎引用・参照
※1 柄谷行人「哲学の起源」
※2 柄谷行人「哲学の起源」
※3 柄谷行人「哲学の起源」
※4 柄谷行人「哲学の起源」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?