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私を救ってくれた私の中のコメディアン
もう限界!って時は、人生で何度かあった。
私は第一子をアフリカで産むという通常理解しがたい行動をしているのだけれど、出産は何処でだって命掛けだ。当時のパートナーが付き添ってくれて、ケニアの産院で陣痛に耐えていた。周りでは、日本人の私から見たら、それはそれはたくましいアフリカ女性たちが、「ママー」と叫び、「神様ー」と叫んでいた。そんな中私はただただ、襲ってくる痛みに耐えていた。
こ
『相模原津久井やまゆり園事件』から7年、私たちはスタンダップコメディアンになった!(笑)
何度も言うけれど、うちの次郎があの日『相模原津久井やまゆり園』に居たら刺されていた。次郎は自分の名前を言えないからだ。
これは、次郎が殺されるかもしれない問題なのだ。
現に、その後も、あちこちで知的障害者は、支援者に殺され、親に殺され、そして、小さな記事で、加害者に信じられないくらい軽い刑罰が下ったことを知る。
京都で重度の知的障害のある息子を手に掛けた事件では、加害者の母親に執行猶予
スタンダップコメディがなければ死んでいた?!(笑)
ひとことで言うと、私の頭がおかしくなったのだ(笑)
どっちに向かって行っても手詰まりで、どこにも道が開かれていなくて、
道がないから作るのだ~とか言う口がむなしくて。
そりゃそうでしょ。
だって、誰も余裕なんてないんだもの。
目の前の生活が大変なのだ。
それほどまでに、人々の生活が壊されている実感はある。
私の声はどこにも届かない。
「別に、私、助けてって言ってるんじゃ
今日は海老原宏美さんの話をしたいのにケアラーがコロナになった話しになった
12月24日は海老原宏美さんが旅立った日だ。もう一年経つ。聡明で明るくて優しかった海老原さんを失って、今も惜しむ声は大きい。海老原さんの意思を継ごうという方も多いしその仕事を応援もしたい。けれど、海老原さん、やはりあなたは唯一無二の人でした。
この一年で私は何度、天を仰いで海老原さんの名前を呼んだだろう。困り事がある度に。
正直に言うと今もそう。
12月21日次郎が39.2度の熱を出し、歩い
七尾旅人さんの歌は、心の痛みが愛になりえることを教えてくれる
七尾旅人さんの「Long Voyage」は、この時代に効く薬だ
2022年9月14日、七尾旅人さんのニューアルバム「Long Voyage(ロング・ヴォヤージュ)が発売された。発売を楽しみにしていた私は、毎日、毎日、何度も何度も聞いている。まるでなにかの薬のように。
私たちは今日まで生きて来た。そしてこれからも生きてゆく。心が傷ついた時、私たちはあまりにも無防備で、その直し方もわかならい。でも
2022年次郎の初夢はママが死ぬ夢だった ~海老原宏美さんに感謝を込めて~
私と次郎のお正月は、なにも変わらず過ごすことに決めている。お正月気分に触れようものなら、私が次郎に対して「お正月くらいゆっくりさせてよ」なんてセリフが胸の奥からせりあがってくるからだ。
今年は元旦からヘルパーさんに来てもらえて助かった。次郎が子犬のようにしっぽを振って寒空の下出かける後ろ姿に、ホッと一息することが出来た。
私は『次郎との暮らしの何が大変か?』ということを言い表す言葉をあまり持っ
誰も言わないから私が言うね「りゅうさん助けてあげられなくてごめんね」
りゅうさんが浮かばれない判決だったね。りゅうさんの死を無駄にしない為に、ひとりひとりに出来ることがあるから、そのことを書くね。
2020年7月に京都で、重度知的障害のある17歳のりゅうさんが、介護に疲れたお母さんに命を絶たれるという痛ましい事件があった。当時私は何をしていたのだろう?と日記を開くと、コロナ禍で次郎の施設利用がままならず、それに伴い私の生活も振り回されていた。この事件はどの程度報道
2021.10.31衆議院議員選挙 二枚目の投票用紙に全国どこからでも「れいわ」と書いてください!「山本太郎」と書くと無効です。
タイトル写真は2014.4.27の鹿児島2区の衆議院補欠選挙のボランティアで、ご一緒させていただいた木内みどりさん。一緒にお昼をいただきながらお話させていただいたときに、「私ってせっかちなのよ」と言われていた。まさか、こんなにせっかちにこの世から旅立ってしまうとはこの時には思ってもいなかった。
2021.10.31は衆議院議員選挙投開票日だ。木内みどりさんの不在を、しみじみ思い知らされる。今頃あ
『さすが太郎さん!!!』と思ったこと~2021.10.31衆議院議員選挙の前に~
2021.10.31は衆議院議員選挙の投開票日だ。いきなりの選挙。しかもコロナはまだ収束していないというのに。感染症は、人々の活動が活発になって拡大する。今こそ第六波にそなえるべき時なのに、なんてことだろう?!
おそらく与党は野党に準備期間を作らせない作戦だ。案の定、与党の期待通りの波乱の幕開けとなっている。
そんな選挙でざわつく少し前、私は『さすが太郎さん!!』と思う出来事があった。山本太郎
パラリンピックに感動したおばあちゃんが言った「次郎もがんばればしゃべれるようになるんやないんか?」
パラリンピックが閉会した。
コロナ禍での開催については、置いておく。私は開催すべきでなかったと思うが、それについては、またの機会に。
今日は、コロナ禍でなくとも、パラリンピックが、障がい当事者家族にちょっと厄介な問題を連れてくるという話をしたい。
私の母は、86歳で一人暮らしをしている。次郎が27年前に生まれたことで、初めて障がい児のおばあちゃんになってしまった。そう、なってしまったのだ。な