可能なるコモンウェルス〈66〉

 「コモンウェルス」という政治的観念は、「何者でもなく何も持たない個人」同士が、それぞれの自己保存欲求を「互いに共通の(コモン)=利益(ウェルス)」として承認し合い、各々の意志と主体性にもとづいた合意の上で、上記の共通した目的を追求するために形成された政治体であるというように、ひとまずは「社会契約説」の議論を前提として一般に捉えられているものだと考えておいていいだろう。ただし、ここで留意しておくべきことは、何よりそういった自己保存欲求という「現実的要請」が、言い換えれば「下からの要求」が、本質的にこの政治的観念の源泉となっているのだという、その前提についてである。
 実際に「コモンウェルスという政治体」が、現実の局面に表立って登場してきたのは、かつてイングランドでクロムウェルが引き起こした清教徒革命においてであったというように考えられる。つまりコモンウェルスなるものとは、「政治的な観念」としてはそもそも、「下からの現実的要請」として表出されていたようなものであったところが、それが実際に現実の形として出現してきたときにはすでに、極めて重く高度な「理念」を背負っており、それがあたかも「上から降ってきた」かのようにして、「現実を生きる人々」の眼前に、その姿を顕わにしたというわけなのである。こういった現象においてまずは一つ、コモンウェルスをめぐる「ねじれ」が見て取れるだろう。

 一般に「国もしくは国家」なるものを考えるとき、大体それはステートのことを指しているものであり、またはネーションのことであったりももちろんするのだろうし、あるいはよほど呑気な場合ならカントリーのことであったりもするだろう。なおかつ厄介なことには、大体の場合にはそれらの認識が混同されていたり、互いにややこしく入り組んで癒着し合ったりした状態で観念されているわけなのだ。ただ、そこで真っ先に「コモンウェルス」を思い浮かべるということは、実際にはほとんどないはずである。
 たしかに現実に今、「コモンウェルス」を名乗る政治体は存在してはいる。だがそれも結局は、上記のような観念形態にもとづいて規定されたものでしかない。もしかしたら歴史のさじ加減によって、アメリカもその一員に加わっていたかもしれない「大英連邦」もそうであるが、歴史的に言っても国もしくは国家あるいは一個の政治体を、「コモンウェルス」として具体的かつ現実的に観念し、それを実現運用させたケースというのは、ある場合を除いてほとんど例がない。大体にして当のアメリカ合衆国を構成する各州も、ほとんどはステートを名乗っているのが実態なのだ。コモンウェルスを号しているのは、ケンタッキー・マサチューセッツ・ペンシルベニア・バージニアのわずか4州にすぎない。そしてこれらの州にしても、その呼び名については、何か具体的な根拠をもって他州(ステート)との区別化が意図されていたというわけでもなく、むしろごく素朴にイギリスの植民地であったかつての状況に対置させて、「人民共有の合意にもとづいた政府(government based on the common consent of the people.)」という意味合いを強調した、というのがその主意なのであった。またそこには、それこそクロムウェルの「イングランド共和国(Commonwealth of England)」へのノスタルジーが見受けられなくもないような次第である。
 いずれにせよ、現実として見ればこの「コモンウェルス」という概念は、これまで思うほどには厳密かつ真剣に検討されてきたというわけではけっしてなかった。いささかボンヤリとした混同状態のまま、現実の要請にもとづいて、なし崩し的に運用されてきたという意味では、ある意味「デモクラシー」という概念とも、その一種の「不幸」を共有しているというように考えて差し支えないところだろう。逆に言えば、今後もっと「厳密かつ真剣に」向き合うとしたならば、そこにはまだいかようにも「伸びしろ」があるという点でも、デモクラシーと一種の「希望」を共有しているのだと、考えられなくもないはずなのだが。

〈つづく〉

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?