マガジンのカバー画像

小説

44
運営しているクリエイター

#note

沙由美のたんぽぽ:ショートショート

沙由美のたんぽぽ:ショートショート

 少年のころ、私はたんぽぽの黄色が好きだった。生い茂る草叢のなかに見つければ、それはリングケースに収まったダイヤのようであったし、アスファルトの道端で見かければ、それは濁った水面がきらりと反射する美しい日光のようだった。

 いずれにしても、私はそこに生きる理由をしか見出さなかった。自転車をうまく漕げなかった日も、好きな女の子につきまとって先生に怒られた日も、たんぽぽの黄色は、暗澹たる雨雲のずっと

もっとみる
友梨佳の英雄:ショートショート

友梨佳の英雄:ショートショート

 まず、死ぬと決めた。次に、財布を見た。

 全財産、2万7千円。つまり俺、余命2万7千円。役所から税金の督促状が届いているが、死んでも払うまい。いや、それはおかしい。死ぬんだから、最期に善行でもするべきか。それとも、二月後には飢えてぽっくり逝っていると決まっているのだから、払う義務などないと考えるべきか。

 ともかく、俺はもう働きたくないし、人の世話になるのも嫌だから、死ぬしかないのだ。しかし

もっとみる
智花のナポリタン:ショートショート

智花のナポリタン:ショートショート

 どんなに多様性のあふれる時代になったとしても、冷たいナポリタンが大好きだ、なんて智花の味覚は誰の共感も得られないだろう。

 しかし彼女は、舌先の感覚でそれを好ましく思っているのではなかった。ほとほと人との繋がりに疲労困憊していた彼女は、この冷え冷えとした味わいのなかに、いったいどこの神経がそれを感じ取っているというのか、ともかく断絶と孤独の味を見出すのだった。

 パスタに絡まった、ケチャップ

もっとみる
ある熟女の宿:ショートショート

ある熟女の宿:ショートショート

その女は美しかった。美しいだけではない。華やかなのだ。齢は四十といったところだろうか。明るい紫のノースリーブワンピースから伸びる白い腕は肌理が細かく、密になだらかで、じっと永く見つめようとしても、私の目が送る視線は、あたかもそれは水滴であるかのように撥ねてしまい、一点に留めてはいられないのだった。そうして刹那刹那に外れては戻る視線はやがて指先の方へ移り、そこに安住の地を見出す。あでやかな薄紅色に染

もっとみる
里子の三日月:ショートショート

里子の三日月:ショートショート

 県立S高校の2年生たちは、厳格なヒエラルヒーがあった訳ではないが、里子の美は圧倒的な支持を得ていた。男子からはもちろん、彼女に寄せられる女子たちの好意は、質、量、ともに男子のそれを遥かに凌駕していた。とういよりかは、女子の方が堂々とそうすることができたといった方が正確かもしれない。

 一方、潤太という少年がいた。彼は男子からは好かれていたが、女子からは嫌われていた。最近はめっぽう大人しい彼であ

もっとみる
風花の平等権:ショートショート

風花の平等権:ショートショート

 シュッシュッシュッシュッシュッシュッ・・・・・

 と風花が自分の持ち物に延々とアルコールを吹きかけるのは、コロナウイルスを恐れてのことではなかった。

 だが、真夏の朝の満員電車——彼女がそこへ乗り込むには、感染病棟で働く医療者たちと同じくらいの勇気と覚悟が必要だった。あるいはそれは、空気清浄機に魅せられている人が、外の空気に恐怖するのと同じだった。

 彼女は思う。

『今日も私は汚れてしま

もっとみる
時子のおじさん:ショートショート

時子のおじさん:ショートショート

 何をするにも気力が湧いてこない。これをうつ病というのだろうか。しかし死ぬ気力さえ湧いてこないのだから、病気ではないのかもしれない。それともこれはまだ初期症状であって、このまま放置すれば、首をくくる元気が出てくるのだろうか。

 そんな元気が時子には、羨ましいくらいだった。

 小鳥のさえずりに替わって聞こえてくるのは、近所の子供たちがはしゃぐ声だった。子供たちのエネルギーはすごい。今はぐだぐだと

もっとみる
美鈴の胸中:ショートショート

美鈴の胸中:ショートショート

ぽっかり心に穴が空いたまま、サトルは女を抱いていた。

「サトルくん、私と一緒にいて楽しい?」

「楽しいよ」と彼は答えた。

嘘だった。正確には、本当だった。けれども、この楽しさは、サトルにそうであってほしいと彼女が願っているのとは、ぴたりと一致してはいなかっただろう。

彼女では、彼の虚空を埋めることができなかった。

「うそよ」

「うそじゃないよ」

「好きな人がこんなに近くにいるのに、ど

もっとみる
香織の誤算:ショートショート

香織の誤算:ショートショート

 『よし、いいぞ、太郎、その調子だ』
太郎という名のウーバーイーツ配達員が、自宅マンションに向かって正確に駒をじりじりと寄せてくる。
『よし!そこを左だ!太郎!』

 思惑通り、駒は左に曲がった。

 左・・・左・・左?

 自分で自分に暗示をかけているのか、あるいは一体全体、どっちがどっちに誘導されているのか、悠太は自分に近いすぐ袂の左を見た。会社が終わって帰宅し、このテーブルについてパソコンを

もっとみる
カミーユの揺りかご:ショートショート

カミーユの揺りかご:ショートショート

 1997年9月のある日の午前、7歳だった私は訳の分からないまま、内戦の傷跡がいまだ生々しいカンボジアの地へ降り立った。

 隣国タイの首都バンコクを経由しなければならなかったので、成田空港からジャンボジェット機でやってきた私たち家族は、そこで打って変わり、プロペラ式の小型旅客機に乗り換えていた。ちょうど手に持っていたJALのおもちゃ飛行機と、そう変わらないようなこんな飛行機に乗って、墜落してしま

もっとみる
多美子の逡巡:戯曲(3200字)

多美子の逡巡:戯曲(3200字)

登場人物
多美子 エンジニア(助手)
ローリンゲン教授 インテリ教の最高権威
ノベール 正体不明のインフルエンサー

あらすじ(舞台背景)
 世界を一瞬のうちに破滅させる兵器の開発に、多美子はエンジニアとして携わっていた。なぜこんな仕事に就いているか。それが神の意志に他ならないと考えているからだ。罪悪感に苛まれることはない。この兵器が産声を上げる前から人類は永く、殺し合いに殺し合いを重ねてきた。そ

もっとみる
真由美の催眠術:ショートショート

真由美の催眠術:ショートショート

 『日本は女尊男卑』とか、『女の方がずっと恵まれている』とか、こうした言説にはある程度の真理が含まれている。
 しかし真由美は、この真理にあずかれない醜い女だった。
 ずんぐりした顔の鼻はぺちゃんこに潰れていて、切れ長の目が人に与える印象は決していいものではない。それでも彼女は、あふれる母性をペットのアメショーにこの上なく注ぎ、保護者としてその責任をまっとうしていた。要するに彼女は心豊かに生きてい

もっとみる