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読了的逃避行

私はよく学校をサボっていた。

不良、というわけではなく、根暗な学生の積極的逃避として。授業中、「頭が痛いので保健室行っていいですか」と手をあげる。保健室に行き「頭が痛い」という。暫くベッドに横になる。保健室の先生が「まだ頭は痛い?」と聞いてくる。はいと答えたら、先生が早退を許可し、職員室へ行き学年主任、もしくは見知った先生に、早退許可証を書いてもらう。学校をふける。これがルーティンだった。

というわけで私は「重度の片頭痛持ちの学生」だった。

学校を出たら河川敷まで自転車を漕ぎ、高架橋の下に居座り、読書をする。日が暮れたら自宅に帰る。そのとき読んでいたのは、ビートニク系、シェイクスピア、ドストエフスキイ、この辺りだったと思う。

時々大人に声をかけられることもあった。「学校は?」「短縮授業なんです」と答える。すると大抵いぶかしげな顔をして去ってゆく。それでも怪しむ人には携帯を取り出し電話するフリをする。母親から電話がきた体で今ここにいて、待ち合わせ場所はどこで、もうすぐ向かう、等々話す。それから母と長い世間話、のフリ。その間に疑ってきた大人は去っていく。この時味わう心臓の高鳴りも、今となっては特別な思い出だ。

…でも今振り返ると、この片頭痛学生の方便は、全てばれていた気がする。幼い私の芝居は中々の大根だ。大人は大人なりの忖度をし、子どもの他愛無い嘘を尊重してくれていたんじゃないか、そう思えてならない。

私の特別な時間は私の嫌いな大人の忖度によって守られていた。その事実を当時の私に耳打ちしたら、きっと不真面目にも授業を受けた筈だ。そう思うと、あの逃避活動は私なりの反抗期だった気がする。でもあの反抗期が無ければ、私は一生カラマーゾフを読破することは無かった。

些細な読了的逃避行の思い出。

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