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日常の雑記

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2024年5月の記事一覧

死ぬ気で生きぬけ

死ぬ気で生きぬけ

死の際にその人の人生と生への欲求が生まれる。死ぬ気があるなら一度死んだつもりで生きろ、なんていうけれどもう限界まで来た人がそこに向かうだろうか。
死を目の前にして、もしくは一度死んだかもしれない状態から、時間を巻き戻されたのか、はたまた生かされたのか。
神仏は独り立ちのためのサポートはしてきた。サポートが当たり前ではない。サポートはサポートなので当てにしてはいけない。
しかし、ここぞというときはサ

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生への渇望

生への渇望

私の父は幼い頃、がんで亡くなりました。
まだ幼かった私は父親を「父親」としか理解できなかったし、1人の人間だという認識は当然もっていなかった。「お父さん」という存在は「お父さん」なのだ。

 大人になってから母親と父の話をすることが増えた。それも最近。
母から見た父は1人の人間であり、1人の男性なのだ。そんな母から見た父という人間は、とても弱い人間だったのだろう。
母のほうが気力も現実を見て行動に

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熱中症の恐ろしさ(注意喚起)

熱中症の恐ろしさ(注意喚起)

熱中症に気をつけましょう

よく耳にしますが、とても恐ろしいものであることを実感し、恐怖しています。
熱中症対策のやり方、方法は情報としてたくさんあふれていますがなぜ熱中症が危険なのか、それが結構知られていないのではないかと、私は分かっていなかった。

熱中症対策、熱中症応急処置は情報としてあるが、あくまでも熱中症に対しての「応急処置」であり、熱中症の本当に恐ろしいところは、「持病の悪化」、「脳、

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老いや衰え、夫婦のこと。

老いや衰え、夫婦のこと。

夫婦、家族なかよく、末永く、いつまでも楽しく明るく暮らしたい。
そんなふうに当たり前に思っていたけど、当たり前でないかもしれない、そうあるべきと思っていたけどそうもいかない。

常々、時間はたくさんあるようで思っているよりも短い。解ってはいるようで受け止めきれていない時間の概念。

時間は老化でもあり寿命でもある。いつまでも一緒にいるだろうなんて当たり前に思っていても、私の「いつまでも」と彼の「い

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嗤う者

嗤う者

柴燈護摩に行くと観客の様々な表情をみることが出来る。
歳を重ねるたびに、自分の成長の目線ごとに見える景色が変わる。見る側の意識が表面に現れている。

柴燈大護摩供は野外で行う大規模な法要で、道場を作り、大きく燃え上がる炎の中で、火渡り修行が執り行われます。

自分は毎日火を渡ってます!
なんて人はなかなかいないだろう。
人生に一度、生脚で火を渡る機会があるかといえば火事にあったとか、救急隊や消防士

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